[掲示板: 100万語超 報告・交流 -- 最新メッセージID: 13567 // 時刻: 2024/11/25(12:50)]
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お名前: 極楽トンボ
投稿日: 2008/3/8(14:40)
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極楽トンボです。本当は「極楽とんぼ」だったのですが、パスワードを忘れてしまったので、極楽トンボになりました。こんどは忘れないようにします。いま200万語を通過しましたのでご報告します。
掲示板に投稿するのは一年2ヶ月ぶり6回目です。ごく簡単にわたしの多読状況をご説明します。SSSの多読は、「親子で100万語」購入したのがきっかけで、2004年7月25日に開始しました。わたしは、基本的にSSSのGRセットを1Aセットから5Bセットまで順番に読み進めております。社会人の方には、私のような進め方をしている人も少なくないと思いますので、少しでも参考になれば幸いです。
私の多読の特徴は、読むのが遅いことと、停滞が非常に長期間にわたることだと思います。2年半かかって100万語に到達するまでに、最初の大停滞5ヶ月と第二の大停滞8ヶ月を経験しました。その後、2007年5月から9ヶ月の大停滞に見舞われ、もう駄目かと思いましたが、先月よりなぜか再開することができ、遅まきながら200万語に到達することができたわけです。
私の停滞のきっかけは、いつもはっきりしています。「投げ技」ができないことです。「投げ技」のポイントは、今読んでいる本を投げ捨てることにあるのではありません。読むのが辛くなった本を投げ捨てた上で、次の本を手にとって読み始めるところまでいかなければなりません。私の場合は、投げたら、多読もいっしょに投げてしまうところに問題があります。
最初の停滞五ヶ月は、75万語付近で、本はrogue trader(PGR3)を投げた直後からです。第二の停滞は、93万語付近で、Little Woman(OBW4)を投げて大停滞8ヶ月に突入しました。このころは、どうしても飛ばし読みができなくて読むのが辛かったように記憶しています。
レベル4になってくると、ちらっとみただけでは意味がよくわからない文章が出てきて、分析読みを誘ってきます。そんな悪の誘惑には乗らないぞと堅く決心したつもりでしたが、心の中の悪魔が、君は分析読みをすればこの程度のGRなぞ読めると思っているようだが、それは本当かね?などとささやくのです。それで時にはしちゃいけないと思いつつ、分析読みすることもあります。それでちゃんと日本語に訳せれば、その先も安心して読み進められるというわけです。ところが、ちょっと分析読みしても日本語訳できない文章もどんどんでてきます。すると、いやになってしまって、本といっしょに多読を投げてしまったのだと思います。英語の本が読めないから多読を始めたのに、矛盾した心理だと思いますが、「この程度のGR」が読めなくちゃPBなんて絶対無理!という焦りがその背景にあるわけです。その焦りもあって、結局読み飛ばしの術ができなかったのがこのときの敗因です。
第3の停滞は、170万語付近でやってきました。このころになると、読み飛ばしの術がなんとなく身についたようで、先を読み進められる限り、意味がわからない文章が続いても、なんとか本の最後のページにたどり着くようになりました。自分ではストーリーの大筋がわかっているつもりですが、本当は分かったかどうか怪しいです。読んで楽しかったかどうか、といわれるとこれも自信がありません。とうとう、限界を感じて本を投げました。CER5のWindows of the Mindでした。これはまずいと思って、そのころ新宿のSEG書店で安売りしていたマクミランGRをレベル2から4までいろいろ試してみましたが、楽しく読めなくなり、そのまま第三の大停滞に突入してしまったのです。
第三の大停滞の時は、多読を進める上で客観的条件もあまりよくありませんでした。あのときは腰痛にも見舞われていて、いすに座るのがいやでした。医者に運動不足を指摘されたので、電車に乗る時間を減らして自転車・徒歩通勤を多くしたので、少ない読書時間がさらに少なくなりました。家の引越しもありました。
しかし、収穫もありました。本が読めない自転車・徒歩通勤の時に多聴・シャドウイングをするようになったのです。教材は、VOASpecialEnglishや多聴多読マガジンなどです。全然上達の兆しがみえませんが。
どうしてもまた読みたくなる時がいつかきっと来ると信じていたので、あまりあわてませんでしたが、さすがに停滞期間が第二の停滞を越えた時には焦りました。なんとかしないといけないと思って、MMR2あたりを手にとって見たら、読めたのでうれしくなってまたはじまりました。停滞のときだって、それは読めたはずなのですが、読んでもうれしくなかったのでしょうね、そのときは。いまとなってはその辺の心理はよくわかりません。
こうしてなんとなくPGR6のCaptain Corelli's Mandolinで200万語を通過しましたが、これも辛うじて最後のページまで到達できてほっとしたというのが偽らざる感想です。逆に言えば、こんなに読み飛ばしているのに、どうして最後のページまで到達したのか不思議です。これが酒井先生のおっしゃる「物語の力」なのでしょうか?物語の引力圏内に辛うじて身を置くことができたということでしょうか?
GRセットがまだ10冊ほど残っているので、それを片付けたら、いよいよ児童書を読んでみようと思います。長くなりました。ここまで読んでくださってありがとうございます。
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