Re: 追加

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2687. Re: 追加

お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/7/17(18:50)

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  古川さん,こんにちは。
 主観の新茶です。

1 古川さんは,江戸末期も含め明治時代に輸入された言葉は,どのくらいの数があるか,知っていますか。
 それを書いた文献は,ありますか。
 知っていたら,教えてください。

 限られた一専門分野のみでも,数千はあると思います。
 全体では,ものすごい数ですね。

 私は,漢文に出てこない用語,漢文に出てきても用法は異なる用語は,明治時代に訳された言葉であると推定できると思いますから,そういう方法で,過去の文献を調べなくても,輸入概念かどうかは,概括的に理解できると思います。
 漢文を実際に読まなくても,江戸時代になかった概念かどうかは,日本及び西洋の歴史等を勉強していれば,一般の人にも,わかると思います。

 社会科学の明治本は、小説と違って、古本屋にも、あまりないと思うが、話題になったことがありません。

私は,そのような輸入概念を網羅的に考えていますから,余り,1つの単語に拘泥することはありません。
 むしろ,概念の定義,内容,概念と概念との結びつきにおける1つの制度等の説明の文章,何ページかに渡る説明などが,論者によってどう異なるかの方が,遙かに重要な意義を有すると思っています。

 また,一般に,遊びの記述は除外し,まじめに論ずるときには,必ず,言われなくても,定義,内容,理由,自分の説の出典,反対する説の概要,その理由,出典等を記載しなければならないと思っています。

 もとより今回は,急いで述べられたのですから,今から説明していただければ結構です。
 
"古川@SSS"さんは[url:kb:2682]で書きました:
〉"主観の新茶"さんは こんばんは。

〉古川です。
〉前後をきちんと読んでいない、単なる感想なので、
〉無視して頂いてもかまいません。

〉〉  democracyは、おそらく、民主主義に対応した言葉だと思います。
〉〉  詳しくは、政治学などの専門書を見れば、わかると思います。
〉〉  Ry0tasanさんは、誤解されておられないと思いますが、西欧のdemocracyは、日本に定着していないという一部の見解がありますから、西洋のdemocracyと日本の民主主義は、その意味する内容が同じではないという見解があります。
〉〉  民主主義という言葉から、democracyという語が1対1で対応する言葉であることを、まず、確認すれば足りるのであり、そこから、いろいろな知的

〉democracy は、民主主義 より 民主政体 が正しい訳かと思います。

以下,私も,あらかじめ,自分の意見を述べておきます。

2 民主政体の定義,民主政体の訳が正しい理由,その出典について,説明してください。
 そうでないと,知らない人には,どちらが正しいのか,わかりません。
 この段階では,古川さんの言うことの方が正しいと,理由もわからず,盲目的に信用してしまう人が出てくる危険があります。

 デモクラシーは,まず,政治学の分野で使用される言語ですが,日本では,古くから,そして,最近でも,定評ある教科書は,デモクラシーの訳として,民主主義を使用しています。
この点は,本の種類も豊富なので,出典を挙げませんが,もし疑問があれば,大型書店でご覧ください。
 デモクラシーというカタカナ語は,最初で説明されますが,普通の専門書の本の全編に使用されるのは,民主主義という言葉であり,民主政体という言葉は,使用していません。

 なお,デモクラシーとして,民主制,民主政,民主主義などと言い換え,その後に,一般的に,民主主義という用語のみで説明している教科書もありますから,デモクラシーという言葉が,一義的に,民主主義と訳すものではないことは,これでもわかりますし,およそ,民主主義という言葉だけから,内容を想像するのではなく,まず,第1に,民主主義の定義,内容を知るというのが,常道です。
 民主政体と訳した教科書は、見た限りでは、見あたりませんでした。
 

 政治学の教科書には,一般に,必ず古代ギリシャ,特にアテネの直接民主政治について詳しく説明が割かれていますが,それは,一般常識としても,必要でしょう。
 民主主義は,教科書によっても,若干定義が異なりますが,したがって,まず,民主主義の定義について異なった認識をしていないかを確認する必要があります。
 専門家は,一般的に,同じ概念を共有しています。
 たとえば,「民主主義とは,統治者と非統治者との同一性を意味し,現在では,直接民主制のみならず,間接民主制を含む」というような定義は,通常,専門家,実務家同士なら,何も見ないで,すらすらと口に出てくるはずです。
 このような定義が確認できるのなら、暗黙知として、お互いに、アテネのことなどもわかっているなという確認ができます。

