[掲示板: 100万語超 報告・交流 -- 最新メッセージID: 13567 // 時刻: 2024/11/24(14:43)]
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たかぽんぽん、よー、ぽぽん
〉学校英語とかの弊害は、言葉を「ずれて」とらえてしまうことだと思うんですね。
〉端的にそう言うだけでいいと思う。
〉ずれてとらえたものを、修正していければいいけれど、それが難しい場合がある、と。
そうですかー「ずれて」るんですか。学校英語とは仲良くなかったので…。
〉ずれてとらえたものを、いさぎよく捨てられる人はよい。
〉(それが、多読を楽しんでいる人は「樽の穴」を気にしなくてよい、ということなんだとは思う。)
〉英語を日本語で勉強したことって、とってもずれているんですよ、修正または捨てちゃいましょうね、
〉ということなんだと思う。その方法として、うんと易しいところから英語の本を読んだり
〉音を聴いたりという多読多聴があると。
〉人によっては、どこかに「たまる」ということなしに、聞いたものいきなり使えたりする。
〉一方で、学校英語でずれて把握したものを、なかなか修正or捨てることができない人もいる。
〉いずれにせよ、「樽」の「穴」で説明する必要はないし、むしろ不適当なんじゃないかと、
〉私は思います。
「不適当」!言い切りましたね。私もそう思います。
〉〉〉まぁでも、英語と友達になりたいわけではない、という人もいるので、
〉〉〉そういう人は、自分の好きなようにやったらいいと思います。
〉〉私もべつに友達になりたいわけではありませんので…。
〉その英語の原書を英語のままで味わう、というのは、英語と友達になるということ。
〉そういう意味で「英語と友達になる」と言いました。
〉英語大好き人間になるとか、そういう意味ではありません。
そうかー。もう友達になっちゃってるのかー。
でも「英語と友達」じゃなくて「本と友達」と言ったほうがいいかも。どうしても英語って好きじゃないなあ、という気持ちが抜けません。「英語が」じゃなくて「英語の勉強が」好きじゃないということかもしれませんが。「英語の勉強」の悪影響ってすごいです。
〉〉最初はその「何も考えないで」が難しいんですよね。何も考えないで楽しめる境地を目指すのが多読の第一歩かな、と思います。
〉そうですね。第一歩でありゴールかな、って感じしますね。
なかなか含蓄のあるお答えで。感服いたしました。
それでは〜。
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