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お名前: faure1845
投稿日: 2013/12/4(00:28)
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沢山お返事くださり、ありがとうございます。
もはや、再読は数限りなく、初めて読んだ本の語数を遥かに上回っているので、わが道を行っています。
再読の効果について、コメントにずれがあったというご指摘ですが、40回や50回そこそこの効果と100回に近づこうかという効果は多少違います。また、一つの本と短期間でじっくり向き合うというプロセスが大きかったようで、理解度の超ミクロ的主観的な感想とはまた別次元の感覚を抱くに至ったのですが、それは、「読めないところはやはり読めない」ということで、それがそれなりにあったので、理解度・解像度・着目点が一気に深まった中期再読の時とは違うのですね。
言葉に愛着が出てくるだけでなく、本自体が大切に思えてきます。
その時、もう、内容理解云々とかはなくなってしまって(あるのでしょうけれど)、内容を体が覚えているので、飛ばし読みしても、1ページ丸々眠りこけていたとしても、立ち返る必要がないのです。音を意識でかすかにでも拾っていたら、あるいはナナメ読みで語句を拾っていたら、もう思い出すのです。
それは理解度とは関係ありませんし、また、94回目のスコットランド(OBW1)は、もうモチベーション高く読めることなどありえないので、日課やルーティンで読んでいるという感じになります。
また、たくさん読んだことに関するコメントも頂きました。
沢山読むことは、すなわち、再読のデメリットやメリットを超越してしまう事になり、その本の情報・雰囲気・香り・語法・構文等を好きな所を好きなだけ深めることもでき、必要ない情報や本来的にはあまり望ましくない表現(語彙制限・文法制限などで生じる不自然な表現)はもう50回以上読めば、間違いを50回頭の中に入れたり右から左に流れたり・・・みたいなことが起こっているわけですから、それはそれで、全く苦痛になりません。間違いも愛おしくなります。
後は、聴き読みのナレーターさんの抑揚の好きな所は本当に好きになったり、畳み掛ける所等も黙読で物凄く速く読むことが出来る様になる場合があったりと、聴きの効用も十二分に実感できます。
17万語のハイは一過性で、続きませんでした。
しかし、よくも飽きずに同じ本ばかり再読しているなあと思っています。
20回以上読んだ本を勝手に殿堂入りにして、野球の記録マニア・データ通のように、記録手帳を正の字でカウントし、20回になったら☆と20!と書いて、21回目以降は殿堂入りの手帳にカウントして数えています。
現在、7冊が殿堂入りしています。
別に20回がぐっと深まるボーダーという訳ではありませんが、紙面の都合上正の字が4つしか書けないので20を1区切りとしています。
かなりマニアックなので、この辺でこの話はやめておきますが、自分にとって重要なのは、細部であり全体であって、どちらかではないということ。再読するのは、日課であり頭を英語モードにしたいのと心地よいからであって経験値や実力アップの為ではないということ。それと、単に少ない冊数の超再読で何かが変わるのか知りたいというマニアックな探究心です。
反復の効用は、あまりにもやり過ぎた場合は知りませんが、94回とか60回ならばやり過ぎにはならないと信じています(個人差は大きいと思います)。
個人的に、殿堂入りした本がどこまで自分にとって必要で、いつ投げるのか、それが大切で、また投げても戻ってきていいプラットホーム的存在なのではないかという気がしています。
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