[掲示板: 〈過去ログ〉本のこと何でも -- 最新メッセージID: 3237 // 時刻: 2024/11/24(11:37)]
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お名前: Ryotasan
投稿日: 2008/5/14(09:40)
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主観の新茶さん、
丁寧なお返事をありがとうございます。
僕は1970年に小学生で、
78年に手探りで英語の多読を始め、
79年に大学生になりました。
でも、
過去歴についてはご自由に想像して下さっても結構です。(^-^)
英語で初めて The Little Prince を読んだのは79年です。
この作品に対して、
親しい友人に対する気持ちと同じ様な感情を抱いていますが、
神秘性は感じていません。
作品の受け止め方は人それぞれで構わないと思っています。(^-^)
フランス語で Le Petit Prince を読んだことはありますが、
"apprivoiser" の語源が分かるほどの知識は無いです。
ここでは何種類かの英訳からキツネの性格を考え、
このキツネの語彙にふさわしいのはどういう単語かを判断するにとどめます。
この話に登場するキツネは、
人間から鶏を盗んだり、
猟銃を持った人間から逃げることにしか普段は興味を持っていないキツネらしいです。
生活体験に根ざした知恵や狡猾さは身につけているようですが、
教養のあるタイプではなさそうです。
言語に対する不信感も表明しています。
豊富な語彙を駆使して話すより、
身近な具体例を示す方が得意な様です。
ですから、
仮に英語を話すキツネだとしても、
限られた語彙の中で話す方が自然です。
ラテン語起源の単語を豊富に使うキツネではないような気がします。
(フランス語を話すキツネなのか、
英語を話すキツネなのかで、
語彙の選択も違ってくると思います。)
日本語だったら、
たとえば宮沢賢治の作品に登場する動物たちが、
辞書的な日本語から外れた日本語の表現を用いることがあります。
そういう見地から、
キツネの言葉を考えても良いと思います。
ご指摘のとおり、
tame は古くから英語の中で使われいる単語であり、
ラテン語系ではないです。
以上、
まとまりのない投稿ですが、
ご笑覧いただければ幸いです。
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お名前: 極楽トンボ
投稿日: 2008/5/14(17:25)
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主観の新茶さん、Ryotasanさん、こんにちわ!
お二人の投稿を読んでいろいろ思い出してきました。
小学生の時に、星の王子さまの内藤訳を親に読み聞かせてもらっていました。
でも、当時わたしは飛行機乗りにあこがれていたので、語り手のパイロットが食料も水もないのに砂漠に不時着して生命の危険に直面していることばかり気になったことを思い出しました。飛行機乗りになると怖いことがいっぱいあるんだなあと子供心に思ったのでしょうか。そのほかのことはあまり印象に残っていません。もしかすると、星の王子さまは、こどもにはあまり向かない児童書かもしれませんね。
大学受験時に上京して御茶ノ水丸善で英訳を購入した話はもうしました。普通の本屋に洋書がおいてあったのでうれしくなって衝動的に買ったのですが、よく考えたら丸善って普通の本屋ではありませんでしたね。昔から洋書を扱っていたことで有名な本屋でした。でも、店の構えからは、洋書を扱ってるんだぞお、という感じがしませんでした。いまでも洋書置いているのかなあ?
