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お名前: 秋男
投稿日: 2005/7/5(02:02)
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寝太郎さん、こんばんは! 秋男です。
〉こんにちは、寝太郎です。蒲郡であったばっかりでしたっけ。
そうですねー。膨れゆく豊田市でもお会いしましたねー。
〉〉 いやはや、暑いですね。
〉そうですね。
〉最近、急激に太った寝太郎には辛いです。汗がたくさん出て。
体が大きくなると、体積の増加のわりには表面積が増加しないので、
(体積は3乗だけど表面積は2乗だから?)熱がこもって暑いんだ
(だから放熱のために象は耳が大きい。マンモスは耳が小さい。)と、
「Why Elephants Have Big Ears」の第1章に書いてありました。
(第2章以降は1年以上ほったらかし・・・)
〉===途中ばっさり===
〉
〉〉◆聴くほう
〉〉 先月は映画を見まくるって感じでよく見ていましたが、今月はそれほどでもありません。
〉〉 ふり返ってみると、ヒッチコックをよく見ていました。今までに、
〉〉 「バルカン超特急」
〉〉 「サボタージュ」
〉〉 「疑惑の影」
〉〉 「ロープ」
〉〉 「ダイヤルMを廻せ!」
〉〉 「裏窓」
〉〉 「ハリーの災難」
〉〉 「知りすぎていた男」
〉〉 「めまい」
〉〉 「北北西に進路を取れ」
〉〉 「サイコ」
〉〉 「フレンジー」
〉〉 を見ました。
〉すごいですね、それもみんなクラシカル。
〉おいらは、古い映画はどうも苦手で・・・。
〉吹き替えしてあるといいんですが、オタクなもんで、
〉有名な声優さんが吹き返してあるといいのですが、
〉旧い映画のDVDは、字幕のみだからねぇ。
苦手なものは、見ないでいいと思いますよ。(笑)
でも食わず嫌いってこともあるからなぁ・・・なんて思わず、好きなものだけ
食べてたらいいと思います。
またクラシカルなものを見たくなるときが来るかもしれんし、そのときはそのときで。
〉〉 最近見た「ハリーの災難」が面白くて、ヒッチコックの中では一番好きかもと
〉〉 思いました。丘の上で男の人が死んでて、その死体の始末におおわらわ。
〉〉 ブラック・コメディーですが、なんだかロマンチックだったり。
〉そんなプロットで星新一先生も作品書いていたっけ。(全然違う?)
いや、星新一先生が書いてたかもしれんようなプロットですなー。
けっこう読んだけど、ほとんど忘れてしまったので、どれってことが言えませんが。
〉〉 そういえばこのごろ、音をイヤホンで聴いて日本語字幕を出して見るということが
〉〉 できるようになってきました。ちょっと前までは、気持ち悪くてイヤだったのですが。
〉〉 なんでですやろ。
〉おいらも、字幕日本語、イヤフォン英語をたまにやっておりますが、
〉やはり、ストレスがたまり苦しいです。
ほんと、4月に「麗しのサブリナ」を見たときは、日本語字幕を出したら
気持ち悪くてイヤだったんですが、この土曜日に「レベッカ」を日本語字幕出して見たら、
なんともなかったです。
何が起きたんだろ。わからん。
ひとつには、「日本語字幕を出しながら英語を聴いてたら、英語が身につかないよ!」
という拘泥が、ちょっと溶けたのかもしれません。
あ、そうそう。そうかもしれません。
なんか、「日本語字幕を出さないで、何回も何回も繰り返し聴いて、何て言ってるか
わかろう主義者」(?)だったのですが、今年に入ってから、それを映画で
けっこう徹底してやってたら、だんだんと気持ちがクサクサしてきてしまって・・・。
なんか、その映画を見たくて見てるというより、修行のために見てる感じが強くなってきて、
だんだんその映画がいまいましいほどになってきてしまって。
やっぱり、見たい映画を、見たい気分のときに見るのが自然だよなあと思うようになりました。
つらい修行の末に(笑)。
