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お名前: まつかわ1971 http://blog.alc.co.jp/d/3302216
投稿日: 2006/10/18(20:12)
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きちんと考えをまとめることがまだできていないので、誤解されてしまうかもしれませんが、
それを恐れずに書いてみることにしました。
僕が柊さんの言葉を読んで思い出したのは、少なくとも今の僕のレベルでは、YL以外の作品の
評価ができないことに対するはがゆさです。
やさしく読める/難しくて手がつけられない。このふたつ以外にも、
「この文体は自分の肌にあう」とか「難しい言葉を連ねてはいても、言いたいことはありきたり」
とか、日本語で小説を読む時にはある程度わかる相性というか、味わいというか、
そういったものが、理解できないでいるということ。
僕が小説をさかんに読むようになったのは、中学の後半のころからでしょうか。
それから20年ちかくたって、今の僕があるわけです。とてつもなく専門的な議論とか、
早口の若者言葉とかで理解できないことはあったとしても、日常生活で日本語で不自由を感じる
ことは、まずありません。その日本語の力があっての、今の文章を読む感性みたいなものが
あるんですよね。
多読を始めて、1年半になります。けっこうたくさん読んできたつもりですが、
英語のロックの歌詞はいまだ聞き取れず、英語で日常会話なんてしたことありません。
日本語で20年かかってやってきたことを、ふだん使う必要もない英語で実現するのは、
とても大変だと思います。もし、僕が60歳になったころ、「ライ麦畑」が英語で
読めるようになったとして、15歳のときに翻訳で感じたドキドキ感を僕の感性は
15のときそのままで味わうことはできないでしょう。気がついた今飛び込むしかない。
さきのばしにしていたら、ますます手遅れになってしまう。
あえて、僕たちはそれをはじめるわけで、しかもそれが苦行ではないかたちで、
つづけられるわけで。
きっと柊さんも日本語で読書するときの文章やストーリーを味わう感性を、
YLだけでははかれない英語の味わいみたいなものを、
つかめないのがつらいのではないでしょうか。
自分の悩みに、勝手にひきずりこんでしまって、すみません。
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