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403. Re: 【乱入】 「愛に関する書簡」:「愛は惜しみなく奪う」
お名前: マリコ
投稿日: 2003/12/8(20:13)
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"道化師さん、こんばんは。ジャンヌ・マリクです。
〉バ〉〉■このマリコ<−>バナナの対話にDKCが乱入しないことを
〉バ〉〉 激しく望む。
〉マ〉DKCさんは、ロマンティックな話は似合わないですものね。
〉君と僕の愛は、
〉無色の水に満たされた世界と言う名の水槽に注がれる二色の水のよう。
〉はじめ互いの違う色が、
〉その境界を見せながら
〉同じ波に揺られながら、
〉絡み合いながら、
〉次第にその境界を無くし、混ざり合い、
〉新たな色を生み出す。
〉これは、私が以前書いた稚拙なラブレターの一節です。
〉(キャーー、恥ずかしいぃーーー!)
Oh〜!C'mon!!って感じですね。
〉ねっ?私だって、ロマンティックが似合わない訳では無いと思うのですが・・・。
なかなか。よく似合ってますよ。
上手な詩です。
なんてロマンティックな人でしょうって思っちゃいます。
ただ、「絡み合い」というのがね。
道化師さんの深層心理があからさまで。
わたしなら、「融けあって」のほうが好き。
〉でも、肉体の同調は、所詮肉体の同調に過ぎません。
〉そして、別個の精神と肉体を持つ人間同士が、完全に同一化する事もありません。
〉求めても求めても、求め尽くせないもの、
〉奪っても奪っても、奪い尽くせないものが確実に、そこにはあります。
〉その「奪い尽くせない絶望」=「同一化出来ない絶望」こそが、
〉「愛の苦悩」であり、「愛」そのものだと思うのです。
〉だから、「愛の苦しみ」と言った時に、それは「愛しても、相手に愛されない苦しみ」と理解されがちですが、
〉お互いに愛し合っていても、必ず「愛の苦しみ」は存在するのです。
なるほど。
〉つまり、愛は実現不可能な事を可能にしようとするから「幻」なのであり、
〉例え「幻」であっても、それこそ「完全なる神」でない人間だからこそ、
〉己に欠落したものを追い求めずにはいられず、
〉相手に対して「惜しみなく奪う」ものだと思うのです。
〉と言う事で、何故私がマリコさんに恐れも知らず「嘘」と言ったかと言うと、
〉マ〉相手を選ぶのに、お金も愛もいらない。
〉マ〉ただ、その人を愛するだけでいい。その人の幸せを祈るだけでいい。
〉まさに「アガペー」です。
〉でも本来、アガペーとしての愛とは「神と人間との間」の愛ですから、
〉それを人と人の間に持って来ても、無理や破綻が生じます。
〉マ〉相手の愛やお金を期待していたら、いつか失望するでしょう。
〉マ〉お金は自分で稼げばいい。(ここの文は長くなったのでカットしました)
〉マ〉愛も自分が愛していればいい。
〉このままで済んでいれば、まさにアガペーなのですが、
〉マ〉でも、そうしていれば、相手が自分を愛してくれるようになるはず。
〉結局、相手に何かを求めてしまう訳です。
求めていなければ、与えられなくても失望しないでしょうし、自然に与えられることもあるから、意外なところで幸せを感じられるということを言いたかった。
与えられなければそれはそれでいい。
・・・と思いたい。
〉でも、マリコさんも必ずしも「愛すれば、いつか愛される」ようになるとは思えないので、
〉マ〉愛する気持ちの通じない人は、愛する価値がないので、やめちゃえばいい。
〉と、書かれた訳ですが、私がマリコさんに「嘘」と言ったのは、この一点です。
〉具体的な感情として、相手が「愛する価値が無ければ止められるのか?」と思うのです。
〉そして、「愛する価値がないので、やめちゃえ」る気持ちを「愛」と呼べるのか?と思うのです。
ほんとは、愛が欲しい。
アガペーの愛を理想としているけれど、ほんとうはすべて欲しい。
〉マ〉これを見せたら、道化師さんに「うそつきだ」と言われてしまった。
〉「うそつき」は言い過ぎですが、「嘘」ではあります。
嘘だと言われて、否定はできない。
〉マ〉無理してるととられるとは思うけど、そう考えているのは嘘じゃない。
〉確かにマリコさんは、意図して嘘はついていないと思います。
〉でも、「ネッシーを見た」と真剣に訴えているのと似ているかも知れない。
実現不可能だと思うから、愛は得られず苦しくなる。そしたら、やめちゃえばいいと、逃げ道を用意した。
なら、正直に聞こえる?
期待していなければ、「どうして愛してくれないの?」というような言い方で相手を恨まずにすむでしょ?
〉マ〉こういう大人の境地に達することができるといいなというところでしょうかね。
〉愛とは、「大人の境地」と言う限定が付けられるものなのでしょうか?
〉自分ではどうにもならない感情のほとばしりが「愛」なのではないか?
〉解っていても、時に犯罪にも走り、社会からもはじかれてしまう可能性をも持った感情なのではないか?
道化師さんの語っているのは、情熱的恋愛のことでしょう。
〉どうも、マリコさんの語る愛は、格好良すぎます。
〉(いつまでも、マリコさんは夢見る少女だからなのでしょうか?)
ちがう。夢見る少女ではありません。
わたしは、自分の中の激しい部分を直視したくないだけ。
だから、格好つけて自分の中の情熱的なジャンヌ・マリクを諭すかっこつきの『セカンド博士』でいたいのです。
〉やっぱり「愛を語るのには不似合い」だったかなぁ?
いやいや、とても似合ってますよ。
情熱的恋愛ということなら、賛成です。
同じ意見です。
愛とはたった一連の文章で語り尽くせる物ではないと思います。
対象によって、示せる愛の形は違うでしょう。
ある人とのかかわりのなかで、その人の「愛」の定義は生まれてくるものだと思います。
だから、それぞれの人が現在かかわっている人すべてに対して、それぞれの「愛」の定義がでてくるのではないでしょうか。
わたしが道化師さんに感じる「愛」はこういうもの、というように。
あぁ・・・どうして、こんなこと話してるんでしょうね。
挑戦を受けてたったということなんだけど・・・
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