「無邪気な兎」と「筋肉痛に悩む亀」

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2237. 「無邪気な兎」と「筋肉痛に悩む亀」

お名前: 慈幻 http://mayavin.txt-nifty.com/labotadoku/
投稿日: 2005/7/19(21:34)

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どうも慈幻です。

返事の前に、一つ「たとえ話」を。

足の遅さに悩む亀たちが集まる広場に、他の亀よりも少しだけ足の速い亀
と無邪気な兎が混じっていました。

無邪気な兎が「当たり前のこと」として話すことは、普通の亀には凄すぎ
て、何を話しているか理解できません。

徐々に、無邪気な兎は「誰も私のことを理解してくれない」と悩み始めま
す。

少しだけ足の速い亀は、自分にもできないけど、色々なことを調べて、
兎が本当は何を言おうとしているのか考えました。

ようやく兎が何を言っているか理解できるようになったので、少しだけ足
の速い亀は、他の亀たちに話しかけます。

「ねえねえ。『走る事』って、実はこういうことじゃないかな?」

少しだけ足の速い亀は、自分の失敗談も交えて、面白おかしく、「楽しく
走る方法」や、亀にも兎にも役立つ「走り方のモデル」について話しまし
た。

ある日、そんな話に興味を持った無邪気な兎が、少しだけ足の速い亀に
話しかけます。

「ねえ? 一緒にジョギングしてみない?」

少しだけ足の速い亀は、無邪気な兎の足の速さに憧れていたので、喜ん
で付き合いました。

勿論、毎日が筋肉痛の連続です。ある日など、筋肉痛のせいで起きれず、
一日寝込んでしまったりもしました。

それでも、少しだけ足の速い亀は、無邪気な兎に付き合ってジョギング
を続けました。

そんなある日、無邪気な兎がこういいました。

「実は、貴方は私と同じ兎じゃないの?」

さすがに、これには彼もびっくりしました。慌てて、自分が「少しだけ
足の速い亀」に過ぎないことを説明しました。

「自分はこんなに頑張ったから、一緒にジョギングできるだけだ。でも、
自分は兎じゃなく、亀に過ぎない」

ところが、今度は兎がびっくりしました。

好意のつもりで言ったのに、亀に「兎であること」を強く否定されてし
まったからです。

それではまるで、「兎であること」が「悪いこと」だと亀が言っている
ようではありませんか。

でも、それは、兎の「誤解」です。

彼が否定したのは、

「自分が兎であること」

であって、

「兎であることそのもの」

ではないからです。

とは言え、亀の言い方にも問題はありました。

ただ、彼は「速く走ること」に「強い憧れ」を抱いていて、一生懸命トレ
ーニングをしていたので、無邪気な兎に「悪意」がないと分かっていても、

「実は兎じゃないの」

という言葉が、彼の「努力を否定する」ように聞こえて仕方がなかった
のです(苦笑)

さて、上記の「たとえ話」を踏まえた上で、手短に。

>それなら私は声を大にして言いたいです。「だってしゃーないやんかっ!
〉だーれも相談相手がおれへんねんもんっっ!!迷っても悩んでも、自分
〉で進む道を決めなあかんねんもんっっっ!!!」
(中略)
〉だけど今の自分の事を書くととても驚かれました。何を驚いているんだ
〉ろう、と不思議に思いましたが少しして気付きました。
〉「どんどんみんなから離れているんじゃないか」と。

