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2579. Re: English Fairy Tales イギリス童話集の内容と時代背景について(ネタバレ)
お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/5/9(23:08)
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極楽トンボさん、こんにちは
お返事ありがとうございます。
私は、邦語の本については、20代のころから、並行して、たとえば、5冊とか、10冊とか、読むのが当たり前です。並行して読むのが、2〜3冊という程度のことも、多くあります。
図書館から借りる本があれば、もっと、冊数は、増えるでしょう。
どんな本でも、たとえ興味が極度にあっても、1日に、20ページから40ページくらい読むと、読み疲れがします。ただし、現代小説のたぐいは、読書に入れません。
読み疲れという表現は、的を射ていないかもしれないが、飽きがきます。
本を置きたくなります。
そこで、別の本を読み始めるわけです。もっとも、興味が続くときもあります。
その本を読み疲れたら、第3の本に行くか、第1の本に戻るか、もう本をやめて別のことをするかは、そのときによります。1冊あたり、たとえば、ノンストップで1時間興味が続くことは、あるといえばあるし、ないといえばないでしょう。
私は、このSSSで、はじめて「本を投げる」という言葉を知りましたが、私には、この意味がよくわかりません。本や作家や本を読むのを投げるという言い方は、おそらく一般社会の用語ではないと思われます。
「本を投げる」「本を読むのを投げる」とは、「仕事を投げる」とか、「思案首を投げる」という使い方と同種なのでしょうか。
私は、同時並行的に複数の本を読む以上、途中で中断したままになる本が、相当数出現するのは当たり前であって、それを1週間後に再開しようが、1月後に再開しようが、1年後に再開しようが、はたまた、自然消滅的に読まなくなろうが、私は、「投げる」という概念を考えません。
結果的に、途中で中断したままになる本が多数でますが、そんな当たり前のことを、悲嘆したり、悩んだり、「やっと投げることができた」と喜んだりすることはありえません。
これは、読書論に発展するものであり、私は、読書論については未熟であり、今でも、ごくたまに他人の読書論を読みますが、私自身の読書論の披瀝は、次回、暇なときにします。
今、読書論で読んでみようと思うのは、「本の本」という題名だったか、昨今書店で結構並んでいる本です。ただ、あまり食指は、動きませんが、買って読んでみようと思っています。
私は、読書についても読書論についても、未熟者も未熟者だと思っていますが、良き読書人の読書論は、大変参考になると思います。
最近、21世紀の読書として、フォトリーディングなる読書論が出ていますが、これは、具体的にいかなるものか、私は、知らないでいます。
それでは、また。
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