 「同一性」という言葉は,もっと定義しようと思えばできますが,その後は,具体的な民主主義の制度,内容を議論するのが普通です。
  現代では,民主主義の具体的内容は,租税民主主義のようなものから,それこそたくさんありますから,全部列挙しろといわれたら,実務家でも,すぐにすらすらと全部列挙できないかもしれませんが,具体的に,ある民主主義の具体的内容について問われれば,滔々と述べることができるでしょう。

 しかし,民主主義のような議論は,普通,実務家の間では,正直なところ,もし議論をふっかけたら,「何,青臭いこといってるの。」となるはずですから,私は,今回,このようなことを述べているのは,ある意味では,恥ずかしいのです。
 実務家は,誰でも,若きころの昔は,嫌になるほど,民主主義について,本を読んだり,議論し合ったでしょう。

 民主主義という言葉は,憲法や,経済学でも,使用されています。
 経済学では、「民主政体」という言葉が、発展途上国の経済を論ずる際に、出てきます。

 それ以外、わかりません。

 「政治学会」「憲法学会」「経済の各学会」で,民主主義という言葉が不正確であるという議論がなされているのでしょうか。
 古川さんは,ご存じですか。

 訳語が間違っているというのなら,これらの学会に問うてみたら,どうでしょう。

 実務家は,一般に,デモクラシーの生成発展の具体的内容の詳細を知りこそすれ,訳語が間違っているというような議論をするということは,私は,聞いたことがありません。
 
 なお,インターネットに,民主主義と民主政体の訳語の正否の議論が書いてありましたので,これを掲載します。

  [url:http://d.hatena.ne.jp/keyword/%CC%B1%BC%E7%BC%E7%B5%C1?kid=24436&mode=edit]

 
 該当部分を抜き出すと,「訳語について。「民主」とは元来は「たみのあるじ」で、つまりは支配者、君主のことだった。が、ここでは「民が主である」の意で用いられている。「主義」はprincipleの翻訳語として作られた言葉である。principleは原理や原則、行動基準のことで、例えば「principle of Democracy」だと「民主主義の原則」になる。ただし、こんにち「主義」を辞書で引くと、主義主張としての用法の他に、「特定の制度・体制または態度(広辞苑)」という意味も書かれている。従って「デモクラシーとは民主政体のことだから民主主義と訳すのはおかしい」という主張はあまり正確ではないと言える((「正確」にしようとすると、「principleの訳語として主義という言葉を作ったのだから、あるprincipleに基づいて作られた制度のことまで主義と呼ぶのはおかしい」というような、よく分からない主張になる気がしますが))。
*参考図書
-「現代政治学の名著」 佐々木毅 編/中公新書918

これを見ると,私は,知らなかったが,「民主政体」と訳さない限りは,訳語が間違っていると主張する人が、相当数、いるのだと思います。

 私も、この論者の発想で、良いと思いますが。

 この文の参考文献は,元東大総長の佐々木毅さんの中公新書になっています。
 参照ページが書いてないという、不親切な引用です。
 私は,佐々木さんともあろう人が,こういう誤訳の議論を,この本でするとは思えません。
 私は,この本を読んでいません。
 ただし,この中公新書を,ぱらぱら見たところ,民主主義で用語を統一していることは,間違いありません。
 もし,この中公新書を読んだ方がいたら,教えてください。

〉そのほか
〉 United States は、合衆国 ではなく 合州国 が文字通りただしい
〉訳でしょう。

3 「合衆国」は,外務省を始め,内閣で,統一した用語と定めて,使用しています。
 「衆」を使う理由は,わかりませんが,古川さんは,わかりますか。
合衆国の「衆」は,どういう意味なのでしょうか。
 最初,訳した人は,どういうつもりで,「州」を使用しなかったのでしょうか。
 その辺を探ってみる必要があります。
 外務省等は,その根拠を必ず持っているはずです。
 批判するときには,相手の根拠を調べる必要があります。
 何か根拠があるはずです。
 外務省等にクレームをつけてみたら,どうでしょうか。
 国家が,「合衆国」が訳の正解であるといっているのですから。

 一介の実務家にすぎない私に,誤訳だと言われてもネ。
 はい,そうです,とは,なりません。
 それを決めている人たちに,もの申すべきです。
 改革は,良いことです。
 