そして、まあ日本語字幕も、出したければ出したらいいかーと思えるようになりました。
わざわざ自分を苦しめることはない。楽しい方法をとればいい、ということで。
まあ、ほんとは日本語を介さずにやるほうが、効果的な学習法としてはいいのかもしれませんが、
う〜ん、むずかしいところで、私もまだなんとも言えないんですが、とりあえず、
ラクなほう、ラクなほうと考えて、やってしまっています。
(ワイス博士の本も、日本語訳を先に読むなんて、前だったら自分で許せなかったけれど、
今回は何の抵抗もなくやってしまいました。軟弱になったものだなぁ・・・。)
というわけで、そういったことが、日本語字幕を出しても気持ち悪くならなかった理由の
ひとつだと思うのですが、あるいは、やっぱり、脳の中の何かがどうにかしたのかもしれません。
そこんとこはよくわかりません。
最近聞いた話では、英語のニュースで、英語音声と日本語音声を同時に出して聴いてるよ
という方がいて、ビックリしました。それはちょっとまだ自分にはでけへんわーと思って。
(でも、意外とできるかもしれません。まだやってみてない。)
いろいろですねー、ほんま。
〉〉 みなさんも、直感にしたがって(?)、元気にお過ごしください。
〉だから、日本語で何回も見た洋画を英語で見ています。
〉字幕は出さないでね。
それでいいんじゃないですか。
あと、こども向きのカンタンなのを見ると、息抜きになりますよ。私はミッフィーちゃんが好きだけど。
〉でもどうなんだろう?字幕を英語で出したほうがいいのだろうか?
〉秋男さんはどう?
私は、英語字幕は出さないっす。
脳内音読派なもんで、英語字幕を出すと、それを脳内音読してしまって、
その自分の発音が英語音声をジャマしてしまうのですわ。
(近い理由で、日本語音声で日本語字幕が出るの、好きじゃないです。
日本語音声で英語字幕が出ればOK(笑)。)
そもそも字を読むのが遅いので、英語字幕について行けないです(笑)。
それと、いつも、「何て言ってるか」というナゾナゾ感覚で聴いてるような
ところがあるので、答えが簡単にわかってしまうとつまらない、というのも
あります。
多読と同じようなものだと思っています。「字」のかわりに「音」だというだけで。
わからん音は飛ばす、と。(飛ばすというより、ほっておくという感じですが。)
うまく言えんのですが、「音」→「字」→「意味」じゃなくて、「音」→「意味」
な感じになりたいんです。
自転車の補助輪のように「字」を媒介させて、ゆくゆくは「字」を外していけばいい
という人もいるでしょうが・・・。私には「字」はどうもわずらわしいです。
「字」を出さなくても苦痛じゃないので、まあそれでいいか、という感じです。
ただ、歌の場合は、歌詞を出して歌います。それはぜんぜん抵抗無い。
むしろ、歌詞出して一緒に歌いたいので、そうします。
でもまあ私も、これからどうなるかわからんし・・・。
楽しいと思う方でやったらいいんじゃないでしょうかぁ。
英語そのものにしても、他に日本語の本を読みたかったり、遊びたかったりもするので、
まったく英語をやらない日もあります。
気が向いたときに、気が向いたことをやるということでいいんじゃないでしょうか。
英語に関して言えば、英語で書かれた本を読む、英語の音のものを楽しむ、
というふうに、ちょっとずつでも、英語そのものに触れられていれば、
いいと思います。
こんなので英語が身についてるんだろか・・・と思うこともあるけど、
そんなときは、はじめのことを思い出します。
はじめはあれも聞こえなかったけど、いまは難なく聞こえる。
はじめは英語の本を読むことなんて考えられなかったなぁ。
はじめの「できなさ」を思えば、たった数年ですごい進歩だなあ、と思います。
大丈夫、大丈夫。好きなことだけやっていこう。
最後は自分に言い聞かせてるような・・・
ではまた!
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