はい。それこそが、私が「示したかったもう一つの事実」です。

SSS式多読に限らず、日本における多くの学習法では、

「適性・素質の違いを無視/過小評価する」

傾向があります。

しかし、生まれつき「体が大きい」、「足が速い」、「身が軽い」人が
居るのと同じレベルで、「頭の回転が速い」、「もの覚えが良い」、
「洞察力に優れる」人がいます。

そして、残酷なようですが、「学習法」における「天才」と「凡人」の
「差異」は、

「統計的な誤差」

に収まるようなものではありません。

実際、はまこさんの「聴覚の鋭敏さ」、「記憶力の再現度」は、私が知
る限り、優香さんくらいしか、匹敵する人が居ません。

にも関わらず、そのような重大な事実に敢えて触れず、

「理解の齟齬」を放置した結果、

「『居場所のなくなった天才』が去る例」

を、私は既に幾つか見ています。

ただ、残念ながら、

「『彼らが天才である』と分かること」



「『彼らの悩みや苦しみ』を理解すること」

は全く別次元の問題です。

何故なら、

「天才が凡人を理解できない」

のと同じくらい、場合によっては、それ以上に、

「凡人は天才を理解できない」

からです。

これは、

「足が速い人が足が遅い人の苦しみを想像し難い」

のと同じように、

「足が遅い人は足が速い人の悩みが理解できない」

からです。

今まで、「天才たちが去る」際に、「私が発言しなかった」のは、

「天才」と「凡人」の「差異」を「分かりやすく説明する言葉」を持っ
ていなかったから

です。

そして、敢えて冊数や金額は言いませんが、「少なくない投資」をした
結果、

「自己分析」や「相互理解」の「最初の一歩」となり得るかもしれない
「理論モデル」

を構築できたからこそ、ああして公開したのです。

実は、その辺りのことは、私のブログの

「天才と秀才の違いについて」

という論考において、私の弟の例を引き合いにだしながら、

>このように、天才たちは、自分のことを「誤解」してるだけでなく、
〉自分のことをうまく伝えられないため、却って「頭が悪い」と周囲
〉から「誤解」されることも多いのではないかと予想されます。

>そして、これは多読実践者に見られる天才たちも同じです。
>彼らは「自分の凄さ」が自覚できないだけでなく、自分と他者との
〉差を上手く伝えられないため、自分で自分のことを誤解するだけで
〉なく、他者にも誤解されてしまうことが多いように見受けられます。

>さらに、残念なことに、自分と異なる存在を排除しようとする同調
〉圧力は多読実践者にも存在します。その結果、多くの天才たちが、
〉悲しい誤解から「挫折」をし、静かに去っているという可能性も否
〉定できません。

>この論考が、そのような悲しい誤解を防ぐ一助となれば幸いです。

と、なるべく「ソフトな言い方」で述べたとおりです(苦笑)

ですから、はまこさんの「嘆きや苦しみがわかる」などと、軽々しく
口にする資格は私にはありません。

ただ、

「天才が凡人を理解できない」

のと同じか、それ以上に、

「凡人は天才を理解できない」

ということも理解して欲しいのです。

勿論、これは

「互いに理解する努力を放棄して良い」

という意味ではありません。

「相手が自分とは異なる感じ方・考え方をする『他者』である」

ということを「前提」に、少しずつ互いに歩み寄る地道な努力が必要
なのです。

>ただ、私のこと「天才」と言った慈幻さんは、あれだけ長い間やり取
〉りしている間、私のことをどう思いながら書き続けていたんだろうか
〉と思うと・・・

はい。そのように「誤解されてしまうような表現」をしてしまった自分
の拙い文章力については心から謝罪します。

しかし、

「はまこさんが私に理解してもらえないと感じている」

のと同じくらい、あるいはそれ以上に、

「私もはまこさんに理解してもらえなかったと感じた」

と想像しては頂けませんか?(苦笑)

>自分の中で気持ちの整理ができないまま書いたので、慈幻さんには一体
〉私が何を言いたかったのか分からないかもしれません。

全ては分かりませんが、はまこさんが、

「自分の孤独や悩みを過小評価されたこと」

に憤りを感じていることは強く伝わってきます。

ただ、でしたら、私が、ああして受け答えしている間、

「どれくらいはまこさんの才能に嫉妬を感じ、自分の才能のなさに絶望し
ていたのか」

ということを、少しでも想像して頂いてましたか?(苦笑)

このように、「他者理解」とは「非常に困難な作業」なのです。

そこでは「価値観」その他、様々な対立が顕わになり、「嫉妬」や「憤
り」といった「否定的感情」が出てくるのを避けることは出来ません。

しかし、それでも「他者理解」を、少しでも進めることを私は選びます。

「誤解」されようが、「憤り」をぶつけられようが、それだけの「覚悟」
があるからこそ、私は自分のトラウマも含めて、自分の考えを公開したか
らです。

それらを乗り越えて、多くの人が共有できる、「自己分析」や「他者理解」
の参考になる「理論モデル」が必要だと判断して、一連の投稿を続けたの
です。

以上、用件のみですが、今回はこれで失礼します。


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