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お名前: たこ焼
投稿日: 2006/12/2(16:26)
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たびたび、どーも。たこ焼っす。
〉〉それにしても、「多読教」って・・・。
〉〉おそらく、
〉〉以前にどこかでそういう話があったんやね。
〉ン? ありましたっけ? (オフサイドトラップ)
「内にいる、いない」という言葉から、
「多読教の内にいる、いない」への連想が飛ぶか、あるいは、
「こころの内にいる、いない」へと連想が飛ぶかは、
あらかじめ各人が持っている「物語」に依存します。
たこ焼が持っていた「物語」は・・・
ユングってすごいなぁ
と感じる一方で、時どき、ちょっとした違和感のようなものを感じていたんですね。
う〜ん、何だろう?
と以前から想いを巡らしていたんですが、
どうやら、たこ焼の東洋人の側面が、「分ける」に対して反応していたようなんです。
(↓は、まゆにツバつけて読んでくださいね。)
*** 「分ける」とは、「憎しみ」・・か? 少なくともそうした側面があるなぁ・・。では、
*** 「分ける」方法とは、「いったん憎まないと愛せないものがある・・」ということ・・か。
*** う〜ん、確かにそういうこともあるんだけど、それだけじゃないんじゃ・・
*** う〜ん、日本人って、憎まないで愛に至ることもあるのでは?
*** う〜ん、う〜ん、う〜ん・・
*** こころを分けない方法もあるのか・・?
*** 「まるごとそのままのこころ」から出てくる全体性の感覚を拠り所にする?
*** 完全な分離を経ることなく、部分的な分離で統合にいたる・・・う〜ん・・
*** 部分的な分離・・「哀」?
*** もしかすると、「愛には哀がともなう・・哀をとおして愛・・」ということ・・かな?
*** う〜ん、う〜ん、う〜ん・・
というようなことを、この1年ぐらい考えておりましたー。
なので、たこ焼にとっては、
「内にいる、いない」→「こころの内にいる、いない」への連想は、
先にお話した「影の投影」の影響もあり、自然なものだったんです。
一方、掲示板が持っていた「物語」は・・・
たこ焼が読んでない投稿やさらっと流した投稿、あるいはオフ会とかで、
「多読」から「宗教」「新興宗教」への連想を強烈に印象つけるようなエピソードがあったんでしょう、おそらく。
ということで、たかぽんさんたちにとっては、
「内にいる、いない」→「多読教の内にいる、いない」への連想が自然だったんではないでしょうか。
う〜ん、ちがうのかなー。
「物語」が違えば、「内にいる、いない」という言葉の意味も異なる・・
これも、『言葉の最小単位は「物語」』の一例ですね。(笑)
(以上、先の勘違いの言い訳・・でしたー。笑)
〉〉〉とにかく、シンクロニシティーは、おもしろいように起こるので楽しんでいます。
〉〉〉しかし、有頂天にならず、その「意味」を「感じる」ようにせねばなりませんなあ・・・。
〉〉
〉〉シンクロニシティー(共時律)って、おもしろいよねー。
〉〉確かに不思議だけれども、今のたこ焼は、
〉〉因果律と同じように「当然なこと」として受け入れているなぁ。
〉すごい! ついて行きます、たこ師!
