[掲示板: 〈過去ログ〉本のこと何でも -- 最新メッセージID: 3237 // 時刻: 2024/11/24(12:37)]
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2662. Re: GRは,消費としての読書か,投資としての読書か,等
お名前: 極楽トンボ
投稿日: 2008/6/22(20:38)
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主観の新茶さん、こんにちは!GRトンボです!
アドラー『本を読む本』を紹介しながら、英語多読でGRを読む意義を問うてくださいましたね。アドラーの本は、半年ほど前にはまこさんが掲示板で言及しておられたので、私も少し興味を持っていますが、いまはわきに置いておかせてください。
わたしはなぜGRばかり読んできたのか?
多読を始めた時、スターターのGRがすいすい読めたので、これはいけると思いました。英会話のような難しいことなど自分には絶対無理だと思ってあきらめていたけれども、せめて英語の本が読めるようになりたいと私は思っていました。GRは外国人が英語の本を読めるようになるための学習書として設計されていることがよくわかりましたから、これをたくさん読めば効率よく英語の本が読めるようになるのではないかと思えました。
SSSの先輩の例を参考にし、わたしはGRが一番上のレベルまで読めるようになったら、比較的やさしいといわれているPBを読みすすめ、最短で一般書が読めるようになろうという作戦をたてました。べつに会話ができなくてもよいから、児童書の類はなるべくパスして、効率よくいこうと思ったわけです
そこで、GRセットを下から順番に読んでいきました。おもしろいかどうかなんて度外視していました。英語の本を読む楽しみを獲得するためには、この程度のものはおもしろくてもつまらなくても読んで訓練を積むことが最重要だと思っていました。さいわい、意外とGRにはおもしろいものがちらほらあって助かりました。
レベル3、レベル4あたりで3回の停滞に見舞われました。あー、苦しい、読めない、つまんない、もうGRなど二度と読むまいと思いました。わたしはSSS3原則のうち、辞書を引かないことだけしか守っていませんでした。GRが読めなくてはPBなんて読めないのだから、これぐらい読めなくてどうする、と思っていたので、読めないところを飛ばして読むなんて考えられなかったし、まして本を途中で読むのをやめるなんてとてもできませんでした。でも、読めないからといって、文法的に分析しながら読むのはご法度だし、ときに禁を冒して分析読みしてもよくわからない文章がでてくるととっても落ち込むしで、結局、英語多読それ自体がやんなっちゃったわけです。電車の中でGRを読む代わりに、駅で日刊ゲンダイを買って読むようになりました。家でゆっくり新聞を読めず、新聞を取ることさえやめてしまったので、新聞に飢えていたんです。停滞に陥ると、GRが日刊ゲンダイに負けちゃうわけですね。
しかし、英語の多読をきっぱりやめることもできず、数ヶ月たってほとぼりが冷めるとまたGRの多読を始めるわけです。二度の停滞を経て、わたしも少し賢くなりました。飛ばし読みができるようになったのです。飛ばし読みして、とにかく最後のページまでたどりつこうとそればっかり考えるようになりました。そしたら、まただんだんいやになってきて、3度目の大停滞に陥りました。飛ばし読みでどうにかこうにか最後のページにたどりついても面白くないわけですね。GRセットを読み終わってしまったら、その後はきっと、多読を継続するモチベーションが維持できないだろうと思いました。
結局のところ、わたしにとって、GRは読書の楽しみより効率的に読む学習を優先している作り方が魅力だったわけです。しかし、いくら効率的に読む学習を優先するつもりでいても、英語の多読がまったく読書の楽しみと無関係にすむわけではないということをわたしは身をもって学びました。
GRセットを読み終わってから、自分の多読方針を考えあぐねていましたが、結局、継続できる多読のあり方を追及するしかないと思うようになりました。少々疲れていても忙しくても、読むのが辛くなくて楽しめるようなものを選んで読み続けるしか、多読を続ける方法はないわけです。レベルの低めのものを読みつつ、ときどきレベル高めのものにも挑戦してみて、駄目そうだったらすかさず、絶対楽勝のものを読むという、掲示板で皆さんが実践しておられる普通のSSS多読のやり方がよいと悟った次第です。こんなことは、掲示板を読んで四年前から知っていたけど、わたしが身をもって理解するのに四年もかかりました。つくづくアホな人間だと思います。
