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お名前: ako
投稿日: 2006/10/27(01:05)
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ひいらぎさん、ひいらぎ、柊、お、漢字変換、出た。柊さん、こんにちは、akoです。
もしかして、じかにご返答するのは初めまして?なのかしらん。
いつも世界史クラブでお名前を拝見してるので、
(というか、柊さんは世界史クラブの強力メンバーです)
初めまして、という気がしないもので、はっきりしなくてすみません。
長文の投稿、じっくり拝見しました。
他の方とのやり取りも全部読ませて頂いて、少しずつ、柊さんの人となりを自分の中にイメージしているところです。ここに時間をかけないと、誠意あるご返答ができないワタクシなもので、もう少し、ご返答投稿するのにはお時間を頂こうと思ったのですが…。
どーーーーうしてもここだけは先に一言お伝えしたい部分があったので、
今回、ちょっと予約という形を取らせて頂いて、先にそこだけ投稿させてください。
〉 転機だったなあと思うのは、趣味の広場でakoさんの書いたファンレターを読んだら、すらすら読めたことです。
〉 読めるし、意味わかるし、読んでて楽しいし、というわけで、英語が駄目なのではなく、やっぱりものによるということが確認できました。
もう、この一段を拝見いたしまして、どうしてもお礼を言わねば!と思いまして。
あの、ミスも多いだろうと思われる英文が…
「日本人の書いた不自然な英文など見たくない」と言われそうな気がしてしまうという、タチの悪い被害妄想をどうしても払拭しきれないまま、ビビリながら投稿したあの英文が…
柊さんの転機になったと伺って…(しかも読んでて楽しいとまで…)
今、一番言いたい一言を是非、言わせていただけますでしょうか・・・
初めましてかもしれない柊さんに、このようなことして、果たして笑ってお許しいただけるかどうか不明なので、不安なのですが… あくまでお礼の気持ちです…
(ちょっと昔に流行ったある作品のセリフでございますの、、、
柊さんがご存知でなかったら申し訳ないのですが…
どうかご存知であられますよう…、笑って息抜きだけでもしていただけますよう…)
では、行きます。。。バンジージャンプする直前の気分…(しーん)
花形ひいらぎ君、オレは今、猛烈に感動している〜〜〜〜〜〜〜!!!(TT)涙涙
酒井先生の言う多読で英語やってて良かった…。
…お騒がせ、失礼いたしました。
今よんでるヘンリー8世はお元気ですか?
では後日また投稿いたします。
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後日がやってまいりました。
柊さん、こんばんは、akoです。とっても遅いご返答投稿すみませんでした。
酒井先生へのご返答などを拝見して、すでに「そうか、そうか。何だか自信がつきました」と書かれておられるし、語数カウントも、読んだ本のタイトル記録もやめることにした、とありましたので、すでに今さら何を、…な状態のakoですが…(汗)
停滞について、自分もこの機会に振り返ってみようと思ったのと、
柊さんとお話する機会をいただいたと思って書いてるのも半分なので、
他の方と重複してたり、今ごろ言われてもな〜、みたいなことがあるかもしれませんが、ご容赦くださいね。
柊さんは、ほんとに読書家なんですね。
日本の作家について書かれた部分など、わくわくして読ませていただいちゃいました。
マニアック、と謙遜されてますが、そんなことないですよ。
読書に限らず、好きなジャンルがある人間なら、わかります。
細部こそ、楽しさの源泉ですもの。
〉 最近の読書傾向としては、一冊読み切ることが少ない。1日目は結構読んでいたのが、2日目には面白くない気がしてくる。
それで、投げる。投げるんだけれども、明日辺りは読む気になるかも、と未練たらたら。
そういう状態、わたしも経験あります。
ただ、そういう状態を停滞だとは感じませんでした。
明日あたり読む気になるなら、十分に「多読続行中」と考えるようです。
〉 日本語の新聞も妙に読みにくくて、記事によってYLが違うということを痛感しています。子どもの頃新聞を読むようになって、徐々に読める記事が増えたのですが、その順番とほぼ一致しているようです。日本語でYLを気にしたのは、初めてのような気がします。
これは大発見でしょう!!!!
