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お名前: ドラちゃん
投稿日: 2008/1/4(05:03)
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杏樹さん、明けましておめでとうございます。
っていうか、初めまして!ドラともうします。
"杏樹"さんは[url:kb:10354]で書きました:
〉一連の投稿を見て、いまごろレスをつけても…と思いましたが、新規投稿にしてみました。
〉そぼくなぎもんを抱きましたので…。
〉それは
〉「樽にたまる、ってどういう状態のこと?」
〉です。
これ、この間ややこ式に書こうとして、そのまま保留になっちゃった
んですけど…
私の理解では…
人間の記憶メカニズムって、短期記憶と中期記憶と長期記憶の3段階に
分かれるという話をだいぶ昔に聞きました。
# もう多分20年以上前の説です。最近の学者がどう考えてるかは
# まだ調べられていません。
ちょっと記憶があやふやな部分もありますが、その分類は…
・短期記憶(保持時間:15分〜2時間)
・中期記憶(保持時間:1日半程度)
・長期記憶(保持時間:それ以上)
とかだったと思います。
# 違ってたらごめんなさい…(汗)
# ただ、その正確さはこの話とはあまり関係ないので。
# あと、時間の長さは個人差も大きいはずですし。
重要なのは、その時間の経過と共に、無意識下での選別があって、
固着化される記憶とそうでない記憶があるという点です。
# これはたいていの人が身に覚えのあることだと思います。
# 覚えなきゃ!って思っても忘れてしまうのが、
# 多くの人間の常だと思いますので。
次に私がこの話で重要だと思っているのは、記憶の抽象化と連想です。
これは分かりやすい例で言うと、社会生活の中で色々な人を見たり、
色々な人の話を聞いたり、自身で色々な経験をしていく内に、
『人間ってこういうものだよね』<人間という概念の抽象化>
などと考えるようになったり、ある人の挙動を見たときに、
『あの人ってこういうタイプだよなぁ…』<他人の挙動からの連想>
とか考えるようになる事ってありますよね。
本題に戻りますが、こどもの頭の働きと言語習得について考えると…
# 断っておきますが、以下の話はあくまで
# 一般的な範疇の話ですよ。
# 『ウチのこどもは違う』とか、『私が子供の頃は…』
# とか突っ込まれても、反論しきれない部分は大いにあります。
まず、こどもは論理的に物事を把握するのが苦手な傾向にあり、また、
頭が柔らかいので色々な事を覚えていることが出来ます。
これは、英語の例で簡単に言えば、色々なタイプの例文集が頭の中に
入っている状態です。しかし、各々の例文と自分の経験との間の結びつき
が薄いため、うまく連想することが出来ず、必要な知識を必要な時に
引き出すことが出来ません。
しかし、その後の様々な学習経験や実体験などにより、記憶と記憶の
間のネットワークが構築され、様々な連想が出来るようになります。
また、記憶を保持し続けることにより、時間の経過と共に抽象化が
なされ、体系化され、単なる例文集だったものが、生きた知識として
固着化していくと、私は考えています。
その、各々の頭の中に体系化されたものを書物にしたのが文法です。
私の考えでは、『樽にたまる』とは言い得て妙で、そうした時間の
かかる・無意識下で行われている、人間がなかなか自覚できない
プロセスをうまく喩えているなぁと思っています。
つまり、(大人ですから、頭の柔らかさでは子供にはかないませんが…)
英文をたくさん読み、その具体的なイメージが無意識のうちに抽象化され、
連想が出来る様な記憶のネットワークが構築されるようになるのは、
それなりに時間がかかるし、その間に記憶の出し入れの反復も必要です。
何よりも、人間は色々な事を忘れる生き物ですから、普段から使わない
英語などの他国言語の記憶を維持しようとしたら、それなりの時間を
とってその言語に触れ続けないと、記憶がどんどん風化してしまうと
思うのです。
でも、記憶のネットワークが構築されるには、まずは英語にまつわる様々
な記憶自体が維持される必要がありますので…そういう意味で、多読は
言語学習メソッドとして優れていると思うんです。
ちなみに、暮れから話題になっている『樽の穴』というのは、単に
『人間が忘れる』と言う事ではなく、時系列の記憶の風化要因(短期→中期