まあ、多読をやめるつもりはありませんから、読める本を探して気長にやるしかないと思います。GRだろうが、児童書だろうが、大人向けの本だろうが、もうなんでもいいんです。楽しく読めれば。
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2663. Re: GRは,消費としての読書か,投資としての読書か,等
お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/6/24(20:00)
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極楽トンボさん、主観の新茶です。
紆余曲折があったのですね。
これからですよ。
私は、和書も、そのとき、興味が湧いたから読み、結果的に、相応の多読生活になっているのであって、興味が湧いたというのと、楽しいというのとは、違うような気がします。
英語の本も、興味があるから、読んでいると思われます。
興味があることは、happyの仲間といえるでしょう。
しかし、本を読むと、楽しくて楽しくて仕方がない、というようなことは、ありません。
だから、英語の本のみ、なぜに、そんなに、happyが声高に必要なのか、本当のところは、腑に落ちません。
映画やテレビは、趣向を凝らしているから、たまたま見ていると、ドキドキすることがありますが、そのような気持ちになりたくて、わざわざ、映画やテレビの番組を選択することも、まず、ありません。
ジェットコースターのように、心臓がドキドキする物理的作用が、興奮など心理的作用に影響を与える娯楽に、敢えて行くこともありません。
普通に運動すれば、足りると思っています。
運動不足ですが。
私は、多くの人と同じく、現実の問題に関わる仕事をしていますから、その現実を直視し、現実に適合する事実を認識し、認識に適った判断をするということになりますし、ストレスも多いのですが、仕事以外で、ことさらにhappyを求めてやまないとやっていけない、という気持ちにはなりません。
読書において、現実を直視する内容を読むに、何ら厭うことはありません。
それでは、また
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2664. Re: どうして、「Happy」Reading! なのか
お名前: fiona
投稿日: 2008/6/26(22:46)
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主観の新茶さん、今晩は。
極楽トンボさん、横からすみません。
どうして、「Happy」Reading! なのか…と、表題には書いたのですが、うまく説明できるかどうか。
誰も、書かれないようなので…書いてみます。
これまで、学校では、英語を読むと言ったら、英和辞典を引いて、文法的に解析して、とにかくきちんと和訳する、と言うのが主流で、「精読」とか言われていました。
確かに、力がつきそうな気はします(本当につくかどうかは別ですが)。
でも、これを続けていくことは、普通の人には困難です。
(しかも、これで十分な量をこなすのは更に困難です。量をこなさないと力はつかないのに)
続けるには、苦行ではなくて、続けていく楽しみがないと難しい。
また、楽しんでいても、続けて多くの英文を読んでいけば、英語の力はついて行く。
と言うことで、多読では、続けられるように楽しんで英語をよみましょう(楽しむことで英語多読を続けましょう)→「Happy Reading!」となるわけです(そうなのだと思っています)。
そして、英語多読をしていると、(量やレベル的に)無理をして多読を続けようをしてしまうことがあります。
このような場合、無理をしている分、精神的に疲れがたまり、多読を止めてしまったり中断してしまうことが多々あるようです。
このようなことを防ぐためにも、楽しく(楽しみを持って)読めているかどうか、英語を読むのがつまらなくなったりイヤになっていないか、と言うことを時々確認しておく必要があります。
ですから、こう言う意味でも、「Happy…」と挨拶しています(と言うふうに私は解釈しています)。
以上は、私の個人的な意見ですので、別の方にきいたら、答えは違うかも知れません。
ではでは、Happy Reading!!