あははははははっはははh
でも、「師」はやめてー。(笑)
しょせんは直径3センチのちーっぽけな存在にすぎないのに、ぷくぷく膨らんで(自我肥大)、
直径3メートルぐらいになっちゃったら、美味しくなさそうだしー。(というか、不気味? 大笑)
〉でも、私もだんだんと、「当然なこと」として受け入れつつありますかねー。
〉個人的にきわめつけだったことがありまして、あるコーヒー屋さんで、
〉一人コーヒーを飲みながら、『神との対話』を読んでたときのことです。
〉隣のテーブルで、30〜40代の女性が二人、話をしてはりました。
〉本に集中してて、その話は聞いていなかったのですが、いきなり、
〉「自分が羊飼いになるしかないよな」
〉という言葉が聞こえてきました。
〉エッと思って、会話をよく聞いてみると、普通に、羊の飼育の話でした。
〉しかし・・・ そのとき読んでたのが、『神との対話』第2巻の19章の、
〉「最高の目標とは、創造者としての自分を知ることだ。」や、
〉「わたしについてのあなたの考えが変化させるのだ! すべてについての
〉あなたの考えが、すべてを変化させる— 一瞬に。」なんてくだりだったので、
〉すごくズキンとくる言葉でした。
〉数ヶ月たちますが、忘れられない体験でしたね。
〉(あの二人の女性は、何かそういう宗教の方で、ほうぼうでそのフレーズを
〉 言いまくっておられるのかもしれませんが・・・)
う〜ん、これはスゴイなぁ・・。強烈やなぁ。
そもそもシンクロニシティーって、個人的な「意味」が深〜く関わるから、
その時の感動をなかなか他人に伝えにくいものなんですが、
やはり同じく北北西に進む者同志、たかぽんさんの「ズキン」が
たこ焼にもよーーーく分かりますよ、ホント。
〉〉たこ焼が思うに、
〉〉シンクロニシティーの存在を受け入れると、
〉〉各個人と世界との、あるいは宇宙との「対話」が成り立つんだよねー。
〉あ、そういうことですねー。うーむ、至言なり。
でしょ?
あくまで想像なんですが、
人間以外の動物たちは、主に共時律で世界を見ているんだと思います。
おそらく、人間も太古ではそうだったんでしょう。
そんなときでないと、『易経』なんて書けないと思うんです。
あの頃の人たちにとっては、どちらかというと因果律の方が不思議だったのかもしれませんね。
ところが近代というものが、世界観から共時律を切り離してしまったんです。
しかーし、そのおかげで、人は因果律をしっかり意識できるようになった。
そして今、共時律を取り戻し、われわれは両方を意識できているわけです。
「より高次のひとつを創りだすために、あえて2つに分ける」
いったん分離した因果律と共時律。
この2つをあわせるとき、一体何が新しく生まれるのでしょうか?
楽しみですね。
〉〉それにしても、
〉〉今回の勘違いの「意味」は何かなぁ?(大笑)
〉何でしょうね? おしゃべりを続けるきっかけ?(呵呵)
かもねー。(呵大笑)
ではでは〜。
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お名前: たかぽん
投稿日: 2006/12/4(01:08)
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たこさん、どーもす。
いや〜、みなさん話きいてて、「わたし、ユングのこと何も知らんわ…」と思ふ、けふこのごろ…
〉(↓は、まゆにツバつけて読んでくださいね。)
〉*** 「分ける」とは、「憎しみ」・・か? 少なくともそうした側面があるなぁ・・。では、
〉*** 「分ける」方法とは、「いったん憎まないと愛せないものがある・・」ということ・・か。
〉*** う〜ん、確かにそういうこともあるんだけど、それだけじゃないんじゃ・・
〉*** う〜ん、日本人って、憎まないで愛に至ることもあるのでは?
〉*** う〜ん、う〜ん、う〜ん・・
〉*** こころを分けない方法もあるのか・・?
〉*** 「まるごとそのままのこころ」から出てくる全体性の感覚を拠り所にする?
〉*** 完全な分離を経ることなく、部分的な分離で統合にいたる・・・う〜ん・・
〉*** 部分的な分離・・「哀」?
〉*** もしかすると、「愛には哀がともなう・・哀をとおして愛・・」ということ・・かな?
