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お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/5/12(07:40)
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第1 お礼
極楽トンボさん、Ryotasanさん、こんにちは。
ご返事ありがとうございます。
お二方の論旨は、明快、納得できましたし、記憶に残りました。
以下、関連事項について書かせてもらった上で、若干の感想を述べさせてください。
サン・テグジュペリと打つのは、時間がかかるので、サンテックと記載することがあります。
第2 歴史的考察
1. 執筆期間と第2次世界大戦
星の王子さまの執筆期間は、1942年6月からその年の10月までらしいので、そう仮定し、出版は、翌43年4月であるとする。
執筆及び出版とも、第2次世界大戦の最中である。
第2次世界大戦の概略を記すると、1939年9月1日、ドイツがポーランドに侵攻して、第2次世界大戦が勃発し、翌40年6月14日、ドイツ軍は、パリを陥落させ、無血入城する。
ドイツは、1945年5月7日、無条件降伏する。
サンテックは、戦争のさなか、前年の44年7月31日、死亡する。
2. 執筆当時の戦争の状況
(1) 日本
執筆開始の1942年6月といえば、日本は、1941年12月8日真珠湾を攻撃し勝利を収めたものの、翌1942年6月、ミッドウェー会戦にて、4空母を失うなど、戦局の転機を迎える。歴史の評価は、この後の勝機は、なかったし、局地的勝利さえ、存在しなかったとさえいえよう。もとより、最初から、人的物的な資源面から勝ち目がなかったといえようが、日清戦争や日露戦争で模索したような、和平の落としどころも見失ったといえるのかもしれない。アメリカは、42年8月7日、ガナルカナル島に上陸し、日本は、12月31日、ガナルカナル島の撤退を決定する。
日本は、1943年1月13日には、ジャズなど英米の音楽をほぼ全面禁止するという効果の薄い統制をはかるが、英米は、翌1月14日には、カサブランカ会談を開き、相手が無条件降伏するまで戦うとの恐ろしい原則を決定した。
1943年4月、山本五十六が、ブーゲンビリア島上空で、撃墜される。
この4月に、サンテックは、本を出版した。
彼は、日米の戦局について、どの程度認識し評価していただろうか?について、私は、知らない。知っていたら、教えていただければ幸いである。
英米、中国は、執筆終了後の11月、日本の無条件降伏を求めるカイロ宣言を出す。
(2) フランスとドイツ等ヨーロッパ戦線
フランスの占領下の様子は、昔勉強したかもしれないが、全て忘れてしまった。
しかし、おおかたの想像はつくということで、その想像はさておいて、マクロ的な話を進めよう。
ソ連軍は、1942年11月19日、ドイツ軍に対し、レニングラードで大反撃を開始し、ドイツ軍は、撤退する。ここにドイツ軍のソ連に対する勝利がなくなっただけでなく、英米に対する勝利もなくなったといえよう。フランスの奪回も、時間の問題だったといえよう。しかし、戦っている側の多くは、情報も薄く、かつ、認識能力も十分でなかったし、戦局は水ものだから、そう簡単に認識できなかっただろう。サンテックは、どう認識しただろうか。もともとドイツは、戦争では、2方向に分散して戦う必要がある。これは、戦略的に不利だ。ソ連と表面上平和条約を締結したのだから、あくまでそれを貫く方が、賢明だったかもしれないが、歴史は、そう動かなかった。
連合軍は、1944年6月6日、ノルマンディに上陸し、パリは、8月8日解放され、指導者のドゴールは、9月にパリに戻る。
サンテックは、ノルマンディ上陸は知っていたから、勝利の気配を感じていた可能性が高い。
しかし、パリの解放は、知らずに死んだ。
サンテック戦死の直前の7月1日には、戦後の政治経済体制を決定するブレトンウッズ会議が、アメリカで開催された。
サンテックは、その会議の存在または重要性を知っていただろうか。会議開催に関与したのだろうか。
(3) 著者サンテック
アメリカにいたサンテックは、戦後の政治、経済、法律等の展望について、どの程度の知見があり、どう評価していたのだろうか。
サンテックは、銃後で計画を練った人でなければ、すでにどろくさい戦闘に実際参加する人でもなかった、と思う。
しかし、本は書くし、間接的ながら戦争の実務にも就くということだから、それに時間を取られる。内省の人には、なりえたとはいえ、現状把握の知見を取得する立場としては、必ずしも有利とはいえまい。
また、私生活も、忙しい人であったと思われる。
私は、サンテックが、当時の世界の現状及び将来の方向において、一流の知見を有していた、という仮定を置くことはできない。
しかし、実際どうであったかは、わからない。
実際どうであったか、サンテックの知見と評価について、簡明に知りたい思いである。
第3 私の著書の分析の方法
これは、これまでも述べているとおり、執筆当時の客観的な政治的・経済的・法律的・文化的・科学史的等の状況がいかなるものであって、著者が、それらを、どの程度認識し、その認識に基づいた評価を下していたか、を考える。
その場合には、たとえば、著者が、その本において、何を書いたかという以上に、何を書かなかったかを考察し、これを尽くすという、いわゆる「ないない尽くし」の方法が有効である。
この方法は、本を精読するのも大事だが、それより、むしろ、本の内容を総合的にマクロ的に把握するとともに、私自身の知見を増加させ、その評価を多彩にする方が、効果的である。