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2665. Re: どうして、「Happy」Reading! なのか
お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/6/27(00:24)
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fionaさん、こんばんは。主観の新茶です。
帰宅して偶々見たら、投稿された直後でした。
お返事は、間を置こうかとも思いましたが、簡潔にお返事した方がよいかと思いました。
happyには、まず、消極的意味と、積極的意味の分類があります。
fionaさんが述べられたのは、消極的意味のhappyです。
私が、あくまで、自分の心構えとして言及したのは、積極的意味のhappyです。
私が、fionaさんの述べられている消極的意味のhappyを肯定していることは、fionaさんも、上記2個の私の投稿、及びその他の投稿をご覧になっていて、理解されているのではないかと思っています。
私がここで述べている消極的意味のhappyの定義は、fionaさんの述べられているものと、ほぼ同義です。
消極的意味のhappyは、常に確認していないと減少しがちですから、これをシャワーのように挨拶代わりにすることは、必要だと思います。
これを「声高」と述べているのではありません。
私は、積極的意味のhappyも、その内容及び程度に応じ、否定するものではありません。
ここで積極的意味のhappyの定義について述べる必要がありますが、私は、上の投稿は、あくまで、自分の心構えとして述べたのであるし、論争に対応していくだけの元気はありません。
今、積極的意味のhappyの概念を過不足なく記載する、という気持ちになれません。
消極的意味のunhappyな状態を一応脱し得たのであるならば、それは、日本の中でも、いわんや世界の中では、恵まれた地位にあると思いますが、次に、会としては、どういう方向を目指そうとしているのかを、今のところは、自己に問うたに過ぎないのです。
それでは、また
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お名前: 極楽トンボ
投稿日: 2008/6/27(19:28)
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主観の新茶さん、fionaさん、こんにちわ!
極楽トンボです。
英語の本を読むときにのみ、ハッピーかどうか自分に問わずにいられないのは、やはり、自分はまだめざす境地に到達していないという意識があるからです。
いま、cobble streetを8冊中7冊読んだところです。第2巻だけ注文しそびれて読んでいません。昔読んだ妹の少女マンガのような独特の世界を堪能しました。きっと、cousinsと同年代の小学生の女の子なら、こういう生活を送ってみたいと憧れるのかもしれないし、大人の女の人なら、自分の幼年時代を思い出して、ああそうだったなあなどと楽しむのかもしれないなと思いました。
cousinsは、マイケルとルーシーおばさんの仲をくっつけようとしますが、そういうところに、彼女らの恋愛への憧れや、公演旅行で家を空けがちな父母とは違って、いつも家にいてくれそうな父母への憧れがよく出ていたような気がします。
私は男なので、マイケルはアルバイトもせず植物学の勉強ができて、小学生の女の子たちの精一杯の応援を背に花屋を営む美女のハートを射止めることができてじつにめでたいと思いました。
登場する人物がいちいち世間離れしているかもしれないけど、その分とても上品なんですね。cousinsの設定も、実は彼女たちは後に芸術家として有名になるというようなオチは一切ないし、実は前の学校で疎外されていたというような恨み節もない点でとても気に入りました。
でも、きっとマイケルが植物学で食っていくためには、いつまでもcobble streetにはいられないだろうし、そうしたらルーシーおばさんはどうするのだろうか?毎年夏休みにcousinsはルーシーおばさんの家で過ごせるだろうか?やはり、cousinsにとって、この一年の体験は、その後の人生で二度と繰り返すことのできない貴重な体験だったのだろうなあと思わずにはおれませんっ!
というわけでとても楽しく読みました。まあ、小学生の女の子の眼に映る世界は中年オヤジの世界とはまったく異なるので、彼女らの注目する事物にはわたしの知らないものがけっこうあるらしく、わからない単語が結構出てきます。言い回しもよくわからないものがあります。こういうのは雰囲気で読み飛ばしていますが、cousinsのセリフや態度など、難しくてついつい考え込んでしまいます。お父さんお母さんに会えるのはうれしいけど、cobble streetと別れるのは悲しいって、おいおい、泣くほどのことかい?その結果、ルーシーおばさんもさびしがってるのに気が付いて、cousinsは救われたような気分になります。こういう心理描写をたどるのは、感情移入するのは難しいけど、けっこう楽しいわけですね。
多読を始めたのは、自分の読みたい本が読みたいからです。まだ、そこまで読書力が到達していない以上、読書力を継続的に養成する必要があります。cobble streetは、べつに自分がどうしても読みたい本では全然ないけれども、いまは、今の自分に簡単に読める本の範囲で楽しめばいいや、そうやってできるところまで行ってみようと考えている次第です。いったいいつまでこういう落ち着いた境地が続くか楽しみであります。
わたしは一体、楽しんで読んでいるのでしょうか?
