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お名前: 杏樹
投稿日: 2007/1/20(00:03)
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Ryotasanさん、こんにちは。
できるだけ短くまとめようと思うのですが…。
〉原作を大きく変更せずに上演して成功した例もありますよね。僕が高校生の時に観た A Midsummer Night's Dream のミュージカル版は、台詞と歌詞が現代日本語で、衣装も現代風でしたが、原作からの省略はほとんど無かったです。(原作を読んだのは何年かたってからですが。) 忠実な翻訳と言っても良いくらいでした。それでも違和感は感じませんでした。
ミュージカル版って誰がやったものでしょう?原作に忠実に…とは、うまくできていたようですね。
〉それから設定を現代風にした映画の Romeo + Juliet は御存知の方も多いでしょうね。あれも言葉の部分はほとんど原作どおりでした。短くしたり再構成したりはしていなかったと思います。
〉〉ただ、シェイクスピアは「ハムレット」に限らず、他の芝居に比べてずっと自由な表現が出来るんです。例えばチェーホフなら当時のロシアの時代背景がないと成り立ちません。基本的な時代や国の設定があり、それを越えて上演するのは難しいのです。
〉僕は観ていないんですが、チェーホフの戯曲を日本の話に翻案した上演は何度も行なわれて来たように記憶しています。失敗と判断するには上演回数が多いように思うんですが (^-^;)。
〉ヘンリク・イプセンの戯曲をアーサー・ミラーが英語文化圏の話に翻案した作品もありますね。僕はTV映画になったのを観ただけですが、失敗作ではなかったと思います。
それは「翻案」ですね。一つの物語を時代や場所を置き変えて作り直すのはよくあることです。
しかしシェイクスピアは「置き換え」なしでいろんな演じ方が出来るんです。「NINAGAWAマクベス」は日本ものの衣装で演じますが、固有名詞はそのままです。安土桃山時代を基調とした衣装でマクベスとダンカンとかバンクォーとかいう名前なんです。そしてバーナムの森は桜吹雪で、兵士が持つ木の枝は満開の桜。
〉〉しかしシェイクスピアはどんなに時代や国を越えた表現でも成り立つんです。それは時代や国にしばられない普遍的な人間の姿が、他の芝居よりもずっとはっきり表現されているからです。
〉うーん。シェイクスピアのどんな作品でもそうなんでしょうか? イタリアものは、ラテン的、それに近い雰囲気の設定に限定されると思うんですが。
もともとほとんどセットのない状態で行われた芝居ですから、場所を限定する雰囲気は薄いです。ラテン色があったとしても、それを強く出しても消してしまっても演じることができます。
シェイクスピアを見ると結局時代の雰囲気や背景を越えた人物像が印象に残ることが多いです。
リア王は口のうまい娘にコロっとだまされ、おべっかを言えない末の娘を誤解してしまいますが、そういうことは現代でも起こりうることです。二人の姉に締め出されて荒野をさまようリア王は、王らしく堂々と演じてもいいですが、私は「風よ吹け!雨よ降れ!」と叫んでいる様を見て「あほなおっちゃんやなあ〜、こんな娘にだまされて…」と思いました。
シェイクスピアは「翻案」しなくても、遠い国の遠い時代の出来事としてではなく、普遍的な人間の姿を見せてくれるんです。それをシンプルな衣装やセットで見せることも出来ますし、時代設定に沿ってリアルなセットを組んで当時の雰囲気たっぷりに演じることもできます。つまりそこが「なんでもあり」で上演できるということです。
〉シェイクスピアと音楽について書きたいことが少しあるので、それは音に関する掲示板の方に書こうと思います。
見ましたよー。またもや私にエサを撒いているような投稿。私、中世〜ルネサンスの音楽、好きなんです。
とりあえずこのへんにしておきます…。
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