[掲示板: 〈過去ログ〉音のこと何でも -- 最新メッセージID: 3373 // 時刻: 2024/11/24(23:04)]
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お名前: はまこ
投稿日: 2005/7/20(15:10)
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はまこです。こんにちは。
昨日の投稿を削除したのは、動揺したまま書いたものを載せるのは
良くないと思ったのと、「まぁ、いいなー」と思ったからです。
この「まぁ、いいなー」というのは、「慈幻さんがどういう考えを
持っていてもいいな。私がそれに対してやいやい言うことじゃないな。」
と言う意味です。
これは否定的な感情で言っているのではなく、
こういう考えもあるんだな、と肯定的に捉えているのです。
慈幻さんの言葉を借りると、
〉勿論、これは
〉「互いに理解する努力を放棄して良い」〉
〉という意味ではありません。
放棄したわけではありません。なるほどな、と思ったのです。
〉「相手が自分とは異なる感じ方・考え方をする『他者』である」
〉ということを「前提」に、少しずつ互いに歩み寄る地道な努力が必要
〉なのです。
少しずつ互いに歩み寄る速度がすごくゆっくりでいい、
というぐらいの気構えでいました。
慈幻さんにレスをもらえてよかったです。
いろいろと分かっていなかった、という事が少し分かりました。
〉勿論、毎日が筋肉痛の連続です。ある日など、筋肉痛のせいで起きれず、
〉一日寝込んでしまったりもしました。
これはあれだけの人数と内容を相手に一人で対応していたからなのでは?
〉今まで、「天才たちが去る」際に、「私が発言しなかった」のは、
〉「天才」と「凡人」の「差異」を「分かりやすく説明する言葉」を持っ
〉ていなかったからです。
こういう思いがあったことを知りませんでしたし、
〉そして、敢えて冊数や金額は言いませんが、「少なくない投資」をした
こういうことも考えていませんでした。
短期間に時間やお金を費やした結果、あそこまで理論的に語ってくれたのではなく、
長い期間をかけて築き上げてきたものの中から発言しているものだと
思っていたのです。
〉結果、
〉「自己分析」や「相互理解」の「最初の一歩」となり得るかもしれない
〉「理論モデル」
〉を構築できたからこそ、ああして公開したのです。
もちろん今の慈幻さんの明晰さや他人への配慮は昨日、今日で
身に付いたものではないでしょう。
私が慈幻さんのことを「すごい方だな」と思ったときに
大リーグのイチロー選手をイメージしました。
もともと持っている素質に加えて、常に上を目指す向上心と飽くなき探究心。
人は彼の事を「天才」と呼び、「求道者」とも言います。
私は普段イチローがどういう努力をしているのか、
何に悩むのかよく知りませんが、それでも彼の野球へ対する情熱や
姿勢をテレビや新聞のコメントなどを通して見聞きするたび、感動し、尊敬します。
私は「天才」も「秀才」も向上心、探究心を持っている
という点ではどちらも尊敬するに値すると思うのですが。
それと、「天才」も「秀才」も身近に存在しなかったので、あまり区別がつきませんでした。
慈幻さんの言っていることから想像すると、「秀才」には
負の感情が常に伴うのでしょうか。本人には重い事かもしれませんが、
それでも何かをやり遂げようと努力する姿勢に私は尊敬の念を抱きます。
〉彼が否定したのは、
〉「自分が兎であること」
〉であって、
〉「兎であることそのもの」
〉ではないからです。
分かりました。
〉「実は兎じゃないの」
〉という言葉が、彼の「努力を否定する」ように聞こえて仕方がなかった
〉のです(苦笑)
慈幻さんの努力がどれほどのものか、想像はできないのですが、
「想像できないほどの努力を重ねてきたのだろう」と思ったので、
敬意を表したのです。
私が〉「どんどんみんなから離れているんじゃないか」と。
不安に思ったのは、人と違う事を恐れたからではありません。
いつもこんな会話をしたいと望んでいます。
「できなかった事ができるようになった!」
「あ、あれの事?私もできるようになったよ!」
「これができなくて困ってる・・・」
「あー、じゃあこうしたらどうかな?」
などと同じようなレベルで喜びや悩みを気遣うことなく