読書力養成の手段として読んでいるに過ぎない点で、わたしは楽しんで読んでいるとは言えないのかもしれません。しかし、電車に乗っても日刊ゲンダイの誘惑に負けることはほとんどありません。ということは、すくなくとも日刊ゲンダイよりは楽しく読んでいるということになるのではないかと思います。ごめん、日刊ゲンダイ。
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お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/6/27(21:08)
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極楽トンボさん、fionaさん、今晩は。
主観の新茶です。
帰宅してみたら、投稿されて、まもなくでした。
ちょっと、いにしえの教えと違うかな、という趣旨の表題を、正々の旗、堂々の陣で、載せるのが、極楽トンボさんらしい。わかっていて、載せるのも、わかっています。日刊ゲンダイも、白旗を振るでしょう。
くだんの童話は、地域consultant、地域businessのような内容が、縦糸にあるのですか?
アメリカは、児童ものとはいえ、small businessをするのが、多そうですね。
私は、seriesでは、SSSで、NATEか、PUTTERを読んだくらいです。
あとは、つまみ読み。
fionaさんが、NATEは、curiousな人物が多いと評されていますね。
作者も、RISAMONDらについて、curiousだと述べています。
でも、私は、作者の言葉をそのまま信用していないのです。
むしろ、人間の本性が表出された、大人の寓話だと思っています。
実際、物語では、大人は、ほとんど出てきません。
RISAMONDなど、大人顔負けの消費生活をしている子供もいます。
登場人物達は、大人でも、少なくとも中流の上以上の家だと思われますね。
ROSAMONDは、自分の主義主張を維持したままで、好きなNATEを改造し、操りたいのだと思います。
NATEが好意を寄せるのは、ANNIEです。
彼女は、主人公を操ろうという気持ちはありません。
ごく自然に、依存心を見せます。
NATEは、思春期を迎えていない建前ですから、作者は、仮定法を使用し、NATEをして、「女の子を好きになるなんて考えられないけれども、もし好きになるとしたら、ANNIEだ。」と言わしめています。いわく、I would like Annie if I liked girls.
しかし、作者は、実は、ROSAMONDにも、魅力を感じていたのですね。
昔、魅力を見いだせなかった思い出があるのかもしれません。
男の子のCLAUDEは、always losing thingsで、 life in lost and foundの茫洋とした人生を送っていますが、それも、作者の理想とする一面だと思います。
NATEは、手元に1冊もないので、思い切って買い集めてみようかとも思います。
第1冊のonの使い方など、興味のある表現が適度にあった記憶であり、私のレベルには、合っています。
それではHAPPY READING
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主観の新茶さん、はやばやとレスくださってありがとうございます。極楽トンボです。
>ちょっと、いにしえの教えと違うかな、という趣旨の表題を、正々の旗、堂々の陣で、載せるのが、極楽トンボさんらしい。わかっていて、載せるのも、わかっています。日刊ゲンダイも、白旗を振るでしょう。
おっしゃるとおり、断章取義の疑いがあります。でも、変化球のつもりはないですよ。本を読む楽しみって、本来こういうもんじゃないかなーと思ったんです。純粋な読書の楽しみなんて、そんな抽象的なものを考えても仕方がないと思うんです。100パーセント楽しむなんて無理だし、それじゃ、再読が不可能になります。わからないところがあるから楽しむことができるのであって、わからないところがあるということは学習の余地があるということであって、学習の余地があるということは楽しむことができるということにほかならないと思います。だって、読む前からわかりきっているものを読むのは苦痛ですもん。ただ英語の場合は、実利に結びついている度合いが高いので、読書と楽しみの関係が非常に歪んでしまっているのだと思います。
>くだんの童話は、地域consultant、地域businessのような内容が、縦糸にあるのですか?アメリカは、児童ものとはいえ、small businessをするのが、多そうですね。
地域コンサルタントとか地域ビジネスって、わたしには初めての単語ですが、町おこしのようなことですか?主観の新茶さんの発言は、私にはない発想に基づくものが多いので、いつも刺激になります。お題を頂戴しました。cobble streetにかけて町おこし、スモールビジネスと解く、その心は?
