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10401. Re: 言葉と友達になるか、そこまで深めないか
お名前: たかぽん
投稿日: 2008/1/7(23:18)
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杏樹さん、こるもさん、こんばんはー。たかぽんです。
〉杏樹さん、たかぽんさん、こんにちは。
〉
〉樽からは手を引こうと思っていたのに、杏樹さんの根元的な質問にまた・・・
〉しかも挑戦的なタイトルに・・・あわわ。
足がはまってたんですねぇ。蹲る(うずくまる)。
〉〉〉でもまぁそれでは愛想なしなので、蛇に靴下はかせることにします。
〉〉「蛇足」と言いたいのでしょうか?
〉ヘビに足描いた上に、さらに靴下をはかせるのではないかと・・・
すみません! 杏樹さんやNEOさんの御投稿が蛇足であるとも取れるような書き方でした・・・あわわ。
〉〉〉ただ、酒井先生の「樽からあふれる」というのは、
〉〉〉必ずしもアウトプットだけを意味しないと思います。(なぜに太字?)
〉〉〉覚えようとして覚えた覚えはないのに、なんでこの単語の意味がわかるんだろう?
〉〉〉といった現象のことも含む意味だと私は理解しています。
〉〉なんかねー、「あふれる」って言われるとねー、英語がどんどんこぼれてあふれてくる、みたいなイメージになってしまうのでねー…。
〉杏樹さんも、「樽」は必要ないんじゃないかなー。
〉「樽」なんかないよー。
〉樽がなければ、穴もあかないし、あふれもしないよー。
〉・・・だめ?
そうですねー。まぁ、何も考えなくてもいいような気はしますね。
「樽」の考えがしっくり来る!という人は、その考えを取ったらよくて。
〉〉〉〉私は日常的に英語は必要ありません。話すことも書くこともほとんどありません。もともと英語はあまり好きではないので、そんなに話したいとか書きたいとかいう野望も持ってません。だいたいロマンス本とはいえ大人用のPBが勉強もしないのに読んでる、ということ自体フシギな現象なんです。でも読んでるだけでは自分にどれだけの英語の蓄積が出来たのかよくわかりません。
〉〉〉ふむふむ。そうですよね。
〉〉〉なんか、そもそも「蓄積」というのが違うような気がするんですね・・・
〉〉どう違うのでしょう?
〉私も、なんか違うとおもふ。
〉でもうまく説明できない。
〉でも、「樽」って言う入れ物ってより、やっぱり深い海のイメージでしょうか。
〉fionaさんが前投稿されていたように、単語とか、言葉の持つ「深み」のようなもの。
〉・・・やっぱりうまく説明できない。
私が思ってるのは、言葉と波長を合わせていく、っていうイメージでしょうか。
たくさん読んだり聴いたりしているうちに、ぼやぼや〜っとしてた言葉の輪郭が
ハッキリしてくる。
それに対して、日本語で一対一対応で単語記憶なんかやってると、
違う波長(波形?)が固定されがちなので、まずい。
それが暫定的なもので、修正されていけばいいのですが、なかなかこれが難しい。
それを酒井先生は「樽の穴」と表現されてるのだと思います。
〉〉〉〉多読って自分なりに英語の楽しみ方を見つけることのはずです。私は読みたい本が読めたらそれでいいですが、シャドウイングをしている人もいますし多聴してる人も多書してる人もいます。自分なりの満足度が得られたら「一杯になった」と考えたらいいのかなーと思います。
〉〉〉「自分なりの満足度」に、さんせー! よんせー! ごせー!
〉〉でも「樽にあふれる」ってそういうことなのか?とも思うわけで…。
〉でも、杏樹さんはそれを「樽がいっぱいになった」と意識されていないのでは?
〉「英語の海を、自由に泳げるようになった」という感じですね、私は。
〉実際、まだまだですが。
やりたいように、やればいいじゃないかぁ というのは、いい加減ですかね…
〉〉〉あー、いつものように茫洋とした、レスにもなっていないレスになってしまった・・・
〉〉〉とりあえず、そんな感じです。ではでは〜。
〉〉たかぽんには「樽理論」は不要、って感じです。すっかり自分の好きなよ〜に楽しんでる状態ですから。
〉杏樹さんにも、必要ないんじゃ、ないかなー。
〉ちがうかなー?
そうですねー。
まぁ、これから英語をやっていこうと思う人にとって、「樽の穴」というか、
その言葉と違う波長(波形?)のものをその言葉だと覚えてしまうということは、
害があるような気はしますけどね。
予断を持ってしまうと、なかなか友達になりにくい。A子ちゃんはイジワル、
B子ちゃんは優しい、と予め聞いてから友達になるのって、なんかやりにくいですよね。
実際会ってみると、なんだか違うぞとかいうこともあるわけで。
やっぱり何も予備知識なしで、自分との相性やなんかで、付き合い方を形成していくのがいい。
まぁでも、英語と友達になりたいわけではない、という人もいるので、
そういう人は、自分の好きなようにやったらいいと思います。
これから会う人の情報をできるだけ集め、それをしっかり覚えてしまって、
そつなく人づきあいしていく、っていうタイプの人もいるでしょう。
(日本語でしっかりしっかりボキャビルするなどのやり方。)
どうせ淡いつきあいだから、誤解でもいいから適当に人柄を知っておいたらいい、
という人もいるでしょう。
(日本語で適当に勉強するやり方。)
それはもう、いろいろだと思いますし、いろいろでいいと思います。
多読っていうのは、言葉と友達になろうという、心を開こうという方法だと思います。
心を開くことは、怖かったりしますから、抵抗感が生じる場合もある。
その言葉に飲み込まれてしまいそう、わかってしまうのが怖い、
って感覚に襲われる人、襲われるとき、ってのがあると思います。
(「和魂洋才」じゃないですけど。)
できるだけ日本語で、「心まで奪われないように」うまくつきあいたい、
という人もいるでしょうね。
〉まあ「樽」も「海」も比喩ですからねー。
〉自分がしっくりできる比喩を選べばいいかな、と思います。
〉宇宙、でも、地球、でも、砂場、でも・・・
そうですねー。
まー、つまりは、何も考えないで楽しめばいいんじゃないかと思います・・・
〉〉それでは〜。
〉ではではー。
ではー。
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