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お名前: 道化師
投稿日: 2004/2/1(22:52)
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こんばんは、しおさん。道化師です。
丁寧なレスをいただき、恐縮です。
〉多読を知ってから、「試験はもう関係ない」と思ってきたけど、TOEFL
〉の結果をみてすごく心が軽くなり、まだ試験にとらわれている部分
〉があったんだなと思いました。
それは仕方ないですね。
点数で評価をしたいと思うのは、多分人間の性みたいなものなのではないでしょうか。
SSSの多読は、「競わない、点数で評価しない、自分が面白いだけが基準」
と言うのは、全く正しいのですが、自分の中だけに価値基準を置くと言うのは、
現代社会を生きている者にとっては、また逆に仙人の修行みたいな側面もあると思います。
なかなか「競う」「点数評価」という欲望に打ち克つのは難しいです。
仕事を定年して、余生を楽しむような立派なオジイサン達ですら、
「あいつは、勲○等だ」みたいな競争や評価を気にしますから。
〉なぜTOEFLの試験を受けたのかというと、
〉実は、わたしは子どもが大きくなったら英語圏の大学に留学したいなと
〉思っていたのですが、ある人から「40過ぎたら急に腰が重くなるよ。
〉行こうと思ってもいろいろあって行けなくなるよ」と言われたのです。
〉それで「どうしよう」と妄想ばかり膨らむので、TOEFLを受けて頭を
〉冷やそうと思い受験したのでした。
しおさんみたいに、そういう目的があると、
特にそういう焦燥感みたいなものが生まれてくるのは当然だと思います。
「今、何かをせねば」と言う思い、「将来に繋がる今にしたい」という思いは、
家庭で子育てに追われる女性の共通の思いなのでしょうけれど。
私の妻も、6歳と4歳の子供の世話をしつつ同様な思いをかかえているようです。
もっとも、子育てと言う立派な日常を送っている女性に、
そういう焦燥感を与える今の社会のあり方に私は懐疑的なのですが。
〉結果は、もう入れる大学があるという点数だったのですが、これをみて
〉「留学したくなったとき試験勉強的なことにあんまり時間を費やさなく
〉ても大丈夫なんだ」と思って、かえって留学熱が落ち着きました。(笑)
自分に対する免罪符が出来て良かったですね。
(人を一番追い詰めるのは、自分自身ですから、自分に対する免罪符は大切だと思います)
〉やさしいものを大量に読むことは大前提で、私も続けるつもりです。
〉でも、それだけでは足りず、実際に書くことが一番有効だと思って
〉います。
〉添削してくれる人がいてもいなくても(最近はネットで無料添削サービス
〉などあるようですが)毎日、または週何回か50語でも100語でも
〉書き続けることが最も早道だと思います。
なるほど。毎日、いや週に何本かARTを書いていると、良いわけですね。(笑)
(あっ、しおさんはARTはご存知なんでしたっけ?)
〉この「書き続ける」というのが、お勉強くさくて継続が難しいのが困り
〉ものです。
その点、ARTなら「お勉強くささ」は無くて持ってこいなのですが、
才能が必要なところが難です。
〉多読は楽しく続けやすいですが、毎日書く(毎日でなくても週何回か)
〉というのは、頭をしぼらねばならず、自分の書いたものの現実を
〉つきつけられるので苦痛です。
おぉ、しおさん程の方が「苦痛」という言葉をハッキリ使われるとなると、
余程苦痛なのですね。
〉私は実は1日数行の英語日記をつけて4年目なのですが、いまだに
〉面倒で、1週間も10日もためてしまい後でまとめて書いたりしています。
あっ、日記はダメです。私は日本語の日記だって、つけられない。
子供の頃の夏休みの宿題の絵日記なんて、地獄の苦しみでした。
日記という形式の持つ、あの「内面の吐露」みたいなのはどうもいけません。
だから、小学生の頃の作文も苦手だったなぁ。
中学生頃になって、「レポート」という自分自身以外の事についての文章を書いたり、
嘘八百をつく事を覚えてから、文章を書くのが、苦痛でなくなりましたが。(笑)
あっ、そうか、だから、「嘘日記」を付ければいいのか。
〉3年目はもう書くことについてはお勉強モードでいくしかないかと
〉思っているので、日記とは別にあえて毎日何百語かを書き続けるのを
〉やるかと思っていますが、いつ始めるか、考えただけで・・・・(笑)
ハハハ。夏休みの「学習計画」を立てて、その計画を毎日書き直すうちに、
夏休みが終わってしまうのと同じですね。
〉ここまでしなくても、レベル0,1の本、または好きな作家の文章を
〉書き写すだけでも効果があると思っています。効果は分かりませんが、
〉私も気が乗らないときは、これをやる予定です。
こんな予定まで教えていただいていいんですか?
人に言っちゃうと、プレッシャーで苦しくなりますよぉ。
〉そうそう、別件ですが、タドキスト大会のとき、道化師さんに
〉「なぜそんなに英語をつきつめてやるのか、過去ログからは
〉読み取れなかった」と聞かれましたよね?