〉*** う〜ん、う〜ん、う〜ん・・
〉というようなことを、この1年ぐらい考えておりましたー。
〉なので、たこ焼にとっては、
〉「内にいる、いない」→「こころの内にいる、いない」への連想は、
〉先にお話した「影の投影」の影響もあり、自然なものだったんです。
ほとんど理解していないのでありますが…
その上で大胆不敵な感想を漏らさせていただきますと、
私は、最近では、東洋と西洋という区別よりも、光が多いか陰が多いかの違いが大切で、
それは同じ人でも絶えず変化してるもの、っていう気がしてますね。
あー、すごくとんちんかんなことを言ってる気がするが…。
陰も、実はそれは実体ではなく、単に光が少ない状態なのですが。
だから、「光と陰」と、別物と言うこともできるし、連続的なもの(区別のないもの)という言い方もできるし。
そして、どちらも要らないものではない。光が多い状態を目指しているとは言えるだろうけれど、
ぜんぶ全き光だったら、光を認識できない。なので、宇宙(神?)は、光の少ない状態というものを作った。
かげのお「かげ」で、ひかりがわかる。
歴史は、絶えず光の集団と陰の軍団のバトルの繰り返しという言い方もできるけれど、
「バトル」という言い方そのものが、陰的な戦略で、光の光を減らす工作だったりする。
実は陰なんてものはない、と気づくことが重要で、そう気づくために陰がある。(陰って いい奴〜。(笑))
ひたすらに光を集め、あまねく照らし、照らしまくる、ことに専念すればよい。(enlightenment)
のかな? あ〜、ダン深夜オールナイト的支離滅裂・・・
〉一方、掲示板が持っていた「物語」は・・・
〉たこ焼が読んでない投稿やさらっと流した投稿、あるいはオフ会とかで、
〉「多読」から「宗教」「新興宗教」への連想を強烈に印象つけるようなエピソードがあったんでしょう、おそらく。
〉ということで、たかぽんさんたちにとっては、
〉「内にいる、いない」→「多読教の内にいる、いない」への連想が自然だったんではないでしょうか。
〉う〜ん、ちがうのかなー。
う〜ん。そう言われてみれば、そうなのかも。
少し前にですね、多読って何?ってことを、みんなであらためて考えてしまうような出来事がありまして、
それでいろいろまぁ、私は、「多読教」になるとまずいかなぁ、なんとなく排他的な態度を、
知らず知らずのうちに身につけてしまっていたかなぁと、少し反省するところがありまして、
なるべく「内」化しないようにと、意識か無意識か、思うようになったってことですかねぇ。
〉「物語」が違えば、「内にいる、いない」という言葉の意味も異なる・・
〉これも、『言葉の最小単位は「物語」』の一例ですね。(笑)
なるほど。納得です。(笑)
(なつかしー)
〉(以上、先の勘違いの言い訳・・でしたー。笑)
あ、そうやったん?(笑)
〉〉すごい! ついて行きます、たこ師!
〉
〉あははははははっはははh
〉でも、「師」はやめてー。(笑)
〉しょせんは直径3センチのちーっぽけな存在にすぎないのに、ぷくぷく膨らんで(自我肥大)、
〉直径3メートルぐらいになっちゃったら、美味しくなさそうだしー。(というか、不気味? 大笑)
あの柔らかさを維持して、直径3メートルになれますかねえ?
って、そういうことではないね。(笑)
〉〉「自分が羊飼いになるしかないよな」
〉う〜ん、これはスゴイなぁ・・。強烈やなぁ。
あっ。うれしいな(*^^*) 話してよかったな。
〉そもそもシンクロニシティーって、個人的な「意味」が深〜く関わるから、
〉その時の感動をなかなか他人に伝えにくいものなんですが、
〉やはり同じく北北西に進む者同志、たかぽんさんの「ズキン」が
〉たこ焼にもよーーーく分かりますよ、ホント。
うれしいな うれしいな(笑)
〉〉〉たこ焼が思うに、
〉〉〉シンクロニシティーの存在を受け入れると、
〉〉〉各個人と世界との、あるいは宇宙との「対話」が成り立つんだよねー。
〉〉あ、そういうことですねー。うーむ、至言なり。
〉でしょ?
ほんとに。
反対に、シンクロニシティーを通してしか、宇宙との「対話」は成り立たないかも。
〉あくまで想像なんですが、
〉人間以外の動物たちは、主に共時律で世界を見ているんだと思います。
〉おそらく、人間も太古ではそうだったんでしょう。
〉そんなときでないと、『易経』なんて書けないと思うんです。
〉あの頃の人たちにとっては、どちらかというと因果律の方が不思議だったのかもしれませんね。
なるほど!