→長期の間に失われていく部分ですね)と、無意識に行われている抽象化・
連想に対する、意識下での阻害要因を考えてみようっていう話だと、私は
思っています。
『樽に水がたまる』という現象に関する私なりの結論を、以下に模式的に
まとめてみます。
・英文をたくさん読む
↓ ↓
↓ ・無意識下の記憶の選別
↓ ↓
↓ ・記憶の抽象化(無意識)
↓ ↓
・過去の記憶が呼び起こされる ↓
↓ ↓
・連想ネットワークの構築(無意識)
この英語に対する固着化された記憶(単語や構文や文法)と、連想ネット
ワークがある程度成長することで、あるレベルの文章がスラスラと読める
様になっていた・話し始めたら/書き始めたらどんどん言葉が出て来る
自分に気付く、これが
『樽にたまった水があふれ出した』
状態だと私は思います。
# 上記で書いた『(単語や構文や文法)』は、当然の事ながら
# 知識として詰め込まれたものではなく、たくさんの英文を
# 読んだものが頭の中で抽象化された結果を言っています。
〉樽からあふれるイメージを描くと、ペラペラ話したり、スラスラ書いたり「発信」することをイメージしてしまいます。でもそれが多読の目的でしょうか?「樽」を問題にすると、それだけの量をためることが多読の目的になってしまうような気がします。
んーっ、それは(変な言い方ですけど)ゆゆしき問題ですね。
なんか本末転倒チックな話です。
〉私は日常的に英語は必要ありません。話すことも書くこともほとんどありません。もともと英語はあまり好きではないので、そんなに話したいとか書きたいとかいう野望も持ってません。だいたいロマンス本とはいえ大人用のPBが勉強もしないのに読んでる、ということ自体フシギな現象なんです。でも読んでるだけでは自分にどれだけの英語の蓄積が出来たのかよくわかりません。
多読の目的は人それぞれですよね。
でも、多読をしている人の中に、
『読書も楽しいけど、英語学習の効果が大事だから、
(なんとかコンスタントに時間を作って)多読を
続けている』
という人がいてもおかしくないと思いますよ。
〉多読って自分なりに英語の楽しみ方を見つけることのはずです。私は読みたい本が読めたらそれでいいですが、シャドウイングをしている人もいますし多聴してる人も多書してる人もいます。自分なりの満足度が得られたら「一杯になった」と考えたらいいのかなーと思います。
私の考えでは、『樽に水がたまって溢れ出す』というのは、イメージ的
な言い方なので、そういう実感が持てない人もいるんだと思います。
でも、
『以前は読めなかった本が(数ヶ月後や数年後に)読めるように
なっていた!』
という経験は、多読を続けた人の多くがするハズです。
イメージは違いますが、私には同じ事を指しているように見えます。
〉「樽」に例えるならむしろ英語に対する要求度の大きい人ほど樽が大きくて一杯になりにくく、要求度が低いとすぐ一杯になるんじゃないかと思います。英語が「できる」ようになりたい、話せるようになりたい、映画を字幕なしで見たい、英文メールを書きたい、というふうにたくさん「なりたい」が多かったら樽も大きくなってなかなか一杯にならず、目標がもっと低かったら樽も小さくてすぐ一杯になるんじゃないでしょうか。
そういう事では無いと思います。
上記に書いた『樽』の性質を考えると、ここに関連する要素をドラ的に
影響度の大きい順で並べてみると…
1) 忘却の早さ・記憶のしやすさなどの資質
2) 多読・多聴などに対する集中度(好き/嫌い・ハマり具合)
3) その他の阻害要因(お勉強的な姿勢・和訳に対する固執・
文法など、こども式から離れた要素に対する固執・などなど)
4) 抽象化の早さ・連想ネットワーク構築の早さ
ですから、私の考えは、資質的な部分が一番大きく、自分自身でコント
ロール出来る範疇は、2)と3)だけだと考えています。
〉やっぱり「樽に穴が開いてる」というのはちょっとネガティブな考え方ですね。だから不安を感じる人もいるんです。「なかなか一杯にならない」と思う人は、「もれてる」んじゃなくて「樽が大きい」んじゃないでしょうか。
杏樹さんと結論に至る過程は違いますが、私もずっと心配している人達は
ちょっとネガティブだと思っています。
人間が忘れることを止められない以上、これは心配しても仕方ないこと
だとしか私には思えないからです。
Happy Readingが一番♪
だと思いますよ。
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