童話オズの魔法使いThe Wonderful Wizard of OZ と金銀複本位性との関係(長文)

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[バレ] 2561. 童話オズの魔法使いThe Wonderful Wizard of OZ と金銀複本位性との関係(長文)

お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/4/27(11:56)

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1. 「オズの魔法使い」について読んだ本
 The Wonderful Wizard of Oz (Signet Classics)
 フランク・ボームFrank Baum(1856−1919 享年63歳)
 本書初版は,ボーム,43歳,1900年5月に出版された。

2. 本題の趣旨
 オズの魔法使いは,主人公の女の子ドロシーが,竜巻a cycloneによってオズの国という未知の国に運ばれるが,10歳にして旺盛な独立精神を発揮し,それぞれに悩みを持つ他者の協力をも得て,ついに故郷のカンザスに帰るまでのアメリカらしい物語であるところ,ドロシーが,東の魔女から奪った銀の靴silver shoesを履き,黄色のレンガ道yellow brick roadを歩くことなどから,当然のように,金本位制gold standardを批判し,金銀複本位性bimetal systemの復活を暗に意味した児童小説であると主張する経済学者がいる。
(1) 貨幣の悪戯 ミルトン・フリードマン P109注17
(2) 円は誰のものか 菊池悠二 P23
(3) マンキュー 経済学 英語版第3版 P666−668
(4) Hugh Rockoff Journal of Political Economy 1990
 オズの魔法使いが,金銀複本位性を意味するという話は,金融論またはマクロ経済学の授業を受講することにより,少なくとも近年の経済学部出身者には,かなり人口に膾炙しているであろうと,他学部出身の私は,想像する。
 もっとも,ボーム自身は,後にそのような政治的意図の有無について特に論評していないようだから,金銀複本位性についての寓話を含まないという説も有力である。
 私は,後に述べる理由で,結論として,経済学者の意見に賛成したい。
 著者ボームは,1900年の共和党マッキンレー対民主党ブライアンのアメリカ大統領選において,金銀複本位性の復活を高々と主張するブライアンを支持したが,一敗地に塗れた。本童話は,その選挙戦のさなかに執筆され,1900年秋の選挙前の5月に出版された。
 物語中,たとえば,金本位制によってデフレに苦しんだと見なした農民が,かかし,工業労働者が,木こりを意味することなど具体的な人物の当てはめの推測は,ネットで検索するとヒットするので,ここでは検討しない。「オズの魔法使い 金銀複本位性」などという検索で,ネットを参照されたい。
 私は,全24章の原典を読むことにより,ノートに色づかいの状況を記載した。そこで,童話の内容というよりも,著者ボームの生きた時代背景,貨幣政策monetary policyにおける金銀本位制の歴史について,簡略に説明するとともに,原典の童話の色づかいについて,客観的な説明を施したい。
 全24章にわたる色づかいの観点から,金銀複本位性を論じた童話であるか否か検討した説明は見あたらなかったし,歴史的な貨幣制度について多少なりとも記載しなければ,話がわからないだろうからである。

