Re: 読書量200万語報告

[掲示板: 100万語超 報告・交流 -- 最新メッセージID: 13567 // 時刻: 2024/11/24(06:20)]

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10922. Re: 読書量200万語報告

お名前: 杏樹
投稿日: 2008/7/17(01:58)

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主観の新茶さん、こんにちは。

〉  この200万語の投稿は、後に続く、私に似た人、または多読するシニアへのメッセージが含まれています。
〉  それらの人へ、かゆいところに手が届くよう、1日読むごとに換算する方法を書いたものです。
〉  全部読まないと、計算できないという人や、電卓で端数まで計算する人がいることを慮ったものです。

それは失礼しました。
書評にある本なら計算する必要がないという前提に立って、未登録で語数不明の本のことを想定していました。その場合も私はけっこう適当な数え方をしています。しかし書評に上げたい本はもっときちんと計算します。

〉 これは、酒井さんの方法、またはクラッシェンの方法を意識して書いたのです。
〉 SSSは、それより柔軟な方法を採用していると思われます。
〉 しかし、ロマンスやミステリーなど特定のPB分野の投稿しかないのは、それ以外に興味のある人がいないのではなく、それ以外に興味のある人にとって、酒井さんの方法では、多読する能力が養われない構造になっているからではないかと思っているのです。
〉 つまり、この方法では、大多数の分野のPBは、読めるようにならないか、私が参照した、ある論者にいわせれば、ごく少数の人ができるようになるとしても、人生を無駄遣いしかねない膨大な時間量を費消する必要があるというものです。
〉 例外として、T.Y.さんがいるかもしれませんが、1人では、証明したことにならないし、彼は、中学校の教科書を丸暗記するという方法を採用していますし、文法についてもどれだけ学んだか調査する必要があります。

これについては「研究途上」としか言えません。
といいますのは、私が多読を始めたころには100万語通過した人は二桁しかいませんでした。私が100万語が近づいてきたころ100人目の100万語通過者が出ました。そういう状態ですから、PBや一般書を読む人はまだあまりいませんでした。
また、最初に読むPBもシドニー・シェルダンが推薦されていましたが、シェルダン以外の本でやさしくて読みやすい本ではどんなものがあるかもわかっていませんでした。

ここで気をつけておきたいのは、酒井先生はすでに英語の本が読めるので、レベル0〜1から多読することが出来なかったということです。やさしい本の情報の蓄積はもともと酒井先生が多読の授業で観察した結果生まれたものだということです。このHPができてからは掲示板の投稿、書評登録によってYLやジャンルなど多読をする人のための情報が少しずつ増えていったのです。例えば、私が多読を始めたころはORTの存在を知りませんでした。そのときは多読の本は「快読100万語!」しか出ておらず、そこには紹介されていなかったのです。100万語を通過したころ「今日から読みます 英語100万語」の本が出て、始めてORTを知りました。
そして多読の進め方も、三原則を適用しながら読むと、自然に自分の好きなもの、興味の湧くものに対して広がっていくので、人によってさまざまな方法が生まれてきました。そのように、多読をする人たち一人ひとりが実践をしながら方法を探ってきたのです。PBも私は1冊目がシドニー・シェルダンでは気が乗りませんでした。そうしたらちょうどヒストリカル・ロマンスを紹介してくれた人がいたので(「ヒストリカル」というところがポイント)、それを初PBとして目標にすることができました。

主観の新茶さんはPB報告が足りないように思うかもしれませんが、「快読100万語!ペーパーバックへの道」しか多読の本がなかったころは、本当に100〜200万語でペーパーバックを目指していたのです。しかし私が100万語に達するころにはレベル3ぐらいで通過するのが標準になってきました。上で述べたように、その後ORTが紹介されるようになり、スタート地点がぐっと低くなりました。そうしたら、ますます100万語ではペーパーバックに到達する確率は低くなったかもしれません。しかしそれは、やさしい本を大量インプットすればそれだけ英語の基礎が身に付くということがわかってきたこともあり、必ずしもマイナスとは言えません。もしかすると絵本から入ることで、GRを読む割合が減っただけかもしれません。
また、レベルは順番に上がるものと思っていたら、読みたい本、好きな本をを読むということは思いがけないパワーを生むことがわかったのです。いきなりジャンプしてYL9のPBを読んでしまった人が現れたのです。
そうしたら、結局やさしい本をたくさん読んで基礎を付けたら、あとは読みたい本があったら少々レベルが高くても挑戦してみればいい、と言うことになりました。

さてそのころ、PB用の掲示板がありました。そこに常時投稿している人は3人でした。3人でなんとなく暗黙の了解で交代に順番に自分が読んだ本を報告していました。そのうち一人は本当にある程度読む力があって読んでいる人でしたが、残りの二人は児童書が性に会わず、GRも人工的な文体が気になって読む気がしないということで、やさしい本を読む量が少ないまま無理矢理レベルの高いPBを読んでいたのです。
そのうちの一人はオフ会で何度も会う機会があり、PBを読むためのコツを聞いてずいぶん参考になりました。最初はかなり飛ばしたり投げたり大変だったようです。しかしその人は今ではアメリカ文学に興味を持ち、古典的作品を読むようになっています。

その後掲示板の改革があり、PBの掲示板は「本のこと」に統合されてしまいました。3人しか常時投稿者がいないのでは稼働率が低いとみなされたのでしょう。それでPBばかりの投稿をする必要がなくなり、お三方も順番にPB報告をすることもなくなりました。

〉  「PBが読める」と標榜するのですから、多読していれば、一部は除いて、まあまあ、どんなPBでも、日本語と同じ程度に、楽に読める、という期待を抱かせるではありませんか。
〉  しかし、現実は、違うと思います。
〉  この改善は、どうするか。
〉  従来型の挫折する方法に戻るだけという発想に陥ってはいけないと思います。

これは上で述べたように「快読100万語!」が出版された時期と多読事情が変わって、多読は「PBを読むための方法」ではなくなっているので仕方がありません。多読の授業や掲示板報告での多読実験の継続によって、「本を読む」というのは「言葉がわかる」のではなく「内容がわかる」ことだというのがわかってきました。読みたい本、好きな本ならレベルを飛び越しても読めるという報告もいろいろ出てくるようになりました。レベルはあくまでも目安であって、本当の基準は自分にあるのです。
それで多読の目的は「読みたい本を読む」ことになっていったのです。あとは、映画を見るとか、英字新聞を読むとか、CNNなどのニュースを視聴するとか、洋楽を楽しむとか、多読をする人それぞれが自分の好きなこと、したいことに向かっていくようになったのです。

日本語でも「どんな本でも」読めるわけではありません。自分の苦手なジャンルや嫌いな本はあるでしょう。日本語の本なら「日本語が読めない」ではなく「内容が理解できない」「興味を持てない」と思うはずです。英語でも「英語がわからない」のではなく「興味がない」から読めないのであって、好きな本なら語数を重ねれば読めるようになっていきます。

主観の新茶さんがノウハウとして不完全だと思うところは、まだこれから開発途上です。多読はまだまだ完成された方法ではありません。自分が目標に向かって試行錯誤してみて、その結果を報告したら後に続く人の参考になる、という繰り返しなのです。ですから改善するべきだと思う部分は、できれば自分で方法を考え実践し、掲示板で報告してさらに多読のノウハウを充実させてくれたらうれしく思います。

それでは…。


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