師は伝へしや?

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8897. 師は伝へしや?

お名前: たかぽん
投稿日: 2006/12/5(02:14)

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杏樹ぽん、ぽ・・・・・・・・ん!

〉すでにどこにどうレスつけていいかわからない状態ですが・・・。

雑談板化、すみません・・・。

〉〉ほとんど理解していないのでありますが…
〉〉その上で大胆不敵な感想を漏らさせていただきますと、
〉〉私は、最近では、東洋と西洋という区別よりも、光が多いか陰が多いかの違いが大切で、
〉〉それは同じ人でも絶えず変化してるもの、っていう気がしてますね。
〉〉あー、すごくとんちんかんなことを言ってる気がするが…。
〉〉陰も、実はそれは実体ではなく、単に光が少ない状態なのですが。
〉〉だから、「光と陰」と、別物と言うこともできるし、連続的なもの(区別のないもの)という言い方もできるし。
〉〉そして、どちらも要らないものではない。光が多い状態を目指しているとは言えるだろうけれど、
〉〉ぜんぶ全き光だったら、光を認識できない。なので、宇宙(神?)は、光の少ない状態というものを作った。
〉〉かげのお「かげ」で、ひかりがわかる。
〉〉歴史は、絶えず光の集団と陰の軍団のバトルの繰り返しという言い方もできるけれど、
〉〉「バトル」という言い方そのものが、陰的な戦略で、光の光を減らす工作だったりする。
〉〉実は陰なんてものはない、と気づくことが重要で、そう気づくために陰がある。(陰って いい奴〜。(笑))
〉〉ひたすらに光を集め、あまねく照らし、照らしまくる、ことに専念すればよい。(enlightenment)
〉〉のかな? あ〜、ダン深夜オールナイト的支離滅裂・・・

〉光と影は裏と表。両方あるのがこの世のしくみ。バリ舞踊の「バロン」では、聖獣バロンと魔女ランダが永遠に戦い続け、決着はつきません。最初にこの舞踊を見て解説を読んだときは「?」でしたが、今は素直に「そういうものかー」と思うようになりました。
〉そして影の世界は自分の心の中にあります。自分の心の影と戦うことこそが本当の意味での「影との戦い」ではないかと。「ゲド戦記」みたいですが。よしんば「影の陰謀」があったとしても、それにはめられてしまうのは所詮自分の心の弱さによるものです。

う〜ん。そこがですね・・・
むしろ戦い続けるから、決着がつかないのではないか、というか・・・
光と影が2つの別物だという思考が、では何が光で何が影かという議論、決めつけに、発展してしまうのではないか・・・
そういう、人類が陥りがちな思考に、いやいや違うんですよと言いに降りてきた代表的人物が、イエス様なのではないか・・・
などと思うんですね。
世の中、腹立つことや、不正だなーと思うことがいっぱいありますが、怒れば怒るほど、
戦おうとすればするほど、自分が疲弊していって、健康もそこなって、けっきょく、
「不正」は肥大していくという、わけわからん結果になります。
(その「不正」はほんとに不正だったのか?という混乱も生じます。)
そこで一番良いのは、怒らず戦わず、起こっていることにライトを当てる、よく見る、明らかにする。
自分の人生を大いに楽しむ。そして、難しいことですが、できれば、「敵」を愛する。
ということなんじゃないかと思うんですね。
「不正の主」に対して怒れば怒るほど、こちらが同調していって、光を無くしていって、
闇に力を与えて、「不正の主」を大喜びさせるだけ、のような気がするんです。
マハトマ・ガンジーのことはよく知りませんが、光を増やす、光を大きくすることだけに
専念された人なんじゃないかと思うんですね。とんだ誤解かもしれませんが・・・。

まあ、何でもいいんですけどね(^^) (ここまで語っておいて・・・)


〉〉〉一方、掲示板が持っていた「物語」は・・・

〉〉〉たこ焼が読んでない投稿やさらっと流した投稿、あるいはオフ会とかで、
〉〉〉「多読」から「宗教」「新興宗教」への連想を強烈に印象つけるようなエピソードがあったんでしょう、おそらく。
〉〉〉ということで、たかぽんさんたちにとっては、
〉〉〉「内にいる、いない」→「多読教の内にいる、いない」への連想が自然だったんではないでしょうか。
〉〉〉う〜ん、ちがうのかなー。

〉〉う〜ん。そう言われてみれば、そうなのかも。
〉〉少し前にですね、多読って何?ってことを、みんなであらためて考えてしまうような出来事がありまして、
〉〉それでいろいろまぁ、私は、「多読教」になるとまずいかなぁ、なんとなく排他的な態度を、
〉〉知らず知らずのうちに身につけてしまっていたかなぁと、少し反省するところがありまして、
〉〉なるべく「内」化しないようにと、意識か無意識か、思うようになったってことですかねぇ。

〉特に「新興宗教」に結びつけるような投稿があったわけではないと思います。ただ、あまりにも「多読こそ英語学習の救世主」みたいな礼賛、「多読以外に道はない」と断言するような人はいたと思います、それを狂信的に受け止める人がいて、警戒心を働かせることもあったかもしれません。

〉とりあえずこんなもんで。

フォローありがとうございます。
そうですね。でもやっぱり、酒ぽんや、SSSの皆さんのご尽力で爆発的に広まった「多読」は画期的ですし、
ある意味「救世主」とも言えるし、多読によって救われた!という人も多いですしね。
やってみない人にはわからないことだし、究極は、「とにかくやってみたらわかるよ!」という言うしかないんですが、
「とにかく入信したらわかるんだって!」という勧誘文句みたいで、痛し痒しでしたね・・・。

まあ、のんびりかまえて、まいりましょうね。 (なんだそのシメは・・・)

ではではぽん!


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