3. 貨幣制度における金銀本位制の歴史について
(1) 基本から論じようとすることを許容されたい。貨幣がなぜ存在するかについては,自然的に社会に発生したか,古代国家の威信のもとに流通したか,金匠(goldsmiths)が信用創造機能を発明したか。近代国家の権力を前提とするかは,説が分かれるようである。しかし,貨幣は,Nプラス1番目の商品であると言われる。N=1万個の商品があったとして,貨幣がなければ,任意の2個の商品を交換するには,4999万5000という((1から1ずつ9999まで加算する等差級数だから(1+9999)×9999/2)),人間の記憶容量を超える価値の基準を覚える必要がある。これは人知で不可能である。また,2個の商品の交換比率が,比較的簡単な整数であるとは限らない。物々交換では,欲望の二重の一致(double coincidence of wants)は,品物の合致という意味でも,数量の合致という意味でも,極めて限定されてくる。物々交換の世界では,とても今日のように,商品が一人一人にわたることなどありえない。貨幣は,少なくとも,価値測定手段(means of measurement)として,不可欠の存在である。
 次に,貨幣がなぜ存在可能かは,信用(credit)の問題である。国家は,通貨発行権によるシニョレッジの利益を得る反面,貨幣の信認に努めなければならない。貨幣の信認が崩壊した場合には,第1次世界大戦後のドイツのインフレーションのような事態が生じ,国民は,塗炭の苦しみにのたうちまわるであろう。
 モノやサービスは,労働によって,生産される。貨幣は,モノやサービスが労働によって生まれたことを前提とする価値測定手段であるとすると,貨幣は,労働を通じて,他人に移転する。普通は当人が労働したことを意味する。例外的に,たとえば,親から相続した金は,親が,労働した価値を一部消費しないで,子供に残したのである。公開株式会社への投資は,労働で価値を生産できると思われる人の集団に,リスクを託すことである。これによって,たとえば昔価値を生産したがすでに価値を生産できなくなった年寄りも,消費しないで価値を蓄積していれば,若く有能な労働者を通じて,価値の実現の配分に与ることができる。借金することは,労働しないで,モノやサービスを消費できることである。借金することは,将来,借金に見合う労働を提供することを約束することである。借金だらけで返せない人は,自分もしくは自分が関係した人が,既に金を費消しモノやサービスの提供を受けて享受したが,未だ価値ある労働を提供できないでいるのである。
 例外として,労働しないで貨幣を正当に費消できるのは,国家である。国家は,貨幣を発行するという1回限り,利益を得る。通貨発行権のある国以外の者が,価値ある労働といえない行為をして,不正に貨幣を作り出すのが,貨幣の偽造である。貨幣の偽造は,現在,過去に比し,あまり重い処罰をされているとはいえないかもしれないが,歴史上,死罪またはこれに匹敵する重い処罰が行われてきたのは,故のないことではない。

(2) 金銀の交換価値分の数量をそのまま貨幣にすることは,古代から行われてきた。しかし,江戸時代に,金銀の量を減じて貨幣を改鋳し,江戸幕府の賄いを安定させるとともに民間の商品流通の増大に資したように,金銀の価値より多い名目金額の貨幣も,かつても大いに流通してきたはずである。
 イギリスは,ゴールドスミスが信用創造を展開した国であるから,金銀と兌換を裏打ちされた紙幣等の通貨は,シェークスピア晩年の17世紀ころから,すでにかなり円滑に流通していたといえよう。なお,16世紀末,1597年初演された「ヴェニスの商人」では,シャイロックがアントニオに3ヶ月の期限で貸与した3000ダカットは,当時ヴェニスで流通した金貨である。イギリスは,1816年,銀本位性を脱却し,金本位制を採用した。アメリカは,金銀本位制であったが,1834年,金銀の比率を1対15から,1対16に変更した。アメリカは,1961年,南北戦争を開始したが,翌62年,金本位制に移行するとともに,ドル紙幣を発行した。これは,グリーン・パックといわれる。当時の例外として,金と兌換できない不換紙幣である。そして,1864年,ドル硬貨に,IN GOD WE TRUSTの文字を入れた。しかし,実際に信用したのは,Lを挿入したGOLDであったといえよう。
 日本は,1868年,明治維新を迎えたが,その前後,本邦の金と銀の比率が,アメリカ等諸外国と異なったため,金の流出を招いたのは,有名である。理論的には,銀を保有すれば,無限連鎖的に,日本の金と交換して利益を貪ることができたのである。日本は,黄金の国ジパングであることを,約500年を経て証明したといえるかもしれない。日本は,1894年開始した日清戦争の勝利により,中国から多額の賠償金を受領し,これを元に金を購入して,1897年,事実上の銀本位性を脱却し,金本位制を採用した。
 ところで,アメリカは,1873年,貨幣鋳造法を改正し,1ドル銀貨の廃貨を決定した。これは,後に1873年の犯罪であると呼ばれる。その結果か否かは別として,アメリカは,1875年から1896年まで,約21年間デフレーションに見舞われる。バブル後の1990年代の日本と対比できるのは,この時期のアメリカかまたはイギリスであるといわれる。1887年,スコットランド人が,粗悪な金鉱の廉価な新精錬法を発見し,アフリカ等の金産出の増加を見ることとなる。これが,結局,金とリンクする貨幣の増量を招来し,デフレを終焉させた。

