[掲示板: 〈過去ログ〉英語以外で多読を楽しむ掲示板 -- 最新メッセージID: 3292 // 時刻: 2024/11/24(00:26)]
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お名前: Oh!Mah!Ah!
投稿日: 2007/5/6(20:37)
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たかぽんさん、こんばんは。
〉Oh!Mah!Ah!さん、こんばんは!
〉〉出不精の独り言です。ぶら下がらせてください。
〉どうぞどうぞ!
〉遊んでってくださいねー。
おぶを出されたら帰ることは知っています。(^^
〉〉昔大嫌いになった英語に背を向けて、荘子(確か)を読んでいたら、のっぺらぼうの混沌が可哀想だと、お節介たちが目鼻口といって穴を開けたら、混沌は死んでしまったという話。そうしてろうしたのと聞かれても、後はなし。
〉おっ! すごい偶然!
〉実はつい先日買った、湯川秀樹「本の中の世界」(岩波新書)という本の
〉最初のページにその話がありました!
〉「荘子」は面白いみたいですねー。
貝塚茂樹先生でしたか、湯川先生のお兄さんが中公文庫で出されていたのを読んだのだと思います。
〉〉Audio無料ファイルで
〉〉Give me liberty or .... 聞きました。こういうのが連中の頭の中でこだましているのでしょう。価値観は違うでしょうが、匹敵するのはあの政子が鎌倉恩顧の御家人相手にした演説くらいでしょうか。あの粛軍演説も、怒らせておしまいだった。
〉そうですねぇ。
〉日本では、「有名なスピーチ」というのが、すんごく少ないですよね。
〉有るには有るけど、戦後の教育で、伝承が断絶されてしまったかな?
〉日本は話芸がいろいろと発達したので、かえって、口伝えのものを
〉一段低いものとして軽視する傾向があるのかな? 書かれたもののほうがエラいと…。
〉戦前の人は(たぶん)常識的に、いろんなものを暗誦してたと思うんですよね。
〉そういうことが戦後はごくごく少なくなった。
〉古事記も日本書紀も、「非科学的」だとかって、ほとんど知らなくなった。
〉新かなづかいと新漢字で、昔のものが読みづらくなった。
〉日本人の精神性に恐れた欧米人が、日本文化を断絶せんとする陰謀だったか。(すぐ陰謀論に…)
〉うーむ。話がそれてるような気がしなくもない…
〉とりあえず、新旧かなづかいの問題では、福田恒存の「私の國語教室」(文春文庫)。
拾い読みしたのをかすかにたどると、日本語は、造語力が弱く漢字がないと体をなさないとかでしたっけ。お弟子さんの松原正教授の「夏目漱石」上中(下巻は未刊)は、このようなことを真剣に悩んだ漱石について書かれているというので買ったのでしたが、積読中です。松原正著「人生通になる読書術」にあったイプセンの野鴨の紹介に感激して、ノルウェー語は無理だとしても英語で読んでみたいなあと思ったのでした。
断絶の話ですが、幕府が瓦解し江戸がさびれたのを、海舟やらが、大久保利通に交渉して、大坂を首都にしようという予定を、明治天皇にちょっとお出かけいただくと言って、そのままだそうですが、どうなんですかね。ぞろぞろ連れて行かれて、大きな球根(株?)を移したという所でしょうが、神話、和歌、源氏物語の風景を離れて既に断絶しておりますよね。歴史を実感できない場所に。。。平安京復活(政府と巨人軍は東京に残ります)、神仏分離の廃止。。。田舎者が無茶言いますね。
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お名前: たかぽん
投稿日: 2007/5/10(00:46)
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Oh!Mah!Ah!さん、こんばんは!
〉〉〉出不精の独り言です。ぶら下がらせてください。
〉〉どうぞどうぞ!
〉〉遊んでってくださいねー。
〉おぶを出されたら帰ることは知っています。(^^
ざぶとんを半分外に出されるとか、ほうきを逆さに立てておくとか、いろいろあるようですね。(^^
〉〉〉昔大嫌いになった英語に背を向けて、荘子(確か)を読んでいたら、のっぺらぼうの混沌が可哀想だと、お節介たちが目鼻口といって穴を開けたら、混沌は死んでしまったという話。そうしてろうしたのと聞かれても、後はなし。
〉〉おっ! すごい偶然!
〉〉実はつい先日買った、湯川秀樹「本の中の世界」(岩波新書)という本の
〉〉最初のページにその話がありました!
〉〉「荘子」は面白いみたいですねー。
〉貝塚茂樹先生でしたか、湯川先生のお兄さんが中公文庫で出されていたのを読んだのだと思います。
おお。つながりますねー。
〉〉〉Audio無料ファイルで
〉〉〉Give me liberty or .... 聞きました。こういうのが連中の頭の中でこだましているのでしょう。価値観は違うでしょうが、匹敵するのはあの政子が鎌倉恩顧の御家人相手にした演説くらいでしょうか。あの粛軍演説も、怒らせておしまいだった。
〉〉そうですねぇ。
〉〉日本では、「有名なスピーチ」というのが、すんごく少ないですよね。
〉〉有るには有るけど、戦後の教育で、伝承が断絶されてしまったかな?