全てに「意味」がある世界だったんでしょうね。 (あ、ちがうか…)
〉ところが近代というものが、世界観から共時律を切り離してしまったんです。
〉しかーし、そのおかげで、人は因果律をしっかり意識できるようになった。
〉そして今、共時律を取り戻し、われわれは両方を意識できているわけです。
〉「より高次のひとつを創りだすために、あえて2つに分ける」
〉いったん分離した因果律と共時律。
〉この2つをあわせるとき、一体何が新しく生まれるのでしょうか?
〉楽しみですね。
そうですね。
これまた、みんなが「楽しみ」にすればするほど、新しいものが生まれるんでしょうね。
〉〉〉それにしても、
〉〉〉今回の勘違いの「意味」は何かなぁ?(大笑)
〉〉何でしょうね? おしゃべりを続けるきっかけ?(呵呵)
〉
〉かもねー。(呵大笑)
読む人に それぞれの意味 ばらまけり (裸大将)
〉ではでは〜。
ではではでは〜。
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お名前: 杏樹
投稿日: 2006/12/5(00:27)
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たかぽん、ぽぽぽぽぽん!
すでにどこにどうレスつけていいかわからない状態ですが・・・。
〉ほとんど理解していないのでありますが…
〉その上で大胆不敵な感想を漏らさせていただきますと、
〉私は、最近では、東洋と西洋という区別よりも、光が多いか陰が多いかの違いが大切で、
〉それは同じ人でも絶えず変化してるもの、っていう気がしてますね。
〉あー、すごくとんちんかんなことを言ってる気がするが…。
〉陰も、実はそれは実体ではなく、単に光が少ない状態なのですが。
〉だから、「光と陰」と、別物と言うこともできるし、連続的なもの(区別のないもの)という言い方もできるし。
〉そして、どちらも要らないものではない。光が多い状態を目指しているとは言えるだろうけれど、
〉ぜんぶ全き光だったら、光を認識できない。なので、宇宙(神?)は、光の少ない状態というものを作った。
〉かげのお「かげ」で、ひかりがわかる。
〉歴史は、絶えず光の集団と陰の軍団のバトルの繰り返しという言い方もできるけれど、
〉「バトル」という言い方そのものが、陰的な戦略で、光の光を減らす工作だったりする。
〉実は陰なんてものはない、と気づくことが重要で、そう気づくために陰がある。(陰って いい奴〜。(笑))
〉ひたすらに光を集め、あまねく照らし、照らしまくる、ことに専念すればよい。(enlightenment)
〉のかな? あ〜、ダン深夜オールナイト的支離滅裂・・・
光と影は裏と表。両方あるのがこの世のしくみ。バリ舞踊の「バロン」では、聖獣バロンと魔女ランダが永遠に戦い続け、決着はつきません。最初にこの舞踊を見て解説を読んだときは「?」でしたが、今は素直に「そういうものかー」と思うようになりました。
そして影の世界は自分の心の中にあります。自分の心の影と戦うことこそが本当の意味での「影との戦い」ではないかと。「ゲド戦記」みたいですが。よしんば「影の陰謀」があったとしても、それにはめられてしまうのは所詮自分の心の弱さによるものです。
〉〉一方、掲示板が持っていた「物語」は・・・
〉〉たこ焼が読んでない投稿やさらっと流した投稿、あるいはオフ会とかで、
〉〉「多読」から「宗教」「新興宗教」への連想を強烈に印象つけるようなエピソードがあったんでしょう、おそらく。
〉〉ということで、たかぽんさんたちにとっては、
〉〉「内にいる、いない」→「多読教の内にいる、いない」への連想が自然だったんではないでしょうか。
〉〉う〜ん、ちがうのかなー。
〉う〜ん。そう言われてみれば、そうなのかも。
〉少し前にですね、多読って何?ってことを、みんなであらためて考えてしまうような出来事がありまして、
〉それでいろいろまぁ、私は、「多読教」になるとまずいかなぁ、なんとなく排他的な態度を、
〉知らず知らずのうちに身につけてしまっていたかなぁと、少し反省するところがありまして、
〉なるべく「内」化しないようにと、意識か無意識か、思うようになったってことですかねぇ。
特に「新興宗教」に結びつけるような投稿があったわけではないと思います。ただ、あまりにも「多読こそ英語学習の救世主」みたいな礼賛、「多読以外に道はない」と断言するような人はいたと思います、それを狂信的に受け止める人がいて、警戒心を働かせることもあったかもしれません。
とりあえずこんなもんで。
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お名前: たかぽん
投稿日: 2006/12/5(02:14)
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杏樹ぽん、ぽ・・・・・・・・ん!