Cousinsは、cobble streetで暮らすようになった早々、クッキーを焼いて町の人に売ろうとします。思い思いの意匠をこらしたクッキーを丹精こめて作り、ポスターを作って張り出し、注文を待ちます。すると、いろいろな人から注文がはいります。後にルーシーおばさんと結婚することになるマイケルもCousinsのクッキーを注文したのが縁でCousinsと知り合いになります。このときにCousinsが見知らぬ町で作った町の大人との人間関係が、その後一年間のCousinsの活動を支えることになります。パーティーをやって大人たちを招待したり、新聞を作って大人たちに配布したり、身寄りのないお婆さんに洋裁を習いに行ったり。町おこしのスケールまでは至らないけれども、じゅうぶん地域社会を活性化していると言ってかまわないくらいの活躍だと思います。
いま気がついたけれども、cobble streetにはCousins以外のこどもが登場しません。秋になってCousinsが学校に通い始める描写はあったけれども、学校がどんな学校だったか、学校でどんな友達とどんなふうに交際していたのか、というようなお話はほとんどなかったような気がします。cobble streetはCousinsの眼から見た子供の世界を描いているのですが、Cousins以外のこどもは登場せず、基本的にCousinsと周りの大人たちの織り成す世界が描かれています。これはどういうことなのでしょうか、Cousinsが自分たち以外の子供の社会には関心を寄せていないということは?ルーシーおばさんとマイケルをくっつけることに熱意を燃やしているように、ちょっと背伸びしたい年頃なので、同年代の子供たちのことには関心をもてないということなのでしょうか?きっと、転校生の美少女三人組を好奇のまなざしで見ているクラスの男の子なんか、お呼びじゃなかったのでしょうね。
>fionaさんが、NATEは、curiousな人物が多いと評されていますね。
作者も、RISAMONDらについて、curiousだと述べています。
でも、私は、作者の言葉をそのまま信用していないのです。
むしろ、人間の本性が表出された、大人の寓話だと思っています。
実際、物語では、大人は、ほとんど出てきません。
RISAMONDなど、大人顔負けの消費生活をしている子供もいます。
> >ROSAMONDは、自分の主義主張を維持したままで、好きなNATEを改造し、
操りたいのだと思います。NATEが好意を寄せるのは、ANNIEです。
彼女は、主人公を操ろうという気持ちはありません。ごく自然に、
依存心を見せます。
>>NATEは、思春期を迎えていない建前ですから、作者は、仮定法を使用し、
「女の子を好きになるなんて考えられないけれども、
もし好きになるとしたら、ANNIEだ。」と言わしめています。
いわく、I would like Annie if I liked girls.
>>しかし、作者は、実は、ROSAMONDにも、魅力を感じていたのですね。
昔、魅力を見いだせなかった思い出があるのかもしれません。
>>男の子のCLAUDEは、always losing thingsで、
life in lost and foundの茫洋とした人生を送っていますが、
それも、作者の理想とする一面だと思います。
Nate the Grteatは、一冊しか読んでいません(the Monster Mess)。
一冊だけでは、断片的過ぎて、Nate the Grteatの作品世界は見えてこないだろうなと思いました。Nate the Grteatには、主観の新茶さんの指摘してくださっているような、NATEとANNIEの淡い関係、いつもNATEを悩ましていそうなROSAMONDや、隠者の風格のありそうなCLAUDEの性格など、読みどころがいろいろありそうですね。わたし、なんか女の子の気まぐれに振り回されるって経験があんまりないので、ちょっと憧れます。Nate the Grtea、とっても期待してます。
cobble streetにせよ、Nate the Grteatにせよ、多読の定番シリーズですから、書評もたくさん上がっているし、ブックガイドにも紹介されているし、掲示板やブログなどでもときどき取り上げられているので、それらについてたくさんの情報を読む前に知ることができます。でも、自分の読んだ印象を新たに書き込んでレスいただいたり、また掲示板で知っている人の感想を新たに眼にしたりするのは、また格別の楽しさがありますね。みんなが読んでいる多読の定番のレビューは、たくさんあってもありすぎることはないと思います。
ハッピーリーディング!
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お名前: まりあ@SSS http://buhimaman.at.webry.info/
投稿日: 2008/6/27(22:28)
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極楽トンボさん、はじめまして。 まりあ@SSSです。
〉英語の本を読むときにのみ、ハッピーかどうか自分に問わずにいられないのは、やはり、自分はまだめざす境地に到達していないという意識があるからです。
確かに!
誰しも、いつも意識の底には「もっと読めるようになりたい!」と
いう意識があるはずです。
〉いま、cobble streetを8冊中7冊読んだところです。第2巻だけ注文しそびれて読んでいません。昔読んだ妹の少女マンガのような独特の世界を堪能しました。
おお、理想のオヤジ王子現る!!
