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お名前: たかぽん
投稿日: 2007/12/28(02:07)
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酒井ぽんさん、こんばんは。たかぽんです。
樽論、ホットな話題ですねー。(笑)
樽論はちょっと置いといて(オイオイ)、私が最近思ってるのは、波長論です。
これはまだ完成を見ていないので、ちょっとだけよ〜んですが。
まぁうまくまとまらないので、ぼんやりと書きます。
このごろですね、「多読」に懐疑的なのです。
単純に量をインプットすれば言葉ができるようになるのか?
そうではないと思っています。
何千万語読んでも、英語ができない人もいる。
かと思えば、そんなに量をやったと思えない人でも、できるようになってる人もいる。
言うなれば、やっぱり量より質。
かといって、それは、英語の参考書に戻れ、という意味ではなく。
ここから、ちょっとオカルトになりますが・・・
やっぱり、その人その人の「人生の目的」と関係するんじゃないかと思ってます。
どういう人生を送っていくか、何がこの世で自分が一番したいことなのか。
そんなことをよく知っている「自分」がいて、それにいかにアクセスするかというのが、
カギのような気がしています。
人生は、「自分」を知るための旅とも言えましょうかぁ。
で、ここのところは、一見、世界は不公平です。
英語が習得しやすい人もいれば、そうでない人もいる。その差はめちゃめちゃ激しい。
でもそれは、それぞれの人生の目的に関係していることだから、そんなもののようです。
英語を習得しやすい人というのは、インプットするというものですらないかもしれない。
英語に目覚めて、そこに集中していけば、あっという間に英語を運用できたりする。
そういう現象も起きる。
人それぞれ。
人によっては、別に「自分」は、英語をやりたくもないのに、やろうとしている、という場合もある。
「勉強」によって、英語を身につけるという経験をしに来ている場合もある。
事情はけっこう複雑。人それぞれ。
「自分」にアクセスするカギは、楽しさ・喜び・わくわく等。
心が向くことを、やったらいいだけだと思う。
心に逆らってみるのも、実験として、それもまたよし。
(心に従うほうが、「すんなり」とは行くけれど。)
だから、何でもいいんだと思う。
学校の授業でも、おもしろいなーと思えば聴いたらいいし、つまんなかったら適当に…
(あまり大きな声では言えませんが…)
一律に、学校教育を否定することはないと思います。「間違った」ものでも、
人によっては良い出会いの場合もある。
何にしろ、「攻撃」なんかしなくていいと思う。
おもしろい、おもしろい、というエネルギーとかパワーがみなぎれば、
おのずとそうなっていきますて。
(めちゃ楽観的すぎますかねぇ・・・)
あっ!! 「波長論」ですが。
何だっけ・・・
なんかね、こるもさんが言っておられたのがすごく共感できるんですけど、
言葉って海だと思うんですよね。
その、海外に住むという意味でなくて、こう、何というか、英語〜と思ってると、
いながらにして、その英語の海の中にいるような感じがしますの。
こどもだったら、もっとこのへん、感じとしてわかると思うんですが。
でも、「自分」が別に英語なんかね〜と思っている場合もあるわけで、
そういう人は英語の海に入りたくないし、それはそれでいい。
・・・たいへんばくぜんとしてますが、そんな感じ。
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