分かち合える仲間が欲しいのです。
そういう人たちがたくさん出てくるのを待っているのに
自分の方からどんどん離れてしまっている、と思ったのです。
私は普通だ、並だ、と言ったのは、多読を始める時点で
ほとんど何もできなかったからです。今できることは多読を
通してできるようになったものばかりです。もちろん多聴の効果も
あります。でも多聴も多くの人がしている事ですよね。
私の多読のペースは際立って速くはありません。
読まない日もよくあるし。
多聴も許されるなら一日中していたいけど、許されないので
一日にトータルで3時間あるかなぁ、という程度です。
もっと少ない日もあるし、聞かない時期もありました。
聞くのが苦痛な人には細切れでも3時間は多いと思いますが、それでも
全体的に見て、びっくりするほど長時間聞いているわけではないと思います。
自分がそうだったので、多くの人もかかる時間の長短はあっても、
いずれ自分ができる程度にはできるようになると思っていたのです。
自分の中ではまだまだだし、きっと私には到底できない、と思う事を
あっという間にやり遂げる人もたくさん出てくるだろう、
と思っていました。
〉「はまこさんが私に理解してもらえないと感じている」
〉のと同じくらい、あるいはそれ以上に、
〉「私もはまこさんに理解してもらえなかったと感じた」
〉と想像しては頂けませんか?(苦笑)
〉ただ、でしたら、私が、ああして受け答えしている間、
〉「どれくらいはまこさんの才能に嫉妬を感じ、自分の才能のなさに絶望し
〉ていたのか」
〉ということを、少しでも想像して頂いてましたか?(苦笑)
ごめんなさい。全く想像していませんでした(--)
「へー、そういうこともあるのだなぁ」ぐらいに思っているのかと。
もちろん私も他の人をうらやましく思う事はよくあります。
自分ができない事ができる人の話しを読んでは
「すごいなー、いいなー。私もできるようになりたい!」と思ったり、
「私はそれができるようになりたいとは思わないけど、
それでもできるってすごい!いいなー。」と思います。
掲示板を読んでいて尊敬する人はたくさんいるのです。
他にも「できない事ができるようになった!」という報告を読んでは
感動し、やる気をもらっています。
でも嫉妬に近いものはあっても、絶望を感じた事が無いのです。
それは今できる事しかできない、と思っているからかも知れないし、
今興味のあることしか興味がない、からかも知れません。
説明しにくいのですが。だからと言って向上心が無いという訳では
ないのですよ。私の中では好奇心と向上心が溢れています。
慈幻さんも今の私の状態を聞いて、一つの事実として
受け取っているのだと思っていました。ずいぶん無神経でしたね。
本当にごめんなさい。
ということは、「こんな事やあんな事ができるようになった♪」など
100万超の広場で報告したら、多くの人に引かれるのでしょうか・・・
というか今までも私が思っている以上に引かれていたのでしょうか・・・
私はこれからもまだまだ伸びる予定です。
「出来るようになりたい!」と憧れる事がたくさんあります。
でもそれを「出来たよー!」と高らかに喜ぶ事が出来ないのかな・・・
〉このように、「他者理解」とは「非常に困難な作業」なのです。
〉そこでは「価値観」その他、様々な対立が顕わになり、「嫉妬」や「憤
〉り」といった「否定的感情」が出てくるのを避けることは出来ません。
〉しかし、それでも「他者理解」を、少しでも進めることを私は選びます。
〉「誤解」されようが、「憤り」をぶつけられようが、それだけの「覚悟」
〉があるからこそ、私は自分のトラウマも含めて、自分の考えを公開したか
〉らです。
〉それらを乗り越えて、多くの人が共有できる、「自己分析」や「他者理解」
〉の参考になる「理論モデル」が必要だと判断して、一連の投稿を続けたの
〉です。
単純に喜びや悩みを分かち合える仲間が欲しいのですが、
「他者を理解」しようとするほど、何も言えなくなります。
私は「出来なかったことが出来るようになった!」という報告を
読むたび元気をもらっていたので、私も「出来なかったことが出来るようになった!」
と言うことによって、お返しが出来ると思っていたのですが・・・
長々と書いた割には頭の整理が出来ません。
では・・・
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