今「大人の英語多読入門」という本を執筆中です。
40代後半以上の方々を対象に、定年後を楽しく過ごして頂く
ための多読のお薦め本です。
想定読者としては、どちらかというと男性を意識しています。
リタイアしたら、子どもも巣立って結婚当初の夫婦2人で向き合う
生活に戻りますし、孫が出来る人もおられるでしょう。
女心や子ども心を理解出来る人程、夫婦2人の生活も円満で
交際範囲も広がり、孫にも慕われ、楽しい第2の人生を過ごされる
はずです。
〉きっと、cousinsと同年代の小学生の女の子なら、こういう生活を送ってみたいと憧れるのかもしれないし、大人の女の人なら、自分の幼年時代を思い出して、ああそうだったなあなどと楽しむのかもしれないなと思いました。
こういう、立場の違う他人の感情を想像出来るのは、精神的に
柔軟な証拠、つまり気が若いということです。
極楽トンボさん、もてるでしょ、くぃっ くいっ(笑)
ちょいワルおやじなんて怪しげなのより、ずっと魅力的!
〉cousinsは、マイケルとルーシーおばさんの仲をくっつけようとしますが、そういうところに、彼女らの恋愛への憧れや、公演旅行で家を空けがちな父母とは違って、いつも家にいてくれそうな父母への憧れがよく出ていたような気がします。
こういう感想を伺うと、しっかり本が読めているな、と感じます。
英語を読んだのじゃなくて、本を読んだと。
えらそーな物言いで恐縮ですがm(_._)m
〉私は男なので、マイケルはアルバイトもせず植物学の勉強ができて、小学生の女の子たちの精一杯の応援を背に花屋を営む美女のハートを射止めることができてじつにめでたいと思いました。
う〜ん、嬉しいな。こういう風に物語に浸ってくれる人に会えると。
とかく中年男性は、「バイトもせずに植物学の勉強なんかしていられ
たら世話ないわな、ふんっ、男はな、必死で稼いでお前達食わせて..」
となりがち...
「んも〜、娘の婿さん候補の品定めしてるんじゃなくて、お話
なんだから、いちいちいわないでよっ!」と、幾つになっても女は
思う。いや実際娘が結婚するとなったら、女の方がこういうこと
うるさいんかもね。でも女は、「お話はお話」と割り切って楽しむ。
ここで話がかみ合わなくなるから、男性が定年後一緒に旅行したい人は
妻なのに、妻が一緒に旅行したいのは女友達になるのね。
お金を使ってまで旅という非日常を経験するのに、現実から離れられ
ない人と一緒じゃ無駄遣いした気分になるんですよ。
〉登場する人物がいちいち世間離れしているかもしれないけど、その分とても上品なんですね。cousinsの設定も、実は彼女たちは後に芸術家として有名になるというようなオチは一切ないし、実は前の学校で疎外されていたというような恨み節もない点でとても気に入りました。
ブームの「○○の品格」本よりはるかに上品な気分にしてくれますね。
〉でも、きっとマイケルが植物学で食っていくためには、いつまでもcobble streetにはいられないだろうし、そうしたらルーシーおばさんはどうするのだろうか?毎年夏休みにcousinsはルーシーおばさんの家で過ごせるだろうか?やはり、cousinsにとって、この一年の体験は、その後の人生で二度と繰り返すことのできない貴重な体験だったのだろうなあと思わずにはおれませんっ!
人生は一期一会!思い出は宝石!!
〉というわけでとても楽しく読みました。まあ、小学生の女の子の眼に映る世界は中年オヤジの世界とはまったく異なるので、彼女らの注目する事物にはわたしの知らないものがけっこうあるらしく、わからない単語が結構出てきます。言い回しもよくわからないものがあります。こういうのは雰囲気で読み飛ばしていますが、cousinsのセリフや態度など、難しくてついつい考え込んでしまいます。お父さんお母さんに会えるのはうれしいけど、cobble streetと別れるのは悲しいって、おいおい、泣くほどのことかい?その結果、ルーシーおばさんもさびしがってるのに気が付いて、cousinsは救われたような気分になります。こういう心理描写をたどるのは、感情移入するのは難しいけど、けっこう楽しいわけですね。
頭と心がもみもみされて柔軟になり、若返る!