また、著者の主張と、本音とは、意識においても、意識しない面においても、必ずしも同じでないという経験則から、客観的事実と主張を対比し、著者の合理的意思を推認する方法があり、かつ、それで足りると思っている。
第4 若干の感想
1 極楽トンボさんへ
(1) 王子が自己の統治する星の狭隘さと女性の唯一性に感想を漏らすくだりについて
世の中に女性はたくさんいるし、自分の統治できる範囲以外に世界は広いことは、子供だって知っているから、サンテックが、あらためて世界の広さと女性の多さに驚いたとは、必ずしもいえない。サンテックは、世界が広くても、魅力はないし、女性は美しくても、内容に欠けるという結論を導いているから、その前提としての話の作り方に過ぎないように思われる。まあ、わかっていても、改めて驚いたが、やっぱり、自分の環境が良かったという言い分かもしれない。
(2) 「飲んべえ」について
「飲んべえ」について、詳しくは書く余裕はないが、「ないない尽くし」の思考方法でいえば、なぜ、あの6種の人選になったかが気になる。オズとドロシーの話のように、農夫、工場労働者のように銃後で稼働している人のことを述べているのではないし、戦後の計画を練っている政治家や、戦略に日々腐心する軍人の指揮官に触れているわけでもない。一線の軍人の苦悩や横暴に触れているわけでもない。女性も出ない。6種の人定は、平和なときにも、出てきそうな感じである。しかも、それぞれに、わがままか、自由だ。6種の人定は、作者の分身かもしれない。作者は、決して、いわゆる子供心に純真ではないし、純真に戻ろうという気もないと思われる。少なくとも、ピーターパンのように、大人になること、成人女性と交際することに恐怖や嫌悪を示し、大人になりたくないという気持ちを持っていたとは、さらさら考えられない。王の支配欲求、うぬぼれ屋の賞賛欲求、飲んべえの飲酒欲求は、サンテックも、王子こと小さな大公も、捨てられないものだろう。また、これから発展させ、星の王子さまが、日独伊を批判した戦争文学だというような評価は、軽々にできないだろうと思う。その仮説を検証するために、テキストを深読みするよりは、サンテックの有した政治的・経済的・法律的知識などについて、調べる必要があろう。
(3) 是非早めに英語版を読んで、感想を書いてください。
2 Ryotasanさんへ
(1) ご指摘の点、インターネットである程度把握していましたが、知らないことも多く、頭に定着しました。私も、今後、より正確性を期します。
(2) 多くの人が、この物語について一筋縄ではいかないと思っていると評価されていることにかんがみると、私が、「星の王子さま」の物語について、神秘性を喪失し、サンテックの合理的真意を把握できたかのような口ぶりをしていることに異論があるかもしれませんが、この点については、私は、おそらく、この物語の底が見えたという今回の感想は、今後も維持できると考えています。
(3) 私は、Ryotasanさんの過去歴については、あまり調べる暇がなかったので、よく存じませんが、1970年代から、多読を開始し、大学でアメリカ文学を教えておられるのではないかと思います。星の王子さまについて、何か、文を載せていただければ幸いです。
(4) 私は、星の王子さまの日本語訳や解説のたぐいについては、本を立ち読みした以外は、読んだことがありません。仏英の適訳の隘路に関連し、以下の語源については、該当する本がありませんでした。
第5 語源について
1 apprivoiserとtameについて
原典は、本屋で立ち読みすると、フランス語の(1)apprivoiserであり、これを英語で、(2)tameと訳している。以下、書くのが億劫なので、(1)と(2)で我慢されたい。ここから、推測であるので、是非、教えていただければ、幸いである。(2)は、古い英語である。ラテン語系ではない。この手の言葉が古英語であることを直感的に感じるには、難しいことではない。(1)は、ラテン語系である。すると、本来、(1)は、ラテン語系の英語である、別の言葉に訳されるべきだった、という仮定が成立する。
2 私は、フランス語の知識は全くないが、おなじ語族だから、英語を類推しよう。(1)のうち、apは、接頭辞のadだろう。ここでは、普通よくある、「急激でも良いが、どちらかといえば、徐々に、そちらの方向へもっていく」というような感じだと思う。privoiが迷う。prのつく言葉は、おそらく語源が、いろいろあるからだ。priという接頭辞かもしれない。しかし、ここでは、考え方を方向転換し、本の内容から、「女性と、親密な関係になって、自分の所有物にしてしまう。私物化する」という意味だから、英語のprivateと関係があるのではないか、と考える。英語で、apprivateを見ると、こんな単語はない。しかし、私物化するという意味では、appropriateがある。これは、ap pro priであり、ateは、動詞化である。これは、(1)と関連した言葉と考えて、正解ではないか。これらの思考を発展させると、サンテックは、privateに関連した用語で、英訳させるべきであった、といわざるをえない。
3 なお、pri pro privは、同じような語源ではないか。今手元に、語源の書物はないので、なんともいえないが、その可能性は、あるだろう。
4 以上は、普通の英和辞典でも、確認すると、それらしきことが書いてあるように思う。
以 上
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