(3) アメリカは,1890年,全国規模の銀行恐慌があった。また,アメリカは,この1890年,国政調査の結果,フロンティア消滅を宣言した。西部開拓時代が終わった。以後,アメリカは,対外政策として,建国精神である孤立主義を維持しながら,通商的に貿易拡大をもくろみ,西部開拓フロンティアの代替政策とする。アメリカは,現在のイラク政策などをみると,孤立主義と無縁であるかのように見えるかもしれないが,なお,内政のみに関心を払うという孤立主義は,地下水脈として続いているに違いない。

(4) アメリカは,1920年代,名著オンリー・イエスタディの享楽時代,ジャズエイジを経て,1929年10月,いわゆる大恐慌Great Depressionに突入し,世界に広がる。ここに,ケインズの官僚主義,国家財政肥大主義,失業対策が生まれる契機が発生し,ケインズの亡霊が,今日なお,広く闊歩しあるいは残存している。我がドロシーの故郷,カンザスの農民も,農作物が売れず,家を捨てて,カリフォルニアを目指して殺到した。ときあたかも,1908年,フォーディズムにより,T型フォードの大量生産が開始され,農民も自動車を購入していたから,幌馬車ならぬ,自動車を運転し,一家で夜逃げをしたのである。日本では,自動車自体,珍しかった時代である。

(5) 西洋諸外国は,第1次大戦当時,金本位制を一時停止したが,戦後,金本位制に復帰した。ところが,日本は,対策が遅れ,世界恐慌後の1930年1月11日,ようやく金解禁を実施し,かえって経済は混乱した。これを決定した浜口雄幸首相は,1930年11月4日,右翼に狙撃されて翌年死亡し,井上準之助蔵相は,32年2月9日,同じく右翼に殺害される。これらを契機に,右翼の襲撃による言論封殺が激化するとともに,軍部の靴音高く,民間,政府,国会,警察と,軍部に対抗できる勢力が次々と消滅し,第2次世界大戦に突入する。

(6) 第2次世界大戦は,資源獲得戦争でもあった。その終焉間近の1944年7月,アメリカとイギリスが主導し,ブレトンウッズ体制が誕生し,金1オンスOZ=約31グラム=35ドルが決まる。ところが,戦後の日本・ヨーロッパの復興,1964年ころからのベトナム戦争による戦費の拡大,ケネディ暗殺後就任したジョンソンの無秩序ともいえる福祉政策等は,ドルの信認低下を招いた。そして,ついにそのとき歴史は動き,1971年8月15日,ニクソンショックが起こり,金とドルの交換が停止された。いわゆる8月15日,第2の敗戦であるともいわれる。ブレトンウッズ体制の一部崩壊である。このとき,財務官僚は,為替相場を閉鎖せず,国民に多大な損害をもたらしたが,情報として,メディアもこれを知らせることなく,政府を追求する国民は,いなかったとされる。1973年2月14日,円は,変動相場制に移行した。爾来35年,多くの国が,変動相場制を採用し,海図なき為替相場に漂流しているかのようにみえる。

(7) 2008年4月現在,中国その他の国における勤勉な労働者が他国に比し相対的に多いことなどにより,新興国の経済が発展し,かつ,リスクマネーが実物資産への投機に向かっていることなどから,資源獲得競争が起こっていると思われる。些細なことかもしれないが,日本は,海産物であるマグロのせりにも国際的に負けるのである。石油は,1バレル=約159リットル,100ドルを優に超過し,金は,1オンス,1000ドルになった。銀も,1オンス,20ドルの値をつけた。1対50の比率である。銀は,約5ドルだった2003年の約4倍に高騰した。