脳トレなんかよりずっと効果的だと信じています。
〉多読を始めたのは、自分の読みたい本が読みたいからです。まだ、そこまで読書力が到達していない以上、読書力を継続的に養成する必要があります。cobble streetは、べつに自分がどうしても読みたい本では全然ないけれども、
大人ですから、自分の精神年齢からすれば本当に読みたい本ではない
のは当然です。でも英語力からすると仕方がない...
「我慢して読むしかないか」と考えるのか--Unappy Reading
〉いまは、今の自分に簡単に読める本の範囲で楽しめばいいや、そうやってできるところまで行ってみようと考えている次第です。
「へえ〜女の子ってこんなこと考えるのか!ふ〜ん」と自分と全然
違う立場の人間の心理を面白がるか--Happy Reading
ここで多読の効果がずいぶん違う様子です。
自分の読める範囲で、楽しさを見つけられる人は、結局レベルアップ
が早いことは、この6年間に多くの人を見てきて感じます。
〉わたしは一体、楽しんで読んでいるのでしょうか?
極楽トンボさんが楽しいか楽しくないのか、私が判断出来ること
ではありませんが、「難しい本も読める英語力をつけたかったら
Happy Readingしてね」、という意味でのHappy Reading!はまさに
こんな読み方なのです。
〉読書力養成の手段として読んでいるに過ぎない点で、わたしは楽しんで読んでいるとは言えないのかもしれません。しかし、電車に乗っても日刊ゲンダイの誘惑に負けることはほとんどありません。ということは、すくなくとも日刊ゲンダイよりは楽しく読んでいるということになるのではないかと思います。ごめん、日刊ゲンダイ。
なんという奇遇!
「大人の英語多読入門」でご紹介する本の選定に当たっては、「中年
男性はcobble streetなんか興味ないのでは?」という意見が当然
ありました。
読者は男性とは限りませんし(女性の大多数には人気があります)、
「中年男性にも読んで頂きます、いえ、熟年離婚されたくなかったら
日刊ゲンダイなんか読んでいないでcobble street読め!の勢いで
いきます」って叫んだんですね。
やっぱり日刊ゲンダイ×cobble streetは対立関係か! って
ひゃっひゃっひゃ、と快哉を上げております。
いつか多読中年の星、オヤジ王子様にお目にかかれますように。
Happy Reading!
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>極楽トンボさん、はじめまして。 まりあ@SSSです。
中年オヤジの星、オヤジ王子の極楽トンボです(笑)!お褒めに与り恐縮です。じつは【2592. Re: 本を投げるについて】でまりあ@SSSさんにお返事いただいたことがあります。あのときは、「中年オヤジで100万語」の企画で盛り上がっていたら、突然まりあさんの執筆宣言のお返事をいただいたので、あまりのタイムリーさにびっくりしました。近刊の「大人の英語多読入門」、わたしのために書かれたような本だと思います。
>リタイアしたら、子どもも巣立って結婚当初の夫婦2人で向き合う
生活に戻りますし、孫が出来る人もおられるでしょう。
女心や子ども心を理解出来る人程、夫婦2人の生活も円満で
交際範囲も広がり、孫にも慕われ、楽しい第2の人生を過ごされる
はずです。
わたし、仕事人間というわけではなくて、どっちかというと昼行灯なんですけど、不趣味で友達づきあいもあまりない人間なので、定年したら何しようと今から心配しております。短期的には、いま幼稚園の娘が小学校に入る頃には、おとうさんのこと嫌うようになるのではないかとおびえています。うちのひとの反対を押し切ってORTを我が家に導入したのには、これで娘をてなずけようという深い陰謀があったのです。
〉極楽トンボさん、もてるでしょ、くぃっ くいっ(笑)ちょいワルおやじなんて怪しげなのより、ずっと魅力的。
わーい、まりあさんにもてちゃったー!今後、多読感想文の執筆が趣味になりそうです。
>とかく中年男性は、「バイトもせずに植物学の勉強なんかしていられ
たら世話ないわな、ふんっ、男はな、必死で稼いでお前達食わせて..」
となりがち...