〉すでにどこにどうレスつけていいかわからない状態ですが・・・。
雑談板化、すみません・・・。
〉〉ほとんど理解していないのでありますが…
〉〉その上で大胆不敵な感想を漏らさせていただきますと、
〉〉私は、最近では、東洋と西洋という区別よりも、光が多いか陰が多いかの違いが大切で、
〉〉それは同じ人でも絶えず変化してるもの、っていう気がしてますね。
〉〉あー、すごくとんちんかんなことを言ってる気がするが…。
〉〉陰も、実はそれは実体ではなく、単に光が少ない状態なのですが。
〉〉だから、「光と陰」と、別物と言うこともできるし、連続的なもの(区別のないもの)という言い方もできるし。
〉〉そして、どちらも要らないものではない。光が多い状態を目指しているとは言えるだろうけれど、
〉〉ぜんぶ全き光だったら、光を認識できない。なので、宇宙(神?)は、光の少ない状態というものを作った。
〉〉かげのお「かげ」で、ひかりがわかる。
〉〉歴史は、絶えず光の集団と陰の軍団のバトルの繰り返しという言い方もできるけれど、
〉〉「バトル」という言い方そのものが、陰的な戦略で、光の光を減らす工作だったりする。
〉〉実は陰なんてものはない、と気づくことが重要で、そう気づくために陰がある。(陰って いい奴〜。(笑))
〉〉ひたすらに光を集め、あまねく照らし、照らしまくる、ことに専念すればよい。(enlightenment)
〉〉のかな? あ〜、ダン深夜オールナイト的支離滅裂・・・
〉光と影は裏と表。両方あるのがこの世のしくみ。バリ舞踊の「バロン」では、聖獣バロンと魔女ランダが永遠に戦い続け、決着はつきません。最初にこの舞踊を見て解説を読んだときは「?」でしたが、今は素直に「そういうものかー」と思うようになりました。
〉そして影の世界は自分の心の中にあります。自分の心の影と戦うことこそが本当の意味での「影との戦い」ではないかと。「ゲド戦記」みたいですが。よしんば「影の陰謀」があったとしても、それにはめられてしまうのは所詮自分の心の弱さによるものです。
う〜ん。そこがですね・・・
むしろ戦い続けるから、決着がつかないのではないか、というか・・・
光と影が2つの別物だという思考が、では何が光で何が影かという議論、決めつけに、発展してしまうのではないか・・・
そういう、人類が陥りがちな思考に、いやいや違うんですよと言いに降りてきた代表的人物が、イエス様なのではないか・・・
などと思うんですね。
世の中、腹立つことや、不正だなーと思うことがいっぱいありますが、怒れば怒るほど、
戦おうとすればするほど、自分が疲弊していって、健康もそこなって、けっきょく、
「不正」は肥大していくという、わけわからん結果になります。
(その「不正」はほんとに不正だったのか?という混乱も生じます。)
そこで一番良いのは、怒らず戦わず、起こっていることにライトを当てる、よく見る、明らかにする。
自分の人生を大いに楽しむ。そして、難しいことですが、できれば、「敵」を愛する。
ということなんじゃないかと思うんですね。
「不正の主」に対して怒れば怒るほど、こちらが同調していって、光を無くしていって、
闇に力を与えて、「不正の主」を大喜びさせるだけ、のような気がするんです。
マハトマ・ガンジーのことはよく知りませんが、光を増やす、光を大きくすることだけに
専念された人なんじゃないかと思うんですね。とんだ誤解かもしれませんが・・・。
まあ、何でもいいんですけどね(^^) (ここまで語っておいて・・・)
〉〉〉一方、掲示板が持っていた「物語」は・・・
〉〉〉たこ焼が読んでない投稿やさらっと流した投稿、あるいはオフ会とかで、
〉〉〉「多読」から「宗教」「新興宗教」への連想を強烈に印象つけるようなエピソードがあったんでしょう、おそらく。
〉〉〉ということで、たかぽんさんたちにとっては、