日本でずっと育ってきたなら、日本語のものなら何でも読めるはず、と思いきや、全然そんなことはない。
日本語で同じことが書いてある記事でも、読みやすい文章と、そうでない文章とありますね。
書き手の、緩急自在のスピード感そのままに読める、快適な日本語を読むときの爽快感ったらないです!
以下も日本語の話ですが、新聞に署名記事が増えて以来よく思うのは、
「あぁ〜、この記事いいわぁ〜、アタシ好み」って思って、ふと記者名を見ると、「あ!またあの人!」ってことがよくあります。
しまいには、読んだだけで、記者名を当てることができる時もあるほどです。
これはさすがに自分でも不思議に思い、どうしてわかるのか真面目に考えたことがあります。思ったのは、書き手の違いを引き立たせるものは、文体だけじゃないってことでした。
新聞記事だから、小説と違って、文体の差は実はそれほど大きくなくて、
取り上げるジャンルや内容が、その書き手の好み(それも一種の個性なんでしょうね)、
さらに、同じジャンルでも、見方の角度に個性が出るなぁ、という点でした。
その書き手の個性が自分に合うと、読むのが最高に楽しい。
新聞記者になる人というのは、もともと文章力がある人が、
さらに記者になって、鍛えられて書いてるはず。
それでも、そのように違いが出てくるんだから、個人個人の文章の特徴って、ほんとにあるんだなぁ〜
ましてや、作家なら…というところかな〜、と。
日本語も英語も、個性の相性があるという点では同じかな〜と(英語はまだ不明なので)予想してます。
〉 それでいて、京極夏彦の新刊(800ページ。今回は読みにくいと父は言っていた)は全く苦労せず読破しているので、興味の有無が問題なのか、京極夏彦の文章が読み易い(!)文章なのか、なんだかよくわかりませんが。
京極氏の世界(内容も文体も、好みの語彙も)に深く馴染んでおられる証拠ですね。
わたしも好きな作家がいるので、わかります。(京極氏は読んだことないんですが)
〉 全く読まなかったわけではなく、未読本の山から手に取った本をちらと見て、これは読めない、これは読みたくない、これはめんどくさい、と投げ続ける日々が続きました。投げるまでに1ページも読んでいません。数行でやめていました。
いよいよ英語の話ですね。
ありますありますー、そういうこと。しょっちゅうです。
で、結局、次々YLを下げて、ラクラク読めそうなものばかり選んでます。
が、
そんな日々の合い間に、以前あきらめたまま放置していた、ちょっとだけYLの高いものを眺めてみると、
あらららららららら、とサラッと読めたりするから、多読って不思議です。
私の場合、この「不思議感」が支えだったりしますので、
「この本、読めないな」と思うことはあっても、多読自体が停滞、という感じは受けたことがありません。
本当の停滞、つまり読書なんてできない時ってのは、片想いの恋に身をやつす時くらいかしらん…
もちろん、レイモンド・カーヴァーなどは原書に触ったこともないため、
私の読んでいるレベルが、柊さんが問題にしているレベルとはお話にならないことも原因かもしれません。
今のところ、好きな内容であるかどうかはあまり問わず、
「児童書英語が読める」というだけで、まだ満足できてしまう心境です。
いつかは柊さんと同じようなことに悩むのかしら。。。
〉 この本は面白いというのはあまり難しくないけど、この本は面白くないと言うのは、とても難しいということです。
〉 大江健三郎とかになると違う気がするんですが、シドニー・シェルダンに該当する作家が日本で誰かと考えた時、誰であろうと多分、その人の本を1,2ページしか読まないで「これ、面白くない」と言って、「あの作家は面白くない」って、平気で言うだろうなあと。それが英語になると、少なくとも私は、読めないとは言えても、面白くないとは言いにくいだろうと思います。