(8) 補足するに,世の中に,金を除外して,100個の物しかなく,金100グラムが存在すれば,物1個,金1グラムと交換できる。金に紙幣を兌換させ,1ドル札100枚を印刷すれば,1個=1ドルである。ところが,金本位制では,生産性が増大し,世の中に,200個の物が存在しても,金とリンクさせている限り,1ドル札100枚しかないので,1個=0.5ドルに価値が下がる。これがデフレである。デフレを解消するには,紙幣を増加させなければならない。銀も紙幣と兌換させる制度を採用し,金と銀が1対1の比率で,金100グラムに加え,銀100グラムが存在するのなら,1個=1ドルが維持される。ブライアンやボームは,これを意図したのである。
 ところが,逆に,1971年に,基軸通貨であるドルを発行し,金との交換を保証するアメリカが金本位制を廃止してからは,金と貨幣の量はリンクしないから,いずれの国家も,理論的には,無制限に通貨を発行する危険性がある。100個しか物がないのに,中央銀行引き受けの国債を発行するなどして,いつの間にか,300ドルの紙幣が存在すれば,1個=3ドルに跳ね上がる。もっとも,現実に紙幣が存在しなくても,信用創造により,貨幣を増加させることができるので,信用創造による貨幣300ドルへの増加でも同じである。これがインフレである。これらの説明は,単純な貨幣数量説であると論難されるかもしれないが,わかりやすい説明であるだけでなく,基本的に正しいと思われる。
 デフレーションdeflationも,インフレーションinflationも,いずれもフラットflatな状態ではない。日本は,ようやくデフレを脱却したといわれる。しかし,逆に,インフレが再燃する可能性も少なくない。ハイパーなインフレも,起こりうる。インフレこそ,もっとも過酷な税金である。そのことを理解できるならば,インフレを監視することこそ,国民の義務であり,権利である。日銀は,日銀法により,物価の安定が大きな目的とされるが,物価の安定という基本的事項について,国家に頼って,自分では行動しないし,考えもしないというのは,自分だけでなく,他人の正当な利益をも守っていないことになろう。資本主義である以上,マイルドなインフレは,生産性が改善されている限り,やむをえない面があるだろう。しかし,それを超えるインフレは,一般人の利益を損なっている。
 なお,ボームは,1919年に死亡しているから,銀の復活なくして,通貨供給money supplyが増加し,インフレ傾向になり,農民らの債務が実質的に軽減し,物やサービスの流通が増大し始めたのは確認したであろうが,1920年代のアメリカの他の国への配慮を怠った享楽や,1929年の大不況を見ることはなかったのである。
 1929年の大不況の原因が,ミルトン・フリードマンの主張するように,貨幣流通量の停滞を原因とするならば,貨幣の流通量の増大を,目的到達への手段と考えたブライアンやボームは,正しかったといえる。
 オズの魔法使いは,大人になっても,貨幣の本質,貨幣の役割について,考えさせてくれる。この童話が,未来も,残るのであろう一つの大きな理由であると思う。
(ヤレヤレ,長くなった。専門外のことについて,人は,一般に,専門家と異なり,簡潔かつ正確に基本原理を展開できない傾向があるし,私は,今回,記憶とメモに頼って書いているのであって,文献を再読して書いているわけではないので,長くなってしまった)

4. 原典の童話の色づかいについて
(1) オズの魔法使いの統治する国は,A4紙片を砂漠にたとえると,中心の円が,オズの居住するエメラルド・シティ,東西南北の端に半円を4個描き,それぞれ魔女が居住し,5つの国の間には砂漠ないし森が挟まれ,住民の往来はない,という構成である。東西の両魔女は,Wickedな悪い魔女だが,南北の両魔女は,良い魔女である。ドロシーは,全24章中,1章でカンザスから東の魔女の国へ飛ばされ,2章から10章まで,2章で銀の靴を入手し,3章でかかしScarecrow,5章でTin Woodman,6章でCowardly Lionと会い,10章までともに苦難に遭遇しながら,徒歩でエメラルド・シティまで行き,11章から17章まで,行きは徒歩で西の悪い魔女の国へ,帰りは翼のある猿の手で飛行しエメラルド・シティに戻り,正体のばれたオズが結果的に一人で気球に乗って行ってしまったため,18章から24章まで,帰宅方法を請いに南の国の魔女に会いに徒歩で出かけ,南の国で魔女から銀の靴に願いごとをすればすぐに帰宅できると教えられ,24章において,たちどころに故郷に帰るが,途中で銀の靴は,落としてきてしまう。このように,1章から10章,11章から17章,18章から24章まで,3部構成に分けられるが,さらに,1章および24章は,カンザスの話であり,11章および15章から18章は,エメラルド・シティの話であるから,7部構成とすることもできる。ここでは,3部構成ということで述べる。

(2) 1章から10章までの第1部は,1章で,カンザスのgray prairie 2章で,これまで述べた銀の靴silver shoes,黄色のレンガ道yellow brickが出現する。黄色のレンガ道は,10章までしか記載がない。8章で,ケシpoppyの畑が出てきて,眠りに落ちたドロシーらは,死の危険に見舞われるが,ケシの花の色は,yellowのほか,white, blue, purple, scarletである。ドロシーに寄り添う子犬のTotoは,黒色の目を持つ黒い犬として描かれる。東の魔女に支配されていたマンチキンの人々が好む色は,青色である。なお,3章で,ドロシーの服として,white, blueのギンガムチェック,pinkのサン・ボンネットなどが出てくる。全体として,色づかいの種類は,多いとまでいえない。