〉〉〉「内にいる、いない」→「多読教の内にいる、いない」への連想が自然だったんではないでしょうか。
〉〉〉う〜ん、ちがうのかなー。
〉〉う〜ん。そう言われてみれば、そうなのかも。
〉〉少し前にですね、多読って何?ってことを、みんなであらためて考えてしまうような出来事がありまして、
〉〉それでいろいろまぁ、私は、「多読教」になるとまずいかなぁ、なんとなく排他的な態度を、
〉〉知らず知らずのうちに身につけてしまっていたかなぁと、少し反省するところがありまして、
〉〉なるべく「内」化しないようにと、意識か無意識か、思うようになったってことですかねぇ。
〉特に「新興宗教」に結びつけるような投稿があったわけではないと思います。ただ、あまりにも「多読こそ英語学習の救世主」みたいな礼賛、「多読以外に道はない」と断言するような人はいたと思います、それを狂信的に受け止める人がいて、警戒心を働かせることもあったかもしれません。
〉とりあえずこんなもんで。
フォローありがとうございます。
そうですね。でもやっぱり、酒ぽんや、SSSの皆さんのご尽力で爆発的に広まった「多読」は画期的ですし、
ある意味「救世主」とも言えるし、多読によって救われた!という人も多いですしね。
やってみない人にはわからないことだし、究極は、「とにかくやってみたらわかるよ!」という言うしかないんですが、
「とにかく入信したらわかるんだって!」という勧誘文句みたいで、痛し痒しでしたね・・・。
まあ、のんびりかまえて、まいりましょうね。 (なんだそのシメは・・・)
ではではぽん!
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お名前: 杏樹
投稿日: 2006/12/6(00:52)
------------------------------
たかぽん、ぽんぽこぽぽん!
〉〉光と影は裏と表。両方あるのがこの世のしくみ。バリ舞踊の「バロン」では、聖獣バロンと魔女ランダが永遠に戦い続け、決着はつきません。最初にこの舞踊を見て解説を読んだときは「?」でしたが、今は素直に「そういうものかー」と思うようになりました。
〉〉そして影の世界は自分の心の中にあります。自分の心の影と戦うことこそが本当の意味での「影との戦い」ではないかと。「ゲド戦記」みたいですが。よしんば「影の陰謀」があったとしても、それにはめられてしまうのは所詮自分の心の弱さによるものです。
〉う〜ん。そこがですね・・・
〉むしろ戦い続けるから、決着がつかないのではないか、というか・・・
〉光と影が2つの別物だという思考が、では何が光で何が影かという議論、決めつけに、発展してしまうのではないか・・・
おお、さすが。たかぽんはすでにそのような境地に達しているとは、恐れ入りました。
〉そういう、人類が陥りがちな思考に、いやいや違うんですよと言いに降りてきた代表的人物が、イエス様なのではないか・・・
〉などと思うんですね。
〉世の中、腹立つことや、不正だなーと思うことがいっぱいありますが、怒れば怒るほど、
〉戦おうとすればするほど、自分が疲弊していって、健康もそこなって、けっきょく、
〉「不正」は肥大していくという、わけわからん結果になります。
〉(その「不正」はほんとに不正だったのか?という混乱も生じます。)
〉そこで一番良いのは、怒らず戦わず、起こっていることにライトを当てる、よく見る、明らかにする。
〉自分の人生を大いに楽しむ。そして、難しいことですが、できれば、「敵」を愛する。
〉ということなんじゃないかと思うんですね。
〉「不正の主」に対して怒れば怒るほど、こちらが同調していって、光を無くしていって、
〉闇に力を与えて、「不正の主」を大喜びさせるだけ、のような気がするんです。
〉マハトマ・ガンジーのことはよく知りませんが、光を増やす、光を大きくすることだけに