【「訂正」として柊さんが書いた追加した部分】
>日本語だと、作者の意図がわからずに面白くなかったと感じても、「わかりやすく書け」と思って気にしないのに、
>英語だと、誤読じゃないかとか、英語力不足かと考えてしまうのはなぜだろうか、と、書きたかったのです。
そうそう。あるある。
わたしは、この原因、自分に関しては、英語に対する劣等意識だと思ってます。
今も、この劣等意識がなかなか消えません。
これに対する自分の解決策はこれです。もう心も決めてます。
つまらない、くだらない、読んで損した、と思うほどの英語の本や雑誌を読もうと思います。
多読開始からこれまで、読んだこともない楽しい絵本、児童書を楽しんできました。
おかげでずいぶん、英語に対するスタンスだけは変わりました。
楽しんで読めるものだけを選んで読んでいくことはできる、ということが明確になっただけでも、相当、得るものはあったと思っています。
しかし、まだ足りないものがあることに、柊さんの報告を読んで気づきました。
過度なキリン読みに挑戦すると、わたしも、上記のような気持ちの時がありますもの(英語だと、誤読じゃないかとか、英語力不足かと考えてしまう、という気持ち)
そこで自分向けに考えた方法はこうです。
「つまらなかったらやめる」のSSS多読原則を裏切るという荒療治です。
敢えて「つまんねー」と思って罵倒しながら英語を読んでやろうと思います。
そうです、歪んでます。
歪んだ劣等意識を、10代の頃から学校で刷り込まれてきたんですから、取り去るのは時間がかかるの覚悟してるんです。
学校英語歴10年ですが、多読歴はまだ2年半です。
自分の劣等意識が、2年や3年で簡単に払拭できるほど簡単なものとは思ってないです。
「なーーんだ、どってことねーなー」と思うものと、
「読みたい・楽しい・素晴らしい」と思うものと、
同時並行で読もうと思います。
学校英語勉強では、「つまんない」も「楽しい」もなかったので、
「つまんない」ことさえも新鮮です。
そうした果てに、日本語の本でなら即断できる「この本、つまんない」「読む必要なし」という、冷酷かつ一刀両断(実はいい気分)な評価を、
英語の本でも下せるようになるのでは、と思ってるんです。(淡い期待…)
>途中で投げた作家が、amazonで評判がいいと、つい「ここがこうで、こうだから面白くなかった」とわざわざ考えてしまったこともありました。
>多分、勉強モードになるのだろうなと、今は思います。
ふっふっふ、柊さんもなかなかスジガネ入りではありませんか。
なんだか嬉しくなってきました。(ちょっと倒錯してるかしら)
〉 漢字の読みを当てるクイズ番組で、最後の方はレベルが上がるから、読み方を知らないし今までの読書人生で出会ったこともない漢字が出てくるんですが、
窶すとか勾引すとか橇とかでしょうか(←この投稿のために調べた(汗)、ぜぃぜぃ…、レベル不明)
読めるけれど書けなくてもいい代表選手だと、薔薇、鬱、檸檬とかね、何かドラマ〜。
>アルクの単語力テストで知らない単語を見ると、「読書量が足りないか」と反省してしまいます。
わかりますわぁ。英語だと、「知らなくていい」ものがわからないですもんね。
とっても同意。
でも、だからこそ、児童書読書に意義があると思うんです。
〉 実際、読書量が日本語と英語で桁がいくつも違うわけですが、それにしても、大分感覚が違うと思います。
う…、そこは…、「それにしても」と言ってしまうと、辛くなる気がします。
読んできた量の桁がいくつも違うからこそ、その違いに比例して、感覚もだいぶ違って当たり前なんだと考えるほうが、気持ちがラクになると思いますが、いかがでしょうか…。
〉 暇な時にどんぶり勘定で計算したら、日本語の読書量を英語に換算すると、年間三千万語になる(1冊5万語×600)、という結果になったので、しょうがない気もしますが。
うわぁ〜、柊さんて凄い!