(3) 11章から17章までの第2部は,11章で,エメラルド。シティにおける全編緑greenの記述が多くなされる。12章から,西の魔女が繰り出す魔術の道具として,a silver whistle, a Golden Cupが出てくる。襲撃するハチは,black beesである。 その他,pink silkなどの若干の色づかいがある。

(4) 18章から24章までの第3部は,特に20章から23章まで,景色,建物,魔女の着衣等の形容として,green, white, golden, silver, pink, yellow, blue, purple, red, blackが出てくる。しかし,さして,その記載は多くない。22章で,blight red, 23章で,rich redの形容があるが,このような色を多彩化する形容詞も,多くない。

5. 経済学者の意見に賛成する理由について
(1) 銀の靴は,ドロシーが靴を履いて闊歩することから,全編を貫くが,黄色のレンガ道は,第10章までに過ぎない。経済学者の本を読んだだけだと,黄色のレンガ道は,全体を通じて存在するかのように錯覚するかもしれないが,違うのである。12章以下,西の魔女は,a silver whistleを使用しても成功しなかったため,a Golden Cupを繰り出し,Winged monkeysを呼び出して,ドロシーらを魔女のもとに誘拐するが,ドロシーは魔女に水をかけて溶かし,結局,Golden Cupを使用しても,魔女のもくろみは,失敗する。12章以降,a Golden Cup以外に,yellow, goldenの形容のつくものは,castle, land, daisies, fields, spots, frocksなど,いろいろ出てくる。この意味で,銀だけでなく,金は,全編を貫いているというべきである。そして,話の内容は,銀の金に対する優位性を示している。また,オズの魔法使いのOZは,オンスという金銀等貴金属の単位を示す記号である。最後に,ドロシーが,銀の靴の力で,たちどころに故郷に帰るというのも,銀の威力の優位性を示している。

(2) 金銀本位制と関係ない童話であるという説は,黄色は,金とはいえないという主張もあり得よう。しかし,金をみると,黄色であると考えて不自然ではない。また,ボームは,yellow and goldenなどいう使い方はしていない。ボームは,yellowとgoldenを同じものと扱っていると評価できる。

(3) あるいは,ボームは,オズの魔法使いは,ただ子供たちに楽しさを与えるために執筆したと書いていることを根拠に,通貨の基本となる金銀複本位制のような難しい話とは無関係であるという考えもあろう。しかし,ボームは,同じ前書きで,グリムやアンデルセンの童話が,恐怖と血なまぐさい出来事に満ち,子供たちに心痛や悪夢をもたらすことや,近代の教育が道徳的かつ教訓的なことを非難しているだけである。農民及び工業従事者らの地位向上のため,金銀複本位性が必要であると暗に示すことは,ボームにとって,道徳や教訓ではなく,心痛や悪夢でもなく,むしろ実用的なプラグマティカルなことであるから,子供の童話に盛り込んでも,何ら差し支えないし,かえって望ましいことがらだったといえよう。

(4) あるいは,かかし,きこり,ライオンの欲する願いの由来が,個人的な動機であることが,通貨の話と無関係であるという考えもあろう。かかしは,農民が製作したばかりなのに,カラスに馬鹿にされるのは,頭脳が欠けるせいであると考え,木こりは,恋する娘の母親に依頼された魔女の魔術で生身の身体を全部喪失しブリキの身体に代替したから,生身の心がほしいと熱望し,ライオンは,生来臆病であるとのみ説明し,勇気がほしいとこいねがう。冒頭から私が説明したように,もし,かかしたちの由来を金銀複本位性で説明しようとしたら,子供たちにわかりやすく説明するのは,長文を要し,かつ,困難であったであろう。ボームは,かかしたちの由来について,適当な個人的動機で済ませた可能性が高い。いずれも短い記述にとどまるし,ライオンに至っては,理由はわからないが,生来臆病であると,ごく短い記述で済ませているのである。また,ボーム自身,ヒューリスティックに,つまり,直感として,当時の金本位制が,一部都市部の人間を利するが,農民や多くの工業労働者を利することがないと喝破したとして,その根拠を理論的にわかりやすく説明できたか怪しい。当時は,適当な教科書もなかった。大統領候補者のブライアンでさえ,文学的な表現で対立候補者を攻撃しているにすぎないようである。したがって,かかしたちの由来に,当時の農民や工業従事者が苦しむ原因が金や銀にあるというリンクの説明がなかったとしても,この童話が,金銀複本位性を説いた寓話であるということを否定する材料になり得ないと思う。