〉専念された人なんじゃないかと思うんですね。とんだ誤解かもしれませんが・・・。
おおお〜〜〜。深遠なご高説、しかと拝受しました。
確かにたかぽん師は戦わない脱力系キャラですね。説得力があります。
〉まあ、何でもいいんですけどね(^^) (ここまで語っておいて・・・)
いえいえ、その脱力感がまたたかぽん師らしいです。
〉フォローありがとうございます。
〉そうですね。でもやっぱり、酒ぽんや、SSSの皆さんのご尽力で爆発的に広まった「多読」は画期的ですし、
〉ある意味「救世主」とも言えるし、多読によって救われた!という人も多いですしね。
〉やってみない人にはわからないことだし、究極は、「とにかくやってみたらわかるよ!」という言うしかないんですが、
〉「とにかく入信したらわかるんだって!」という勧誘文句みたいで、痛し痒しでしたね・・・。
やってみないとわからないんですよねえ。職場にフランス語の勉強をしてる人がいるんですが、多読の話をしてもあまり乗ってくれません。「辞書は引かない」というと、間違って覚えるといけないから確認しないと・・・と言われました。辞書を引かないのに感覚がわかってくる、と言うのが特に説明しにくいです。
〉まあ、のんびりかまえて、まいりましょうね。 (なんだそのシメは・・・)
いえいえ、そこがたかぽんぽん。
〉ではではぽん!
ぽぽん!
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お名前: ako
投稿日: 2006/12/6(22:37)
------------------------------
ゾロたか杏スター(※)、…じゃなくて、ゾロアスター教の問答を聞いているような錯覚がして目が回りますた…(@@)
子曰く、師、老師アリ、ここは竹林か、砂漠か、ペルシアの洞窟か。。。。
あっ、杏樹さん、ゴメン!
あとちょっとだから待ってて(笑)
※「ゾロ目たかぽんと杏樹さん」を無理矢理省略した言い方
「たかたこ」に比べると、激しく見劣り(爆)
PS はまこさん、モーレツに感動中… 再読必須です… つぁぃちぇん…
------------------------------
akoさま、こんばんは。 (はまこさま、あらためてお返事したいので、また!)
〉ゾロたか杏スター(※)、…じゃなくて、ゾロアスター教の問答を聞いているような錯覚がして目が回りますた…(@@)
〉子曰く、師、老師アリ、ここは竹林か、砂漠か、ペルシアの洞窟か。。。。
akoさま、あんたって人は・・・
昨日、「第六感」の本の最後のほうを読んでたらね、
最後の最後にツァラトゥストラが引用されててね・・・
いい言葉だから引用しようと思ってたのさ・・・
(あんたって人は・・・)
私は、踊ることができる神だけを信じるだろう。
私が悪魔を見たとき、悪魔は、まじめで、完璧で、深遠で、厳かだった。
それは、重力の霊であった。それによって、すべてのものが落ちる。
これを殺すのは、怒りではなく、笑いである。
さあ、重力の霊を殺そう。
私は、歩くことを学んだ。それ以来、軽やかに駆けている。
私は、飛ぶことを学んだ。それ以来、動くようにと人に押される必要はない。
今、私は軽い。今、私は飛ぶ。今、私は自分自身を私の下に見る。
今、神は私を通して踊っている。
(ソニア・ショケット著 奥野節子訳『第六感 ひらめきと直感のチャンネルを開く方法』p.296)
〉あっ、杏樹さん、ゴメン!
〉あとちょっとだから待ってて(笑)
〉※「ゾロ目たかぽんと杏樹さん」を無理矢理省略した言い方
〉 「たかたこ」に比べると、激しく見劣り(爆)
努力のあと、見えます(爆)
〉PS はまこさん、モーレツに感動中… 再読必須です… つぁぃちぇん…
うん。感動した。いろんな思いがぐるぐる発生して渦巻いてますわ〜。
では!
------------------------------
杏ぽこぽこぽこ!
