[掲示板: 〈過去ログ〉SSS めざせ100万語 交流の広場 -- 最新メッセージID: 9999 // 時刻: 2024/11/26(10:53)]
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お名前: SSS学習法研究会 まりあ
投稿日: 2002/3/18(00:55)
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〉イギリス人の同僚に、地名や人名の読み方はどうしてわかるのと
〉たずねたところ、「適当に読む」という答えでした。特に、外国の
〉固有名詞は元の発音が全然わからないので、適当に読むしかない
〉という答えでした。
〉英語母語人が「適当に読む」と言うときには、おそらく無意識に
〉フォニックスのルールを適用するのでしょう。しかし、日本で
〉英語を学ぶ学習者の多くはフォニックスを知りませんので、
〉見たことがないつづりの語はまったく手も足も出ないですね。
お話を読むテクニックとしては、その綴り字から
連想できるカタカナ言葉か何かで自分なりに命名して、
登場人物を識別するのが手っ取り早いかと..
〉〉母音の発音の聞き分け・言い分けが必要なことは言い古されていますが、
〉〉子音についても同様の練習の必要があることが認識されていません。
〉おっしゃるとおりだと思いますが、シャドウイングでその練習が
〉できるとお考えでしょうか? 例えば、何の説明も聞かずに
〉teaの[t]が出せるようになるでしょうか?
ならないでしょう。子音の問題は正しい発音についての
理解度が低いのではないか?と言いたかっただけで、適切な
発音指導者が多くはいないだろういう論拠です。
〉私の生徒の教科書の教員用録音教材は1分150語前後のものが
〉ありましたので、中学生用の音声教材としては十分な速度だと
〉思いましたし、音の変化も自然に近いものでした。
教員用ですか、知りませんでした。これは一般人も入手可能
なのですか?
〉やはり、自己満足のカタカナ発音(母音は落ちているかもしれませんが)
〉にとどまる可能性は大きいと思いますね。それに、SSSで勧めている
〉シャドウイングはgraded readerのテープを使うことが多いのでは?
〉あれも読む速度は決して速くありませんよね。
SEGの通学講座になっている”めざせ100万語”では
190wpm程度のハリーポッターでやっています。
〉シャドウイングも個々の音の練習も、どちらか一方だけすればいい
〉というものではなく、両方必要だと思います。
両方出来れば理想的ですが、時間的な制約で片方しか出来
ない場合、私個人としてはシャドウィングを優先して考えたいと
思います。これはSSS英語研究会の見解ではなく、私の個人的な
英語観なのですが、私は英語を英米豪人の母語としてでなく、
言葉の異なる各国人の共用語、コミュニケーションツールとして
学ぼうと考えています。ですから正しい発音というのは、
「自分が相手を理解できる、相手に理解させられる」発音であれば、
帰国子女と間違えられるような発音である必要はないと思うのです。
そうなると個々の発音よりもスピードの方が大切なはずだ、と考えて
いますが、これには正直それ程理論的な裏付けかある訳ではあり
ません。私のバイリンガルの友人(小学校から大学までアメリカで
教育を受けた)が、”日本人の英語の何が聞き取りにくいって遅い
のよねぇ”と言うのを信用していることや、ちょっと旅行した
ニューヨークで聞いた英語が、それぞれお国訛がひどく、それでも
皆機関銃のようにしゃべり、ゆっくり話す人はいなかった、など
まったく世俗的なことを根拠としています。ですから私自身はそう
信じていますが、他人にこの考えを押しつけるつもりはありません。
〉指導者がいなければ、シャドウイングしか道はないと断定することも
〉ないのではありません。いい教本を手に入れて個別の音の練習もするし、
〉シャドウイングにも精を出すというのが、バランスのとれた練習法では
〉ないでしょうか。
英語の読み書きについては、同程度の知能レベル・学習環境・
意欲の生徒に一定の授業をすれば、大体同程度の効果が上がるけれども、
聞く話すの訓練の効果にはかなり個人差が出るように感じています
(私の娘と息子にはひどく落差が出ているため)。また私自身発音と
リスニング力は弱いです。この一文を書きながら、どうも聞く話すの
才能のある人は、聞く話すの練習が大事だと主張したがり、苦手な
人間はそれよりも語彙が大事だとか構文理解が大事だとか(私はそう
言いませんが)、背景文化の理解が大切だとか主張したがるのかも
知れないと思い始めました。
それで柴田先生と私の見解の相違は、私と先生の能力差から
発しているのではないかと思い当たりました
私は柴田先生のお考えは理想論として全く正しいと思いながら、
”1日は24時間だし、英語だけ出来るようになれば済む訳ではない
からそこまで時間がない”と感じます。それはどこかで自分の能力
から所用時間を計算しているのでしょう。そして柴田先生は又
”やれば出来る”と言う計算が成り立っているのではないでしょうか?
▲返答元
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