このときは辞書をひきまくって読んだような気がします。今は全然このときの印象を思い出せません。昔のことですから仕方がないのですが、大学受験のとき、英語は英文解釈の勉強ばっかりしていました。もちろんたいしてできたわけではありません。知り合いにはRyotasanみたいな多読の先駆者は全然いませんでしたねえ。大学入学後、内藤訳を引っ張り出して読んでみて、子供のときの印象があまり的を得たものでないことに気が付きました。
しばらくの間、星の王子さまに夢中だったのですが、ある日、熱を醒まさせる事件がありました。ネット事典によると、このころブームがあって、研究参考書も出たようです。こうして輩出したミーハーな星の王子さま好きを苦々しく思ったからなのでしょうか、金井美恵子さんがエッセイでブームを批判していました。星の王子さまを嬉々として熱く語る成人男性について、とくに児童文学などに関心を持って読んできたわけでもないのに、ブームになったのを機会に、たまたま手にとって読んでみたら思いのほか面白かったので、星の王子さまについて熱く語り始めてしまうその駄目さ加減を口をきわめて罵倒したそのエッセイを読んで、わたしは、うーん、図星!と思いました。それでわたしは、星の王子さまについて語ろうと思うとき、もっと児童書をいろいろ読んでからにしないとなあとつい反省してしまいます。この掲示板には児童文学に造詣の深いひとがいっぱいいそうなので、なおさらです。主観の新茶さんの重厚な大作、ブラウサの文字を最大にして一生懸命読ましていただき、とっても刺激を受けましたし、もよりの図書館に古い英訳も所蔵されていることもわかったのですが、星の王子さまの感想は、もうちょっと先に延ばさせてください。
星の王子さまの中国語訳が10年前に二種類出ていたので、読み比べたことがあります(人民文学出版社版と浙江文芸出版社版だったと思います)。どっちがどっちか忘れちゃいましたが、片方は英訳からの重訳、片方はフランス語からの訳でした。これもどっちがどっちだったか忘れちゃったのですが、片方は比較的口語的な文体で、もう片方は少し硬い文体で訳していました。本は他人にあげちゃったので手元にありません。いま、ネット書店のカタログを見てみたら、中国には現在10何種類もの訳本があることがわかってびっくりです。あ、日本もそうでしたね。中国語多読をするときに星の王子さま中国語訳コンプリートっていう企画もありかなあと思いました。
いまはちょっと公私共に忙しいので、星の王子さまより簡単に読める英語の児童書を求めています。シェークスピア物語へのリベンジはまだ全然無理なようです。できれば、MarvinRedpostより易しくておもしろいやつ。児童書をいきいきとした物語として楽しむというのは難しいです。わたしは子供のとき、児童書をいっぱい読んで楽しんだはずなのですが、いったいどんな楽しさを求めて読んでいたのでしょうか?ORTは、読み聞かせの時は楽しいのですが、オヤジ一人で読むのはつまんないです。
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2628. Re: 星の王子さまあれこれ中国語訳本のことなど
お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/5/31(01:07)
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極楽トンボさん、こんにちは。しばらくぶりです。
主観の新茶です。
"極楽トンボ"さんは[url:kb:2587]で書きました:
〉主観の新茶さん、Ryotasanさん、こんにちわ!
〉お二人の投稿を読んでいろいろ思い出してきました。
〉小学生の時に、星の王子さまの内藤訳を親に読み聞かせてもらっていました。
〉でも、当時わたしは飛行機乗りにあこがれていたので、語り手のパイロットが食料も水もないのに砂漠に不時着して生命の危険に直面していることばかり気になったことを思い出しました。飛行機乗りになると怖いことがいっぱいあるんだなあと子供心に思ったのでしょうか。そのほかのことはあまり印象に残っていません。もしかすると、星の王子さまは、こどもにはあまり向かない児童書かもしれませんね。
子供に向かない、というのは、一面の真理だと思います。
しかし、子供のときは向かないが、成長するにつれて、向くようになるものであると、極楽トンボさんは、述べておられるのだと思います。
中国の古典も、同じだと思います。
〉大学受験時に上京して御茶ノ水丸善で英訳を購入した話はもうしました。普通の本屋に洋書がおいてあったのでうれしくなって衝動的に買ったのですが、よく考えたら丸善って普通の本屋ではありませんでしたね。昔から洋書を扱っていたことで有名な本屋でした。でも、店の構えからは、洋書を扱ってるんだぞお、という感じがしませんでした。いまでも洋書置いているのかなあ?