〉〉〉光と影は裏と表。両方あるのがこの世のしくみ。バリ舞踊の「バロン」では、聖獣バロンと魔女ランダが永遠に戦い続け、決着はつきません。最初にこの舞踊を見て解説を読んだときは「?」でしたが、今は素直に「そういうものかー」と思うようになりました。
〉〉〉そして影の世界は自分の心の中にあります。自分の心の影と戦うことこそが本当の意味での「影との戦い」ではないかと。「ゲド戦記」みたいですが。よしんば「影の陰謀」があったとしても、それにはめられてしまうのは所詮自分の心の弱さによるものです。
〉〉う〜ん。そこがですね・・・
〉〉むしろ戦い続けるから、決着がつかないのではないか、というか・・・
〉〉光と影が2つの別物だという思考が、では何が光で何が影かという議論、決めつけに、発展してしまうのではないか・・・
〉おお、さすが。たかぽんはすでにそのような境地に達しているとは、恐れ入りました。
いえ、ぜんぜん至らぬ人間なのですが・・・。
でも、なんか、世界を見ていると(って、そんな知らんですけど・・)、
善と悪とか、決めつければ決めつけるほど、良くなるどころか、話がこじれてますやんかー。
そういうのを見るとねー。
〉〉そういう、人類が陥りがちな思考に、いやいや違うんですよと言いに降りてきた代表的人物が、イエス様なのではないか・・・
〉〉などと思うんですね。
〉〉世の中、腹立つことや、不正だなーと思うことがいっぱいありますが、怒れば怒るほど、
〉〉戦おうとすればするほど、自分が疲弊していって、健康もそこなって、けっきょく、
〉〉「不正」は肥大していくという、わけわからん結果になります。
〉〉(その「不正」はほんとに不正だったのか?という混乱も生じます。)
〉〉そこで一番良いのは、怒らず戦わず、起こっていることにライトを当てる、よく見る、明らかにする。
〉〉自分の人生を大いに楽しむ。そして、難しいことですが、できれば、「敵」を愛する。
〉〉ということなんじゃないかと思うんですね。
〉〉「不正の主」に対して怒れば怒るほど、こちらが同調していって、光を無くしていって、
〉〉闇に力を与えて、「不正の主」を大喜びさせるだけ、のような気がするんです。
〉〉マハトマ・ガンジーのことはよく知りませんが、光を増やす、光を大きくすることだけに
〉〉専念された人なんじゃないかと思うんですね。とんだ誤解かもしれませんが・・・。
〉おおお〜〜〜。深遠なご高説、しかと拝受しました。
〉確かにたかぽん師は戦わない脱力系キャラですね。説得力があります。
いや、実は、ものすごく短気で、怒りっぽくて、「瞬間湯沸かし器」なんです・・・。
こういふ人に私はなりたい、っていう願望です。
〉〉まあ、何でもいいんですけどね(^^) (ここまで語っておいて・・・)
〉いえいえ、その脱力感がまたたかぽん師らしいです。
あー、油断してたら師になってもた・・
〉〉フォローありがとうございます。
〉〉そうですね。でもやっぱり、酒ぽんや、SSSの皆さんのご尽力で爆発的に広まった「多読」は画期的ですし、
〉〉ある意味「救世主」とも言えるし、多読によって救われた!という人も多いですしね。
〉〉やってみない人にはわからないことだし、究極は、「とにかくやってみたらわかるよ!」という言うしかないんですが、
〉〉「とにかく入信したらわかるんだって!」という勧誘文句みたいで、痛し痒しでしたね・・・。
〉やってみないとわからないんですよねえ。職場にフランス語の勉強をしてる人がいるんですが、多読の話をしてもあまり乗ってくれません。「辞書は引かない」というと、間違って覚えるといけないから確認しないと・・・と言われました。辞書を引かないのに感覚がわかってくる、と言うのが特に説明しにくいです。
うーん。典型的な勉強家の方ですね。そういう方法が合う人もいるのかなあ・・・。
〉〉まあ、のんびりかまえて、まいりましょうね。 (なんだそのシメは・・・)
〉いえいえ、そこがたかぽんぽん。
おおきに(?)。ぽんぽん。
〉〉ではではぽん!
〉ぽぽん!
ぽん!