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1435. う・・ん。・・・もう少し早く・・君と・・出会えてたら・・僕は・・・ (優しい微笑を目尻に浮かべて)
お名前: たこ焼
投稿日: 2004/4/2(19:11)
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こんばんはー、秋男さん。たこ焼です。 〉 う〜む。やっぱりおもしろい話になってきた。(笑) あははっはは。 〉 でもすみません、本格的反応はまたあらためてということで・・・ まぁ、急がずに、ゆっくりやってくださいね。 例の「引き込み」を避けるには、 ゆっくりとレスをつけるのがいいような気がします。 〉 ただ、ちょっと思いついたのが、野球の審判の話で。 〉 バッターがちょっとタイムを取りたいときって、 〉 日本のプロ野球ではピッチャーに対して「ちょっと待って。」ってしますが、 〉 大リーグの場合はアンパイヤに対してタイムを要求します。 あー、なるほど。審判!・・・面白いですね。 確かに、日本とアメリカで「権威」のあり方が違いますよね。 そういえば、日米野球親善交流のために、 アメリカ人の審判が日本に来たことがありましたよね。 日本野球では選手が審判へ強く抗議することに驚き、おそれ、 来日後すぐに帰国しちゃいました。 〉 それと、ハイジの話。(前にもどこかで言ったけど) 〉 ハイジの原作を読んで「へー!!」と思ったのは、おじいさんが、 〉 神様と和解したような感じだったこと。 〉 日本のアニメだと、村人に心を開いたって感じだったけど、原作は、 〉 人に対してっていうよりも、神様に対して心を開いた点が重要だった。 このハイジの話、以前に拝見した時、とても興味深く思いましたよ。 日本語へ翻訳したときに、表面の言葉だけではなく、 無意識層に沈む「社会とのかかわり方」も翻訳したんですね。スゴイです。 〉 西欧では、人々はお互い直接に結びつかず、媒介するひとつの「点」がある。 〉 日本では、人々は直接に結びつき、「点」ではない「場」みたいなものが、 〉 媒介するのではなく包み込むようなかっこうになる。 〉 ということでしょうか。 なるほど! 西欧の「点」のイメージ! これには深い感銘をうけましたー。 超越的な「点」を通して、他人との関係を結ぶのですね。 日本の「場」のイメージについても、確かにそうだな、と思いました。 この「包み込む」という表現が、要ですね。 包み込まれて、全体が一体となっているので、 他者と直接に結びついているように感じる・・・ ということでしょうか。 秋男さんが感じていることとおそらくは同様のことを、 たこ焼的に言えば、 「日本では、自分と他人との境界があいまい」 といった表現になります。 自分は他人であり、他人は自分なのです。 つまりは、自分を自分と感じるように、 他者を自分と感じ、皆が集まった全体をも自分と感じることができ、 逆に、自分の中に、全体を感じることもできるのです。 秋男さんの「包み込む」の正体は、 「自他の区別のあいまいさ」なのかもしれませんね。 ではでは〜♪
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