〉このときは辞書をひきまくって読んだような気がします。今は全然このときの印象を思い出せません。昔のことですから仕方がないのですが、大学受験のとき、英語は英文解釈の勉強ばっかりしていました。もちろんたいしてできたわけではありません。知り合いにはRyotasanみたいな多読の先駆者は全然いませんでしたねえ。大学入学後、内藤訳を引っ張り出して読んでみて、子供のときの印象があまり的を得たものでないことに気が付きました。
英文解釈ばかり勉強していた、やや誇張かもしれませんが、私の場合も、英文解釈ばかりしていたと思います。
もう少し述べると、いかに日本語らしくなるか、意訳の練習をしていたと思います。その意味では、英単語を日本語の訳として、1対1で対応して覚えるという発想はなく、たくさんある訳のうち、どれが適切か考えたし、英単語と日本語の意味を、便宜的に、1対1で覚えるにしても、代表的な意味程度に考えていたと思いますし、皆が、そう考えていると思っていました。
〉しばらくの間、星の王子さまに夢中だったのですが、ある日、熱を醒まさせる事件がありました。ネット事典によると、このころブームがあって、研究参考書も出たようです。こうして輩出したミーハーな星の王子さま好きを苦々しく思ったからなのでしょうか、金井美恵子さんがエッセイでブームを批判していました。星の王子さまを嬉々として熱く語る成人男性について、とくに児童文学などに関心を持って読んできたわけでもないのに、ブームになったのを機会に、たまたま手にとって読んでみたら思いのほか面白かったので、星の王子さまについて熱く語り始めてしまうその駄目さ加減を口をきわめて罵倒したそのエッセイを読んで、わたしは、うーん、図星!と思いました。それでわたしは、星の王子さまについて語ろうと思うとき、もっと児童書をいろいろ読んでからにしないとなあとつい反省してしまいます。この掲示板には児童文学に造詣の深いひとがいっぱいいそうなので、なおさらです。主観の新茶さんの重厚な大作、ブラウサの文字を最大にして一生懸命読ましていただき、とっても刺激を受けましたし、もよりの図書館に古い英訳も所蔵されていることもわかったのですが、星の王子さまの感想は、もうちょっと先に延ばさせてください。
ブームに乗った人には厳しい意見かもしれませんが、ブームに乗じた付和雷同型の読書には、私も、苦々しい思いがする。
星の数ほどある著書のうち、なぜに、同じ時期に、同じように、その本を、読むのか。
一世を風靡したのに、50年後、いや30年後、10年後には、名前すら知られていない作家が、日本にも、かなりいます。
金井美恵子さんを引き合いに出したのは、私の高校時代の参考書小林信明?の漢文研究法の最初の方に、昔の中国で、すでに使用されていた引用法だと書いてあり、なるほど、文章を書く人は、そういう使い方をするのかと初めて知り、感心したのを思い出しました。
〉星の王子さまの中国語訳が10年前に二種類出ていたので、読み比べたことがあります(人民文学出版社版と浙江文芸出版社版だったと思います)。どっちがどっちか忘れちゃいましたが、片方は英訳からの重訳、片方はフランス語からの訳でした。これもどっちがどっちだったか忘れちゃったのですが、片方は比較的口語的な文体で、もう片方は少し硬い文体で訳していました。本は他人にあげちゃったので手元にありません。いま、ネット書店のカタログを見てみたら、中国には現在10何種類もの訳本があることがわかってびっくりです。あ、日本もそうでしたね。中国語多読をするときに星の王子さま中国語訳コンプリートっていう企画もありかなあと思いました。
中国語で読むなんて、すごいですね。
私は、中国語を、全く知りません。知っているのは、メイヨーくらいです。
漢文は、文章の能力を増強するから、自分に合った物を、白文で読みます。
読み下しで読んで、ダメとはいわないが、英語と同じような構造を持つから、白文で読もうと思えば読めるし、白文で読んだ方が、文章能力の増強に役立つし、読んでいて、おもしろいですね。
