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お名前: 酒井@tadoku.org http://tadoku.org
投稿日: 2007/2/12(01:04)
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とうふさん、Ryotasan、こんばんは!
さかい@tadoku.orgです。
〉とうふさん、ことしもよろしくお願いします。こんな歌を思い出しました。
〉So this is Christmas,
〉And what have you done?
〉Another year over,
〉And a new one's just begun.
〉John Lennon と Yokoさんによる "Happy Xmas: War Is Over" の歌い出しです。この歌から考えると、John Lennon にとってクリスマスは年末年始と同義だったように思えます。
〉もっと古い歌で "We wish you a merry Christmas and a happy new year" というのもあります。
〉もう少し古い、"Twelve Days of Christmas" という歌もあります。
〉多読でしたら、Hans Christian Andersen の "The Little Match-Girl" が大晦日の話なのにクリスマスツリーが出てきます。「なぜだろう」と思ったかたもいるでしょう。要するに、クリスマスは前夜祭と当日だけでなく、年明けまで続く12日間の行事なのです。ですから、年が明けてからクリスマスの挨拶をしても、そんなにおかしくはないのだと思います。
〉勿論、とうふさんのように生の英会話を観察というか聴取して分かったことには、多読とは別の価値があります。
Ryotasan、いつもわたしたちの眼を開かせてくださって、ありがとー!
Ryotasanのコメントはいつも発見があって、実に楽しみです。
〉ここからは冗談ですが、留学経験はおろかホームステイの経験さえ無い僕の様な人間が多読や歌を通して分かったことをこんな風に主張しても全く相手にしないという人も世の中には沢山います。(^-^;) とうふさんの様な経験に基づく見解でないと説得力をもって響かないこともあるでしょうね。
じつはこのスレッドの題名「観察は大切ですね」を見て、
これはRyotasanの非常にすばらしい「姿勢」をそのまま
表していると思って、投稿に及んだ次第です。
僕の授業には毎年何十人という人多見学に来てくださいます。
それで、授業の形自体が変わっているので、
これから書くことは僕の授業を見てくださる方には当てはまらない
ことなのですが・・・
ずいぶんあちこちで授業見学をやり、そのたびにたくさんの先生、
親、教育委員などが授業見学する様子も見学してきました。
そうすると、Ryotasanをのぞいて、すべての先生、親、教育委員が
教室のいちばんうしろに立って、黒板の前で生徒を教えている先生を
見ています。
茨城大学でぼくが多読クラスを「指導」したとき、
そういう人たちとは逆に教室の一番前に立って
(つまり最初に話をしていたぼくの横、窓際に立って)
学生たちの方を見ているRyotasanを見て、非常にびっくりしました。
そんな位置に立って授業見学をする人はぼく以外に見たことが
なかったからです。
授業見学で、先生をじっと見ているのはぼくにいわせれば
素人で、僕以外の授業見学の人はそれまで全員素人でしたね。
全員が先生の方を向いている授業の見学は、先生の横に立って、
生徒や学生の様子を観察しなければいけないとぼくは思います。
先生がなにをどうしていようとそんなことはどうでもいい。
生徒が、学生が、その授業にどう参加しているかを観察しなくては
なんのための授業見学かと思います。
Ryotasanはそれを観察していた。
そして、Ryotasanは日本から一歩も出なくても、
文学を気持ちを込めて読んでいらっしゃる。
それでぼくには十分です。
留学した、学位を取ったという人たちはたくさん見ていますが、
実に一人も、ぼくはこの人は意味のある留学をし、
学位を取ったという人に会ったことがありません。
その少なさは、教室の前に立って授業見学をする人の少なさと
根がおなじだとぼくには思えます。
たとえ外国の地で「研究」し、そこで暮らそうと、
その地の、そこに住む人の空気が見えない人、読めない人は
なんの影響も受けずに帰ってきます。(ここは自戒を含めて・・・)
わが大学からも何人もの人が留学して帰って来ましたが、
行く前と後で、何も変わらない人ばかりです・・・
実はぼくは1年ずつ2年イギリスで暮らしておりまして、
一体何が変わったんだと問い詰められると、
内心忸怩たるものがありますが、上に書いた連中よりは
深刻に悩んできたと思います。漱石のように神経衰弱には
ならなかったけれども・・・
で、ここで急に我田引水になりますが・・・
多読多聴でこどもたちは「バイリンガル」のようになっています。
おなじことがおとなにも起きるというのがぼくの大胆な仮定です。
その推測をさらに延長すれば、日本にいて、読書と映画と朗読だけで、
辞書ばかり引いている「英文学者」を越えることは何の苦もないことと
ぼくは考えています。
もっとも、だからこそ、Ryotasanが外国でそこの暮らしを見てきたら、
どれほどの実りがあるか!とも思いますが・・・
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