〉タドキスト大会では「会社で英語で悔しいことがあったから
〉自分の考えがいえるようになりたかった」という表面的な
〉答えをしてしまいました。これも動機のひとつですが、
〉自分が本当に動機だと思うものをすぐ整理できなかったの
〉でした。それで、いつかお話できたらなと思っていました。
そんなに気にとめておいていただいて、ありがとうございます。
なんか、多読界のアフロディーテに語りかけられているようで、
恐縮やら、怖いやらです。
全国のしおさんファンに申し訳ない・・・。
〉私が会社勤めをしていたときは、1日12〜15時間くらい
〉会社で仕事し、休日出勤し、会社から歩いて5分くらいの寮に住み、
〉すごい田舎なのに車の免許もなかったので出歩けず、まさに
〉会社に住んでいるのと同じ状態を何年も続けていました。
おぉー非人間的な労働環境!まさに、日本の企業ですねぇ。
〉この頃は寮に帰って雑誌やTVでも見て息抜きして寝るのが
〉最重要で、仕事関係の資格の勉強はしましたが、疲れている
〉のでそれを超えて何かしようとは思いませんでした。
うら若き女性にあるまじきライフスタイルですね。
〉しかし、退職し妊娠したら、それまで「会社に住んでいた」わけ
〉ですから地域に知り合いなど誰もおらず、また親兄弟も
〉遠く離れたところに住んでいるため、ひとりきりです。
肉体的には解放されましたが、今度は精神的な危機ですね。
〉子どもが生まれると、自分が予想していたよりはるかに重労働で、
〉典型的な母子二人の密室育児状態です。育児がつらければつらい
〉ほど、同じくらい何か激しく打ち込むものがなければ私の精神の
〉バランスがとれませんでした。社会から離れてしまいそうで恐ろ
〉しかったというのも大きいです。
この恐怖は、男の場合、企業を定年退職した後に訪れるようです。
どちらにしても、企業がその責任も負える訳も無いのに、
社員である間は、その社員の人間としての生活、人生すべてを
覆い包もうとする悪弊の結果です。
もし、企業がそう望むのなら、昔の地域社会が担っていた
生活の場としてのコミュニティーを築かなければならないのでしょうけれど、
それは「株式会社」という組織の宿命として不可能でしょうし。
しおさんだけでなく、子供が乳幼児期の母親の孤独感は大変なものです。
私の場合も、この頃ほど妻に帰宅を待ち望まれた事はなかったなぁ。
そして、今の社会は意識ある女性に「子育てさへしてれば充分」という
先ほども言った「免罪符」は与えていないですし。
〉別に英語でなくてもよかったのですが、退職直前に英語で悔しい
〉ことがあったので、英語を選んでしまったのです。
「藁をも掴む思い」の藁が「英語」だったわけですね。
とても良く解ります。
もしかすると、私自身も心の中の何処かで、
仕事をしている自分、父としての自分、夫としての自分という
部分的「役割」以外に、「自分としての自分」な部分が欲しくて、
学生時代に徹底的に嫌っていた「英語」に触れてみようと思ったのかも知れません。
〉だから、SSSに出会う前の3年くらい、教材を利用した
〉「修行」的な勉強になってしまったのも、私の精神状態の反映
〉といえます。ぎりぎりの状態にはぎりぎりの勉強で反撃しな
〉ければなりませんでした。
楽しくては「免罪符」にならない訳ですね。
〉でも、3年以上たっても簡単な文章も満足に書けないし、
〉読めないし、TVや映画は分からないし、この出来なさ加減は
〉いったいどうしたことかと思っていたところに、SSSのWebsite
〉を見つけて、今にいたります。
「藁」としての英語学習が、「藁」である必要性が少し薄らいで来た時、
英語学習自体を目的とした英語学習ではものにならない、
英語学習のその先にあるものを得て初めてものになり始めるという感じでしょうか。
〉多読1年目は「修行」が少し残ってました。2年目は、子どもが
〉幼稚園にはいり、自分だけの時間が初めてとれ、
〉余裕ができたら修行色が一気になくなりましたね(笑)
やはり、人間、自然な状態では楽しい方に流れるのでしょうね(笑)
〉私にとって、多読・多聴は英語の力を育ててくれると同時に
〉精神的なリハビリになりました。多読にめぐりあった時期も
〉タイミングがよかったんだなと思います。
これも営業マン等の研修なんかでよく言われる事らしいですが、
「欲しいと思った物は必ず手に入る」そうです。
欲しいと思えば、手に入れる方法を考え、それに向かって努力するからだそうです。
ある意味、私もこの意見には賛成です。
タイミングというような「運命」的なものではなく、
きっと多読との出会いは、しおさんが本当に望んだ結果なのだと思います。
聖書にも「求めよ、されば与えられん」とあるみたいですし。
〉「どうして英語を勉強しているのか」と聞かれても、たまたま
〉英語を選んでしまっただけで、全く英語である必然性はないのです。
〉だから、道化師さんが過去ログを読んでも見えなかったんだろう
〉と思います。
英語である必然性はないけれど、何かが必要だったと言うのはとても良く解りました。
突き詰めた感じだったのは、「英語」に対してではなく、
「生きる」事に対してだったのですね。
そうとは知らず、軽ーーく尋ねてしまった非礼をお許し下さい。
〉これからは、もうここまで英語をやったからずっと続けていくだろ
〉うな(笑)という感じです。自分がもともと好きだった本を読む
〉ことを通して、いろんな世界がみられる楽しさを思い出しました。
一人の生きられる人生は、どう転んでも限界がありますから、
読書はその限界の向こうを見せてくれる、大きい喜びですものね。
〉そしてTOEFLを受けて、さらに心が軽くなったので、
〉安定した精神状態で、まっとうに、自分のやりたい勉強をやれそうだな
〉と思っています。
私なんかに、こんなに深く動機を語って頂いて良かったのか解りませんが、
きっとしおさんと同じような状況で英語に関わっている方もいらっしゃるでしょう。
そんな方の心のリハビリの為にも多読は有効という素敵なお話を
ありがとうございました。
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