自分の日本語読書量なんて考えたこともなかったです。
〉 ちなみに、その最終日に読んだ部分に関しては、本を読んでいたという意識も薄いぐらいで、その世界にどっぷり浸り、主人公になりきって色々話しかけられたり見たりした気がして、紙に書いてある文章を見た覚えがありません。英語の表現を覚えようとか、そういう意味では、全く役に立たない気がします。学習ではない、読書の醍醐味かと思います。日本語でもまず覚えがないです。
〉 これを、ランニング・ハイに倣い、リーディング・ハイと名付けてみたいんですが、誰も使わないかもしれない。
すでに、そういう状態になったことを書かれた投稿、過去にもありましたよー。
わたしはその方への返答で、マラソンランナーのランナーズ・ハイに例えて、
同じようなことが多読でも起きているんですね〜、と書いたことがあります。
それと、先日、私自身が英語ファンレターを書いた件も、
今おもうと、自分が書いた英文ってあまり覚えてません。
とにかく、本が面白かった!これを言いたい!という気持ち先行で、
いまは、その時の高揚感だけが自分の中に残っています。
数日後に自分で書いたものを読み直してみましたが、
英語、とくに単語については、自分がどういう単語を書いたかという記憶がなくて、
ホントにこれ自分が書いたの? なんかの詐欺なんじゃないの?(笑)ってなくらいで、
相当なライティング・ハイ状態で書いてたようです。
話がだいぶそれましたが、停滞については、あと一つ、自分がラクになる方法がありまして。
それは、停滞かと思う前に、「ま、何たってこれは英語学習だしね」と思うと、
あまり停滞するような気分にはならないです。
勉強モードから離れるのが、SSS多読の良いところなんですが、
今すぐ、日本語と同等のことができない以上、
あまり、読書の質を念頭に置いてしまうと、
自分の日本語力と、自分の英語力の差の膨大なことに目が行ってしまって、
暗澹たる気分になってしまうからなんです。
そんなときは、
本日現在の時点で、できるようになったこと(以前はできなかったこと)は何なのかを、
読みかけの本を閉じ、本の内容のことを考えるのはやめて、
過去の自分、多読と出会う前の自分のことを思い出すことにします。
そうすると、見えてくるんです。
自分は一体なにをどうしたくて多読をしているのか。
威勢良く「Happy Reading!!」なんていう時とは違い、
もっと静かに(少し照れますが)内省的になって、
自分が英語と、どう関わりたいのか、なんで英語をやりたいのか、
一人になって、物思い(?)するとき、停滞感から離れることができます。
逃避なのかな、と思うこともありますが、
元気なHappyだけでなく、静かなHappyもあっていいと思うから。
〉 暗くてぐだぐだしているので、この投稿を読んだ人がhappyになれないかもしれないと思い、せめて最後は増量しておきます。
〉 Happy happy reading!
いいですね。暗くてぐだぐだした投稿を書ける人って貴重です。
正直で、率直で。信用できます。
(明るい人が信用できない、という意味ではないですが、世の中、明るいだけじゃ平板ですし)
〉 私の場合なぜか、意味がわからなくても、結構楽しめてしまうんですよ。意味がわかるわけもないイタリア語の文章を眺めて、音を想像して遊んでいたり。
〉 意味わからなくても楽しいって人、他にいないかなと思いまして。
〉 あと、なんと言っているか台詞が全くわからないのに、なぜか今何をしているところかわかる、とかいうところから理解が進んでいって。今思うと、多読的ですね。
これ同じ〜! 他の方への返答を勝手に引用させてもらってますが(すみません)
いますいます、意味わからなくても楽しい人、わたしもです〜〜!
わたし、テレビのイタリア語講座に出ていたダリオ・ポニッシィというお兄さんに惚れこんでた時がありまして、声を録音したり、ダリオの声で入ってるイタリア語ドラマのCDも持ってて、意味不明のまま、「ダリオの声だ〜、よいわぁ〜、ぱっしょんだも〜れ〜」とか言いながら聞き惚れてました。
おかげ様で、イタリア語は未だにまったくできませんが(爆)
挨拶とか自分の名前を言うとか、これ、おいしいね、とか、疲れたよ〜、トイレどこ?といったフレーズだけは言えます(笑)
何度も同じCDを聞いたので、「あっ、またあの場面!同じセリフ!」ってのがわかるようになるんですねー。
かといって、そのレベル止まりですので、
いつかイタリア旅行して、どのくらい話せるか試してみたいと思ってます。
ぴぇちぇ〜〜れ〜〜、べ〜ね、べ〜ね、とかって言いそう(笑) ←アホまるだし、ニッポンの恥かも…
あっ、へんな話が最後になってしまいました。
ちゃんとご返答投稿になっているかどうか不明ですが、これで終わります。
ではまた〜。
PS 世界史クラブのほうで、いつもご紹介、瞠目して拝見しています。
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