[掲示板: 100万語超 報告・交流 -- 最新メッセージID: 13567 // 時刻: 2024/11/24(11:03)]
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お名前: タルタラン
投稿日: 2005/10/27(07:58)
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もう一年半近く前に、英語150万語、仏語50万語通過報告してから すっかりご無沙汰していたタルタランです。 英語、仏語共に派手な停滞を経験しまして、 こちらの方にも足が遠ざかってましたが、 この度、英語が300万語を通過したので報告にあがりました。 (順当に行けば、同時に仏語の200万語報告もできるはずだったのですが、 こちらは現在190万語でもうちょっとかかります。 報告の際には仏語多読の苦労話をまた別に書きますね。) 英語の多読は200万語あたりから停滞気味になってしまいました。 それは語学能力的に行き詰まったというわけではなくて、 むしろ当初の目標を達成してしまって、 ちょっとした空虚感にとらわれてしまった、という感じです。 僕が多読を始めた動機は、他のみなさんの多くがそうであるように 「とにもかくにもペーパーバックが読めるようになりたい!」 というものでした。 そしてペーパーバックが読めるようになれば、 それはもう薔薇色の日々が待っているかと・・・。 それで、GRを中心にちょっとしたお勉強気分をおぼえながらも読んできました。 そしてその甲斐あって、実際200万語を通過したころから、 SheldonやGrishamを読めるようになったわけなんですが、 ここでふと気付いてしまったのです。 「あ、自分が今まで憧れてたのはPBを読むという格好の部分だったんだなぁ」って。 自分がこれまで好んで読んでいたのは、 日本人作家や翻訳物のいわゆる「文学」だったんですね。 で、ミステリなどのエンターテイメント系は全くといって言いほど読んでませんでした。 だからPBも「文学」が読めるようにならないと、自分にとって本当のゴールじゃないじゃん、 と思いあたってしまった。 そうなると、途端に今読んでいるPBがまた、そのゴール達成のための「お勉強」に舞い戻ってしまったのです。 こうして、少しづつ英語多読が停滞しはじめました。 その間、多読中にあまり読まなくなっていた日本文学に戻ってました。 で、ある友人と文学話で盛り上がったりしていたのですが、 そんなある日、その友人が「Paul Austerの“Oracle Night”読んだよ〜」 と言いだしまして、 まあその友人が英語が得意なことは知っていたので 「あ、そうなんだ」とその場は軽く流してたのですが、 一人になってからメラメラと闘争心が湧いてきて、 自分も読んでやる〜、と勢いで“Oracle Night”を読みはじめました。 そして、読めた。 数日後、なにくわぬ顔で「あれ読んだよ、良かったよね〜」と友人と語り合い、 これですっかり味をしめ、同じAusterの“The Book of Illusions”を読了。 これで300万語通過と相成りました。 それで思ったのが、別に「文学」だからって、 エンターテイメント系の小説に比べて難しい単語を使うわけじゃないよな、 ということと「文学」だからって一字一句深く読み込む必要なんかないよな、 ということでした。 実際、今までも日本文学や翻訳物をそんな感じで読み飛ばしてたわけですし。 普通の小説と違うのは、話しの運びが「ちょっと変」、というくらいのものです。 そう、僕が文学好きなのは別に難しいことを考えているわけではなくて、 「ちょっと変」だからなんです。 そして、この「ちょっと変」なところさえ楽しめれば、なんの問題もない。 「文学」系のPBだって全然読めるじゃない!と気付いたのでした。 そんなわけで、今はKurt Vonnegutの“Slaughterhouse-Five”を 「うわ〜変だなぁ〜」と思いながら読んでいます。 なんだかおかしな300万語通過報告になりましたが、 今後は「ちょっと変」な感じで多読を続けていきたいと思っています。 それでは、Happy Reading!
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