中国古典の主題は、儒教か、老荘であり、主張も、定型化しているから、その思想と、一文字一文字の漢字の意味と、語順等の規則がわかれば、熟語も類推でき、話の内容がわかりますが、内容が飽きてくると、頭に受け付けなくなりますね。めっぽう難解な熟語が続くと、スピードはのろのろ運転となり、その陳腐な内容と相まって、嫌になりますね。
白文で読む能力は、低いです。読んだ量及び内容も、昔日の人たちに比べると、九牛の一毛にすぎません。また、ここ最近は、漢文は、白文すら読むことがなくなりました。
近年、英語が良くできる日系外人?で、日本語主体・英語表記混じりの「英語のすすめ」のような光文社発行の本に、漢文不要論が書かれていましたが、それには、賛同できませんね。
彼は、冒頭、東大卒の若者が、一方で、中央官庁に就職し、給料も安く自由時間がなく、不遇をかこち、他方で、六本木のIT企業で外人と英語で伍して、高給と自由時間を手に入れ、満足を勝ち得ているという対比を描いています。
彼の文章は、内容に疑問がありますが、邦語の文章として、読めた文章であるか否か、検討する余地があります。
日本語の読み書きの能力が低下し、かつ、英語が堪能になれば、それは、文化や思考が、今とは異なる人々が出現するということであり、ほかの国に散見されますが、日本古代から明治までの古典の伝統は、引き継がれないでしょう。
なお、難しい漢語の使用には賛否がありますが、この点につき、「訓読みの話」光文社新書2008年5月20日発行は、読まれましたか。ここに、難しい漢語表現に、日本人は、どう対処すべきかのヒントがあるように思われます。やさしいと感じる漢字でも、漢字を和語の表記に使用するということは、どういうことを意味するかが記載されています。私は、それが、解決のヒントだと思います。
〉いまはちょっと公私共に忙しいので、星の王子さまより簡単に読める英語の児童書を求めています。シェークスピア物語へのリベンジはまだ全然無理なようです。できれば、MarvinRedpostより易しくておもしろいやつ。児童書をいきいきとした物語として楽しむというのは難しいです。わたしは子供のとき、児童書をいっぱい読んで楽しんだはずなのですが、いったいどんな楽しさを求めて読んでいたのでしょうか?ORTは、読み聞かせの時は楽しいのですが、オヤジ一人で読むのはつまんないです。
極楽トンボさんが、星の王子さまのきつねの話について、また、中国文学の話などについて、再度お話ししているのを確かにお見かけしたと、記憶しているので、それに反応しようとしたのですが、私のアクセス能力がないのか、記憶が間違っていたか、はたまた、夢まぼろしであったか、判然としません。その話にレスしようとしたのですが、それができないので、代わりになりますし、再度になりますが、お返事しました。
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〉 極楽トンボさんが、星の王子さまのきつねの話について、また、中国文学の話などについて、再度お話ししているのを確かにお見かけしたと、記憶しているので、それに反応しようとしたのですが、私のアクセス能力がないのか、記憶が間違っていたか、はたまた、夢まぼろしであったか、判然としません。その話にレスしようとしたのですが、それができないので、代わりになりますし、再度になりますが、お返事しました。
主観の新茶さん、混乱させてすいません。
わたし、確かに星の王子さまと中国古典の話を掲示板に書き込んだのですけど、時間を置いてまた読み直したら、急に恥ずかしくなったので、削除してしまったのです。主観の新茶さんがお読みになったのは、オリジナル版だったと思われます。
ぐふふ、星の王子さまの話はやっぱり英訳書を読んでからやりましょう。気をもたせてすいません。
>>昔のことですから仕方がないのですが、大学受験のとき、英語は英文解釈の勉強ばっかりしていました。もちろんたいしてできたわけではありません。
〉 英文解釈ばかり勉強していた、やや誇張かもしれませんが、私の場合も、英文解釈ばかりしていたと思います。
