[掲示板: 〈過去ログ〉音のこと何でも -- 最新メッセージID: 3373 // 時刻: 2024/11/25(07:47)]
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お名前: sakigoro
投稿日: 2005/6/7(22:52)
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レオナさん、こんばんは。 sakigoroと申します。
〉シャドーイングやLRを始めたいと思っている主な目的は、聴解力を身につけることと、発音・イントネーションをよくしたい、ということです。
〉特に、映画や海外ドラマが字幕なしで楽しめるようになりたい、というのがとても大きいです。
シャドーイングは、主にNPRのMorning Editionなどををインターネットラジオで聞きながら、
たまに、それも掲示板をながめたり、フリーセルをやったりしながらといった具合で、
適当にしかやっていないので、
とても参考になるようなアドバイスはできそうもありません。
だけど、私も念願だった洋画が、やっと字幕なしで楽しめるようになってきたので書き込んでみます。
私の場合は、上記のようなシャドーイングによる成果というよりも、
基本的には多聴により、聞く量が解決したということと、
並行してやった徹底的な多読、そして、英語学習意識の呪縛のようなものから開放されたことが大きな原因のように思います。
〉私は英語の資格試験用テキストなどの、リスニング問題はそこそこできるのですが、いざ、DVDなんかを字幕なしで見ると、‥‥さっぱりわからん!というのが実情です‥‥。
〉参考までに、ERだと、はっきり言って2パーセントくらいしか聴きとれません。自信をもって聞き取れてるといえるのは名前を呼びあってるところくらいでしょうか‥‥(汗)。話の筋が追えません。
〉フルハウス、またはフレンズだと、話の流れはわかります。30〜40パーセントくらいはわかるような気がしなくもない、という感じです。
ここらへんは、かつての私とまったく一緒です。
〉ニュース英語は、キャスター(アンカー?)が読み上げている部分はむしろ多少は(あくまで多少はですが)理解できます。逆に、町の人々へのインタビューとか、ゲスト同士の討論となると、まったく聞き取れません。
ここも一緒です。
私の場合は、もっと極端で、多読のおかげでかつては無理と思っていたAFNの放送がある程度わかるようになり、それに感激して、英語学習そのものにのめりこむようになったのはいいとしても、
洋画のハードルはとーーーーっても高かったのです。(実は、今だって、とても高い。)
APネットワークニュースのようなストレートニュースだと、ほとんどの場合、
内容を書き起こそうと思えば、前置詞や冠詞の一つ一つまで、完璧にできる自信が
あるのに、洋画だとチンプンカンプンなことが多く、
英語字幕なしでは、内容がわからないのが怖くて、見ることができないという状態が長く続いていました。
最近になって、完璧に理解できるわけではもちろんないですけど、やっと、思惑通り、
字幕なしで、「気楽」に洋画を見ることができるようになってきました。
ここにいたって感じるのは、洋画やドラマを聞いて理解できないのは、
人が言うほど、発音がくずれているせいではないということです。
もちろん、スクリプトをみて想像する音と、実際に発生される音との違いがあまりに大きすぎて、
こんなの一生かかってもわかるようになるわけないと思う例もありますが、
ほとんどの場合、慣れてしまえば、わかるようになる範囲。
私は、AFNのDJの喋りが、音としてなかなか捕らえることができなくて、イライラさせられた期間が長く続いたのですが、今ではほぼすべてわかります。
洋画のせりふが音として捉えられないというのも、ほとんど、この範囲内に
収まることが多いのではないでしょうか。
もう一つ思うのは、活字でみれば簡単な英語なのに、聞くとわからないと
いうことが良く言われますが、実際はそうでもないということ。
けっこう凝ったせりふ回しだったり、単純な文章のように見えても、たっぷりとした含みがあったりして、
活字で読んだって、理解するには、おいおい、ちょっと待ってくれといいたくなるようなせりふが多いのです。
洋画を理解するには、やはり徹底した多読と多聴しかないと思っています。
私の場合、多読はかなりやっていますが、多聴が足りなかった。
聞いて理解するにしても、慣れ親しんだ英語ニュースのようなものは良いとしても、
ちょっと理解をするのに緊張を強いられるような英語だと、音を捉えることの
方に神経が行きすぎ、多読ばかりやっていた活字人間の弊害か、そのやっとのことで捉えた英語を、頭の中で活字にして思い浮かべる始末。
音を聞いてストレートに理解できず、頭の中をテロップのように活字を流して、それができれば理解ができたように誤解していたことが多々あったように
思います。
こうした変な緊張は、活字人間の弊害といよりも、実は、変な英語学習意識による自縛だったのではと思います。
これを解消するのに役立ったのが、昨年末から聞くようになったオーディオブックでした。
PBのunabridged版を、月に2冊のペースでAudible.comで購入し、昨年末から聞くようになりました。
主に移動中にしか聞かず、気が散ったりして、筋が追えなくなると困ると思い、一度読了した作品ばかりを選んで聞くようにしています。
この選択が正解でした。
聞き取れなくても良い、歩行中で気がちって、内容を一部聞き逃しても構わないという、いい加減な聞き方が良かった。
おかげで、脳内テロップ現象が起こることもなく、それでも、中身がおもしろいので、思わず集中した聞く時間もけっこうあったりして、
音がストレートに理解に結びつく快感を味わっています。
そんないい加減聞きの延長のようなつもりで、テレビでやっていたマトリックスを
英語音声にしたら、音がストレートに耳に入ってきて、わかるわかるという快感でそのまま見続け、その内、映画そのものの面白さに引き込まれて、最後まで見終えることができました。
多読の果てに、APネットワークニュースが突然わかるようになった時ほどの感激はないですが、
それでも、とっても嬉しかったです。
今でも、映画が完全にわかるわけではないけど、遠い昔、理解は虫食い状態でも、
楽しくPBをSSS式に読み始めた時と同じくらいには、間違いなく楽しめています。
まとまりもなく長く書いてきましたが、言いたいことは、自分が聞いて楽しいと思うものを
構えることなく、幅広く、多読と並行して大量に聞いていくしかないのではということでした。
あまり参考にもならない、あたり前すぎるような話で申し訳ありません。
でも、やっぱり楽しく大量にしか、解決策はないのではないかと思うのです。
ではでは。
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