4 どころで,SSSで議論されていますが、verbを動詞と訳したのは,何故なのですか。
 私は,わかりません。
 古川さん,知っていたら,教えてください。
 SSSでは,一般に,verbに「動詞」の訳は,不正確であるという理解ではないでしょうか,
 その理由は,verbは,動作動詞と状態動詞があるのに,動詞の「動」は,動作を意味するだけだから,状態名詞の存在を無視する不当な訳であるというものです。
 しかし,私は,次のような仮説も考えているので,そうであるならば,訳は,不当ではありません。
「動」は,「はたらき」という意味の漢字です(白川静「字統」の動と働の項目参照)。
 「働く」の「働」は,国字であり,本来の働くは,「動く」なのです。
 「はたらく」の「動」は,白川さんの説明に依拠すると,「農奴が実際に農耕する」という意味の象形文字であるが,心の働きというような目に見えない意味にも拡大されてきました。
 昔の漢文を読む限り,動は,働の意味で使用されているように思っています。
 昔の人は,この動という言葉の本来の意味を知っていたのではないでしょうか。
 戦後の教育では,動の意味が,単純化されているのではないでしょうか。

 この「動」の「働き」を,どういう意味で使うか。
 英語の場合,動詞は,主語に具体的な内容を与えるはたらきをするとか,主語を具体的に規定するはたらきをするとか,あるいは,目的語との関連ではたらきを考えるとか,そんな意味で,「動詞」と使用しているのではないかと,思っていました。
 初期の英文法書には,なぜ,verbの訳語が,「動詞」なのか,書いてないのでしょうか。
 とにかく,方法論としては,今の時点で,自分の知識で想像するのではなく,きちんと出典を示し,なぜ「動詞」と訳されてきたか,何故不当かを説明しなければならないと思います。
 動詞の訳が不当であるという論者が,はじめから,私のような問題意識にきちんと答えていてくれていれば,信用に値しますが,そうでなければ,せいぜい一個の仮説としてしか、取り扱えません。

〉数学用語なら、
〉 rational number は、ratio 理性ではなく 比のことですから、
〉有理数 では意味不明で 有比数 が本来ただしい訳だと思います。

5 この点については,極楽トンボさんと同じ感想を持っていました。
 数学の学会では,どうなっていますか。
 訳に,批判的ですか。
 これは,誰かが,出版物,新聞等にも,この訳でなければならないと決めていますか。
 国語審議会等でも,「有理数」で良いと言っているのでしょうか。
 
 「有」も,やや,わかりにくいですね。
 「可能である。存在する」という意味なのでしょうか。
 それなら,「有比2数」「無比2数」などと訳して,言ったらどうでしょうか。

freedom of press は 出版の自由 より 報道の自由 が
〉本来の意味でしょう。

〉このように本来の意味が、初期の 1対1訳によって、
〉まちがったイメージになって、日本では定着いる訳語がかなりあると
〉思います。
〉それでは。

6 これについては,ガリレオ・ガリレイなど有名な例から,余り知られていない無名な例まで,歴史上のいろいろな苦難を思い出す必要があります。

 最初は,「思想の自由」が侵害され,それがやっと確保されると,「表現の自由」が侵害され,それが確保されると,次に,活版技術に伴う「表現の自由」の一環としての「出版の自由」が問題となり,そのころは,まだ,マスメディアが重要ではありませんでしたが,大衆文化の興隆と民主主義の発展と共に,「知る権利」が重要となり,第4権力であるマスメディアの出現による「報道の自由」が重要となり,さらに,「報道の自由」の前提として,「取材の自由」という概念が出てきます。

 これらの説明の仕方は,精粗いろいろ言い方がありますが,このくらいなら,専門家は,物を見なくても,説明できるでしょう。

 表現の自由の派生概念は,結社,集会の自由など,ほかにもあります。
 これが,日本の憲法19条の「思想の自由」や21条の「表現の自由」に結びついているのですね。
 現憲法の英訳は,「表現の自由」が「freedom of press」であって,「報道の自由」は,解釈上,表現の自由の一内容ということに落ち着いていますね。

 古川さんは,この点をわかっていると思います。
 そうなると,本来の意味が,「報道の自由」だと説明するのは,どうしてでしょうか。

 「press」の使われ方からでしょうか。
 すると,「表現」の自由は,「expression」と訳すべきだったということでしょうか。

 諸外国の憲法の表現は,どうなっているのでしょうか。
 何故,日本は,「press」と訳してしまったのでしょうか。
 私は,知りません。
 その辺は,教えてください。

  憲法の英訳が、ところどころ不正確であると主張する人がいるという議論は,もちろん知っています。
 しかし,私は,現憲法のこの点の英訳が間違っているという反対説があったのは,正直言うと,思い出せません。
 これが話題になったことは,ありません。

 よろしくお願いします。
 
                                         ハッピー・リーディング


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