〉 もう少し述べると、いかに日本語らしくなるか、意訳の練習をしていたと思います。その意味では、英単語を日本語の訳として、1対1で対応して覚えるという発想はなく、たくさんある訳のうち、どれが適切か考えたし、英単語と日本語の意味を、便宜的に、1対1で覚えるにしても、代表的な意味程度に考えていたと思いますし、皆が、そう考えていると思っていました。
そうでしたね。どうしたら試験官に気に入ってもらえるような日本語訳文が作れるか、そればっかり気にしていました。英文の単語はとりあえず全部日本語に移して、なおかつ日本語の文章として不自然なところがないように整える。評価のポイントはどこにあるのか、模試の解説を穴が空くほど読み込みました。まあ、でも、そんな優雅なことやってたら、実用的ではないのは確かだと思います。
よく巷で言われるように、漢文の訓読や英文の和訳が近代日本語の議論文のスタイルを作ったとされます。おかげさまでわれわれは、西洋哲学を日本語で語る離れ業ができるわけです。知的植民地にならずにすんでよかった!?ということは、逆に言えば、あれは外国語に根こそぎやられないようにという日本語の免疫反応みたいなもんで、根本的には、いかに外国語から日本語を守るかという防衛的なものだと思います。その限りで、外国語の修得の本筋ではないと思います。言ってみれば、外国語の習得というのは、心の中に外国語の植民地を作ってもらうことではないでしょうか。
〉 漢文は、文章の能力を増強するから、自分に合った物を、白文で読みます。
〉 読み下しで読んで、ダメとはいわないが、英語と同じような構造を持つから、白文で読もうと思えば読めるし、白文で読んだ方が、文章能力の増強に役立つし、読んでいて、おもしろいですね。
〉 中国古典の主題は、儒教か、老荘であり、主張も、定型化しているから、その思想と、一文字一文字の漢字の意味と、語順等の規則がわかれば、熟語も類推でき、話の内容がわかりますが、内容が飽きてくると、頭に受け付けなくなりますね。めっぽう難解な熟語が続くと、スピードはのろのろ運転となり、その陳腐な内容と相まって、嫌になりますね。
わたしが大学で漢文を習ったときは、訓読派の先生と原音直読派の先生が学界を二分していがみあっていました。わたしはいろいろな先生の授業に出て気づいたのですが、訓読派の先生も直読派の先生も、どちらも自分で読むときは上から下へまっすぐ読んでいるのです。訓読派の先生だからといって、訓読のように返り読みしたりしないし、直読派の先生だからといって、必ず現代日本語訳するわけではありません。学生に漢文を教える時に訓読文を用いるかどうかの違いに過ぎないと思いました。結局、訓読以外に、古典漢文を日本語に翻訳する技術が確立していないところに問題があるのだと思います。よくSSSの皆さんは、従来の英文和訳を漢文の訓読になぞらえて批判しますが、あれは翻訳のための技術なので、自分で読むときにいちいち訓読などしていたら、漢文など読めません。それは多読と同じです。偉そうなこと言ってますが、わたしも大して読めません。
〉 なお、難しい漢語の使用には賛否がありますが、この点につき、「訓読みの話」光文社新書2008年5月20日発行は、読まれましたか。ここに、難しい漢語表現に、日本人は、どう対処すべきかのヒントがあるように思われます。やさしいと感じる漢字でも、漢字を和語の表記に使用するということは、どういうことを意味するかが記載されています。私は、それが、解決のヒントだと思います。
新潮社の新しい漢字辞典を作った編集者の方ですね。ちょっと興味を持っていますが、まだ辞書の方も新書の方も手に入れていません。わたしは、漢字の訓読みが大好きなので、日本語の中で漢字がどういう使われ方をするのか解説するような辞典は大歓迎なのです。しかし、昔から、日本語のなかで使われる漢字や漢語の辞典を作るべきだという議論があって、実際にそういう辞典が作られるのですが、たいして便利なものではありませんでした。国語学者が片手間に作るのは無理だろうと思っていました。一方、専門家の白川静さんの『字訓』も、たくさんの和訓が集められていますが、平安時代以前に集中していて、江戸時代や明治以降の例がないので、不満に思っていました。