>「んも〜、娘の婿さん候補の品定めしてるんじゃなくて、お話
なんだから、いちいちいわないでよっ!」と、幾つになっても女は
思う。いや実際娘が結婚するとなったら、女の方がこういうこと
うるさいんかもね。でも女は、「お話はお話」と割り切って楽しむ。
>ここで話がかみ合わなくなるから、男性が定年後一緒に旅行したい人は
妻なのに、妻が一緒に旅行したいのは女友達になるのね。
お金を使ってまで旅という非日常を経験するのに、現実から離れられ
ない人と一緒じゃ無駄遣いした気分になるんですよ。
あれー、まりあさん、どうしてわたしがいつもそういうことしゃべっていることがわかっちゃったんですかー?あまりに図星ですごい勉強になります。うちの人に嫌われないように、今後は口を慎みたいと思います。
〉自分の読める範囲で、楽しさを見つけられる人は、結局レベルアップ
が早いことは、この6年間に多くの人を見てきて感じます。
ありがとうございます。でもわたし、どっちかというと、この4年の多読生活で挫折感を少し味わって、自分には自分のレベルアップのあり方があるのだ、これでいいだろ、文句あっか、という開き直った感じです。
〉わたしは一体、楽しんで読んでいるのでしょうか?
>極楽トンボさんが楽しいか楽しくないのか、私が判断出来ること
ではありませんが、「難しい本も読める英語力をつけたかったら
Happy Readingしてね」、という意味でのHappy Reading!はまさに
こんな読み方なのです。
そのようですねえ。これがわかるのにわたしは4年もかかりました。うーん、本当は、わかったって言っていいのかまだ少し躊躇しています。半年位したら、またわかんなくなってるかもしれないし。とにかく、なんでこういうスレッドが発展しているかというと、やはり、英語多読からは学習としての側面を払拭することができないし、一方で読書を楽しむという本筋も油断できないからですね。楽しく読めなければ学習にならないのに、学習のつもりで読んでいたら純粋に楽しめないような気がする。それで私を含めてみんな、いったい自分は楽しくて英語の本を読んでいるのかどうか、不安になっているのだと思います。ちゃんとしたタドキストの人は別ですが。
〉読書力養成の手段として読んでいるに過ぎない点で、わたしは楽しんで読んでいるとは言えないのかもしれません。しかし、電車に乗っても日刊ゲンダイの誘惑に負けることはほとんどありません。ということは、すくなくとも日刊ゲンダイよりは楽しく読んでいるということになるのではないかと思います。ごめん、日刊ゲンダイ。
なんという奇遇!
「大人の英語多読入門」でご紹介する本の選定に当たっては、「中年
男性はcobble streetなんか興味ないのでは?」という意見が当然
ありました。
読者は男性とは限りませんし(女性の大多数には人気があります)、
「中年男性にも読んで頂きます、いえ、熟年離婚されたくなかったら
日刊ゲンダイなんか読んでいないでcobble street読め!の勢いで
いきます」って叫んだんですね。
やっぱり日刊ゲンダイ×cobble streetは対立関係か! って
ひゃっひゃっひゃ、と快哉を上げております。
わたし、夕刊フジより日刊ゲンダイのほうが断然お気に入りです。日刊ゲンダイは停滞の指標に使えますね。電車の中で易しい英語の本を読もうとしたのに、日刊ゲンダイの誘惑に負けるときは、疑問の余地なく停滞と断言できます。
>いつか多読中年の星、オヤジ王子様にお目にかかれますように。
Happy Reading!
五月の黙読オフ、お伺いできなくて残念なことをしました。今月の黙読オフもあいにく都合がつきません。今月末あたり、ブッククラブに加入しようと思っています。そしたら相談会に馳せ参じますので、多読・シャドウイング・定年後の人生?等ご指導ねがいます。
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まりあさん、極楽トンボさん、こんばんは
まりあさんは、本の出版の直前で、この投稿を見る余裕がないかもしれません。
そして、最終チェック段階であれば、もう修正は、されないでしょう。
そこで、もはや確定しているであろう本について、私が、以下の点が満たされていれば良いなと思う点を述べます。
1 活字が、ある程度大きく、濃い。
2 アルファベットは、たとえば、hがbに似ている活字等を避ける。
3 投稿番号2600に記載されている「国際的視野を持つ読書」について、詳しい解説を載せる。
4 人生の哀歓等を示すeroticaも、相当数掲載する。
以 上