哀愁デート

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8869. 哀愁デート

お名前: たこ焼
投稿日: 2006/12/2(16:26)

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たびたび、どーも。たこ焼っす。


〉〉それにしても、「多読教」って・・・。
〉〉おそらく、
〉〉以前にどこかでそういう話があったんやね。

〉ン? ありましたっけ? (オフサイドトラップ)


「内にいる、いない」という言葉から、
「多読教の内にいる、いない」への連想が飛ぶか、あるいは、
「こころの内にいる、いない」へと連想が飛ぶかは、
あらかじめ各人が持っている「物語」に依存します。

たこ焼が持っていた「物語」は・・・

ユングってすごいなぁ
と感じる一方で、時どき、ちょっとした違和感のようなものを感じていたんですね。
う〜ん、何だろう?
と以前から想いを巡らしていたんですが、
どうやら、たこ焼の東洋人の側面が、「分ける」に対して反応していたようなんです。

(↓は、まゆにツバつけて読んでくださいね。)

*** 「分ける」とは、「憎しみ」・・か? 少なくともそうした側面があるなぁ・・。では、
*** 「分ける」方法とは、「いったん憎まないと愛せないものがある・・」ということ・・か。
*** う〜ん、確かにそういうこともあるんだけど、それだけじゃないんじゃ・・
*** う〜ん、日本人って、憎まないで愛に至ることもあるのでは?
*** う〜ん、う〜ん、う〜ん・・
*** こころを分けない方法もあるのか・・?
*** 「まるごとそのままのこころ」から出てくる全体性の感覚を拠り所にする?
*** 完全な分離を経ることなく、部分的な分離で統合にいたる・・・う〜ん・・
*** 部分的な分離・・「哀」?
*** もしかすると、「愛には哀がともなう・・哀をとおして愛・・」ということ・・かな?
*** う〜ん、う〜ん、う〜ん・・

というようなことを、この1年ぐらい考えておりましたー。
なので、たこ焼にとっては、
「内にいる、いない」→「こころの内にいる、いない」への連想は、
先にお話した「影の投影」の影響もあり、自然なものだったんです。



一方、掲示板が持っていた「物語」は・・・

たこ焼が読んでない投稿やさらっと流した投稿、あるいはオフ会とかで、
「多読」から「宗教」「新興宗教」への連想を強烈に印象つけるようなエピソードがあったんでしょう、おそらく。
ということで、たかぽんさんたちにとっては、
「内にいる、いない」→「多読教の内にいる、いない」への連想が自然だったんではないでしょうか。
う〜ん、ちがうのかなー。



「物語」が違えば、「内にいる、いない」という言葉の意味も異なる・・
これも、『言葉の最小単位は「物語」』の一例ですね。(笑)


(以上、先の勘違いの言い訳・・でしたー。笑)


〉〉〉とにかく、シンクロニシティーは、おもしろいように起こるので楽しんでいます。
〉〉〉しかし、有頂天にならず、その「意味」を「感じる」ようにせねばなりませんなあ・・・。
〉〉
〉〉シンクロニシティー(共時律)って、おもしろいよねー。
〉〉確かに不思議だけれども、今のたこ焼は、
〉〉因果律と同じように「当然なこと」として受け入れているなぁ。

〉すごい! ついて行きます、たこ師!


あははははははっはははh
でも、「師」はやめてー。(笑)
しょせんは直径3センチのちーっぽけな存在にすぎないのに、ぷくぷく膨らんで(自我肥大)、
直径3メートルぐらいになっちゃったら、美味しくなさそうだしー。(というか、不気味? 大笑)


〉でも、私もだんだんと、「当然なこと」として受け入れつつありますかねー。
〉個人的にきわめつけだったことがありまして、あるコーヒー屋さんで、
〉一人コーヒーを飲みながら、『神との対話』を読んでたときのことです。
〉隣のテーブルで、30〜40代の女性が二人、話をしてはりました。
〉本に集中してて、その話は聞いていなかったのですが、いきなり、

〉「自分が羊飼いになるしかないよな」

〉という言葉が聞こえてきました。
〉エッと思って、会話をよく聞いてみると、普通に、羊の飼育の話でした。
〉しかし・・・ そのとき読んでたのが、『神との対話』第2巻の19章の、
〉「最高の目標とは、創造者としての自分を知ることだ。」や、
〉「わたしについてのあなたの考えが変化させるのだ! すべてについての
〉あなたの考えが、すべてを変化させる— 一瞬に。」なんてくだりだったので、
〉すごくズキンとくる言葉でした。
〉数ヶ月たちますが、忘れられない体験でしたね。
〉(あの二人の女性は、何かそういう宗教の方で、ほうぼうでそのフレーズを
〉 言いまくっておられるのかもしれませんが・・・)


う〜ん、これはスゴイなぁ・・。強烈やなぁ。

そもそもシンクロニシティーって、個人的な「意味」が深〜く関わるから、
その時の感動をなかなか他人に伝えにくいものなんですが、
やはり同じく北北西に進む者同志、たかぽんさんの「ズキン」が
たこ焼にもよーーーく分かりますよ、ホント。


〉〉たこ焼が思うに、
〉〉シンクロニシティーの存在を受け入れると、
〉〉各個人と世界との、あるいは宇宙との「対話」が成り立つんだよねー。

〉あ、そういうことですねー。うーむ、至言なり。


でしょ?

あくまで想像なんですが、
人間以外の動物たちは、主に共時律で世界を見ているんだと思います。
おそらく、人間も太古ではそうだったんでしょう。
そんなときでないと、『易経』なんて書けないと思うんです。
あの頃の人たちにとっては、どちらかというと因果律の方が不思議だったのかもしれませんね。

ところが近代というものが、世界観から共時律を切り離してしまったんです。
しかーし、そのおかげで、人は因果律をしっかり意識できるようになった。
そして今、共時律を取り戻し、われわれは両方を意識できているわけです。

「より高次のひとつを創りだすために、あえて2つに分ける」

いったん分離した因果律と共時律。
この2つをあわせるとき、一体何が新しく生まれるのでしょうか?
楽しみですね。


〉〉それにしても、
〉〉今回の勘違いの「意味」は何かなぁ?(大笑)

〉何でしょうね? おしゃべりを続けるきっかけ?(呵呵)


かもねー。(呵大笑)

ではでは〜。


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