なるほど、だから日本語が読めなかったんだ…

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10237. なるほど、だから日本語が読めなかったんだ…

お名前: ひまわり
投稿日: 2007/12/23(10:15)

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〉アーニャさん、そして、こるもさん、酒井先生、ありあけファンさん、かのんさん、acha758さん、今晩は。fiona@もうすぐ100万語です。

みなさん、こんにちは、ひまわりです。
(アーニャさん、fionaさん、はじめまして!)

fionaさんのこれ、読んで、思いました。
そうか。わたしは、日本語の樽が、穴、あきまくりなんだ!
そして、その穴のことが、昔からずっとずっと、悩みの種だったのでした。

〉「樽の穴」に関しては、「英語」だと何でそんなに騒がないといけないの?…と言うのが第一の感想です。大事なことだとは思いますが、何かピンときません。

〉私自身は、「英語多読」も「日本語読書」と同じように読んでれば、それでいいじゃない、と思っています。
〉日本語では、読みたいもの(主にSF)を読みたいだけ濫読(先を知りたいため、飛ばし読み、斜め読み日常茶飯事)して、気が付いたらかなり難しいものでもきちんと読めるようになっていました。
〉英語でも、同じように読んでれば読めるようになる(のだろう)、と思って多読しています。
〉ただ、日本語の読書量が、多分英語換算2億語くらい(?)なので、英語でそこまでは追いつけないのが問題。
〉日本語では、1000冊くらい(英語換算5000万〜7000万語?)読んだら(多分)かなり読めたので、英語でもそれくらいはまず読みたいものだと思っています。とりあえずは3000万語くらいかな?

〉「日本語」で読書を楽しんでいたことを基準に、同じように「英語」を読めばそれで良いと思うのですが、どうなんでしょう?
〉酒井先生が「多読通信」のコラムで「樽の穴」で書かれていたことも、日本語の読書であれば、当たり前のことだと思いますが…。

〉-−−−−−−−−−−−−−−
〉「*森の全体を見ずに、木に目がいってしまう場合

〉 単語にこだわる 文法にこだわる 一つ一つの発音にこだわる」

〉日本語で読みたい本を読んでいるとき、「単語にこだわる」ことはないです。と言うより、ややこしそうな言葉は、雰囲気だけつかんで跳ばしてしまいます。(何回も出てきて気になったら調べることもあるかも…何十冊に1回くらい?)
〉現在、英語も同じ。ただ、数冊に1回くらいは調べることあり。

〉「文法」はそもそも意識もしてない。文法的に解析するなんて、そんなバカバカしいことはやったことはないです(内容理解にあまり関係ないのでは?)。まあ、ややこしい文章で、これとこれがつながって…とちょっと考えることはありますが。
〉英語でも、まあ同じような感じで読んでいます。

〉「発音」もこだわったことはないです。たまに、標準語だったらイントネーションが違うかも(私は大阪人です)と思うくらいのことはあるかもしれない。この漢字、なんと読むのかなあ、と言うのはあるが、適当に読んでいる(よく見ればちゃんと読めるのに、勘違いして間違ったまま読んでいることも…)。
〉英語も、読み方(発音)は、わからなければ適当です。(調べるなんて面倒くさい、まあ、暇があったら朗読のCDか何かは聴いてもいいけど)
〉 
〉 
〉「*読書の楽しみは内側にあるのに、外側が気になってしまう場合

〉 和訳にこだわる 100%理解にこだわる 試験の点数にこだわる
〉 目標達成にこだわる」

〉「和訳にこだわる」…これは日本語読書では問題外。「英語」も「内容がわかればOK」。和訳なんて面倒くさいことしたくない。

〉「100%理解にこだわる」ことはない。とにかく面白く読めればよい。日本語も英語も、わからないところは、とりあえず、「雰囲気」だけつかみ次へ進む。

〉「試験の点数にこだわる」…日本語読書では関係なかった。英語でも、今のところ関係なし。

〉「目標達成にこだわる」…日本語では、単に読みたいから読んでいたので関係なし。「英語」では、少しあるかも。とりあえず3000万語くらいは読みたいのだけど、今のペースだと30〜60年はかかる。で、週一のホリデー多読だけでなくもう少しペースを上げたいなあ…と。でも、無理に読むのも、英語を読むのがいやになるので困ったもんだ。平日は眠いし…。徒歩通勤だし(二宮金次郎は危ないし)。
〉−−−−−−−−−−−−−

〉「樽の穴」として書かれてあることは、日本語で読書を楽しむときは、「そんな面倒なことはしない」ようなことではないでしょうか。

〉「日本語読書を楽しむ」のと同じように「多読」をすれば、特に、「樽の穴」なんか気にしなくても…と思ったのですが、考えが単純すぎ???かな?

なるほど・・・

わたしは、日本語の本が読めなくて、ずっと悩んでいました。
子どもの頃から、それがずっと、悩みの種の一つだった。
fionaさんの投稿読みながら、もう一度「樽の穴」の話、自分の日本語の側にあてはめて考えてみたら、
「樽の穴」として書かれていることのうち「和訳にこだわる」以外のことは、
わたし、ほぼ全て、日本語読書において、全力を傾けてやってきたことでした・・・

「単語」「文法」「発音」すべて、日本語で「読もう」とするとき、気になってしかたありません。
(「文法」については、ちょっと思い出すことがあります。
中学で国文法というのをやったとき、しばらく、完全に日本語の文が、読めなくったことがあります。
文を読んでも、文字がバラバラの「印」の羅列にしかみえず、単語や文の意味を、かたちづくってくれないのです。
読めないわけがないと思って、鉛筆片手になんとかがんばって、読んでみても・・・
習った国文法、駆使して読んでみても・・・
文の意味はスルスルと抜け落ちていってしまう。とても怖い世界でした〜)

「100%理解」「試験の点数」ああこだわってますね。
「それで、何が書いてあった?」とか、試されるのがいつも怖い。

「目標達成」これはとうの昔にあきらめたけど(あきらめて、読まなくなった)、昔こだわったのではなかったかな。
「本は最後まで読むべき」「本はたくさん読むべき」「こういう本は読んでおかなくちゃいけない」みたいに、
達成目標が心の中に先にあって、なのに「自分は読めない」ということに、かなり苦しんでいたから。
(あれ?これでは、ちょっと意味ちがってるかな・・・?)

というわけで、わたしは「日本語読書」の樽に、穴があきまくっていたわけですね。

そういえば最近、英語の本を読んでいて(やっと少し分厚いPBが最後まで気持ちよく読めるようになってきたのですが)、
「日本語の本も、もしかしたらこんなふうに読んでみたら、読めるかも知れないな」と、
はじめて、ちらりと、不意に、思えた瞬間があって、日本語についても、光をみたようで、うれしかった。
英語多読を続けるうちに、いつの間にか日本語読書の「樽の穴」も、すこしは小さくなっていくのかもしれませんね。

アーニャさん、英語読書の楽しみが、またアーニャさんの手元に、早く戻ってくるといいね!

(出かける前にあわてて書いたので、的外れなこと書いてるかも。だったら、ごめんなさい!)

〉ではでは!!

ではでは!
失礼いたします。


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