(5) 以上,私が,経済学者の説明を正しいと考える理由である。

6. その他の内容について
(1) 有名な「故郷ほど良いところはない。」(There is no place like home)というくだりは,第4章にある。農民の代表であるはずのかかしが,ドロシーに対し,「カンザスのような灰色の場所に戻りたいなんて理解できない。」などと揶揄したのに対し,「そんなことをいうのは,あなたに脳みそbrainsがないからよ。」と反駁した後に,そう宣言するのである。

(2) Scarecrow, Tin Woodman, Lionは,それぞれ,brains, a heart, courage を欲しているところ,順に可算名詞の複数形,可算名詞の単数形,非可算名詞となっていて,子供が名詞の加算・非加算,単複の勉強をする仕組みになっているように思える。邦語では,基本的には,頭脳,心,勇気という抽象的で形のない名詞に訳す内容であるが,文中のやりとりでは,少なくとも前2者については具体的な形あるものを前提としており,後にオズが渡すものは,3者とも,形ある具体的な象徴である。

(3) ドロシーは,飢餓感のある他者との共同作業により困難を乗り切るので,グリムやアンデルセンなど昔の童話のように,美しく気立ての良い不幸な若い女性が,本来商品経済で交換を要する高価な物を魔法で獲得するという幸運に恵まれ,豪華な衣装,靴を着用し,馬車に乗車するという訳ではないし,幸運にも王子と結婚し,稼働することなく一生幸福に暮らせたというようなくだりさえ,微塵もない。ドロシーは,23章から24章にかけ,オズの国からカンザスに戻るまでのあっという間に,銀の靴さえ落としてしまい,元の着の身着のままで故郷に帰る。それもそのはずである。ボームは,1900年の女性には,なお親元で家事に従属する因習が残ることを意識しながら,社会進出して農業や工業等で稼働することを当然のごとく期待していたから,棚から牡丹餅式に,豪奢な商品が出現したり,王侯貴族と知り合ったりするなどという筋書きを予定していないのである。本の解説者レベッカは,シンデレラと対比し,シンデレラが,ガラスの靴の高価で価値あることを評価したのに対し,ドロシーは,銀の靴の価値ではなく,長旅の耐用性を評価したことを指摘している。解説者は,ドロシーがそのような経済的実用的思考をする理由について考えあぐねているように見えるが,端的に,資本主義の進展が,自由平等の精神の高揚とともに,女性の地位を向上させたことを指摘すれば足りたのである。ドロシーの育ての親である叔父と叔母には,農業上の役割分担があって,妻が夫に従属している様子はない。1900年の日本の様子とは異なる。しかし,商品経済の拡大が資本主義の枢要であって,それを生産するのが庶民であるならば,消費するのも庶民でなければ,生産が拡大しないから,次第に女性が外で働くようになり,かつ,競合する生産に勝つには,能力が必要であるから,能力ある女性の登用も,資本主義の必然といえる。これは,日本も同じであった。ただし,中国が,現在,社会主義市場経済とはいいながら,資本主義を疾走しているように見えるのに対し,日本は,高度の資本主義経済を採用したといいながら,もっとも成功した社会主義の国であると揶揄される。ドロシーのような積極的行動は,いまだ出る杭のようなものかもしれない。

(4) 1939年公開されたジュディ・ガーランド主演のオズの魔法使いが,原作と種々異なることがつとに指摘されているが,ここでは述べない。しかし,結局,大柄なガーランドが抜擢されたのは,原作で,マンチキン人が小柄であると設定されているからであろう。本書には,原作のイラストが掲載されているが,イラストでは,ドロシーの大きさが,かかしや木こりにほぼ比肩する絵もあることも,ガーランド起用の遠因かもしれない。

                                                                   以上


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