〉〉日本は話芸がいろいろと発達したので、かえって、口伝えのものを
〉〉一段低いものとして軽視する傾向があるのかな? 書かれたもののほうがエラいと…。
〉〉戦前の人は(たぶん)常識的に、いろんなものを暗誦してたと思うんですよね。
〉〉そういうことが戦後はごくごく少なくなった。
〉〉古事記も日本書紀も、「非科学的」だとかって、ほとんど知らなくなった。
〉〉新かなづかいと新漢字で、昔のものが読みづらくなった。
〉〉日本人の精神性に恐れた欧米人が、日本文化を断絶せんとする陰謀だったか。(すぐ陰謀論に…)
〉〉うーむ。話がそれてるような気がしなくもない…
〉〉とりあえず、新旧かなづかいの問題では、福田恒存の「私の國語教室」(文春文庫)。
〉拾い読みしたのをかすかにたどると、日本語は、造語力が弱く漢字がないと体をなさないとかでしたっけ。お弟子さんの松原正教授の「夏目漱石」上中(下巻は未刊)は、このようなことを真剣に悩んだ漱石について書かれているというので買ったのでしたが、積読中です。松原正著「人生通になる読書術」にあったイプセンの野鴨の紹介に感激して、ノルウェー語は無理だとしても英語で読んでみたいなあと思ったのでした。
そうだったのですか。
福田氏の本は、私もずいぶん前に、初めの3分の1しか読んでないので、
すっかり忘れております。。
松原正氏・・・知りませんでした。(知らないことだらけ…)
いま検索かけてみたら、菜根譚の本が引っ掛かってきて、おお!?と思ったら、
松原哲明さんという方の本でした。。 (「松原」と「正」で引っ掛かったのかな?)
何はともあれ、いま菜根譚も読んでいるので、そこはかとなきえにしを感じます。
実は大きい声では言えないのですが、中学生のころ、夏目漱石大好きでした。
特に、「文鳥」「夢十夜」などの短篇が。
夏目漱石も、作家生活最初と最後では、ずいぶんと違いますよね。
〉断絶の話ですが、幕府が瓦解し江戸がさびれたのを、海舟やらが、大久保利通に交渉して、大坂を首都にしようという予定を、明治天皇にちょっとお出かけいただくと言って、そのままだそうですが、どうなんですかね。ぞろぞろ連れて行かれて、大きな球根(株?)を移したという所でしょうが、神話、和歌、源氏物語の風景を離れて既に断絶しておりますよね。歴史を実感できない場所に。。。平安京復活(政府と巨人軍は東京に残ります)、神仏分離の廃止。。。田舎者が無茶言いますね。
明治天皇が東京へ行かれたのは、そういう事情だったんですかー。
知らなかったです…
まぁ、古くは奈良とか飛鳥とか難波とかに都があったといいますし、
元はと言えば九州だという話もありますし、その時代にいちばん都合のいいところに
都はあればいいのではー、と何となく思いますが。。
よく考えた末の意見ではありません。もうちょっと勉強してみます。
その勉強に役立つかどうかわからないのですが、いま、こんな本も読んでみています。
渡部昇一著「渡部昇一の古代史入門 頼山陽『日本楽府』を読む」(PHP)
わたし知識が無いので、新鮮で、とっても面白いです。
なんだかまとまりませんが・・・
ではではー!
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お名前: 杏樹
投稿日: 2007/5/10(01:07)
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Oh!Mah!Ah!さん、たかぽん、こんにちは。
〉〉〉〉出不精の独り言です。ぶら下がらせてください。
〉〉〉どうぞどうぞ!
〉〉〉遊んでってくださいねー。
〉〉おぶを出されたら帰ることは知っています。(^^
〉ざぶとんを半分外に出されるとか、ほうきを逆さに立てておくとか、いろいろあるようですね。(^^
「おぶ」ではなくて「ぶぶづけ」では?
「ぶぶづけでもお上がりやす」と言われたら「はよ帰れ」っていう意味のハズ。
〉〉断絶の話ですが、幕府が瓦解し江戸がさびれたのを、海舟やらが、大久保利通に交渉して、大坂を首都にしようという予定を、明治天皇にちょっとお出かけいただくと言って、そのままだそうですが、どうなんですかね。ぞろぞろ連れて行かれて、大きな球根(株?)を移したという所でしょうが、神話、和歌、源氏物語の風景を離れて既に断絶しておりますよね。歴史を実感できない場所に。。。平安京復活(政府と巨人軍は東京に残ります)、神仏分離の廃止。。。田舎者が無茶言いますね。
〉明治天皇が東京へ行かれたのは、そういう事情だったんですかー。
〉知らなかったです…
〉まぁ、古くは奈良とか飛鳥とか難波とかに都があったといいますし、
〉元はと言えば九州だという話もありますし、その時代にいちばん都合のいいところに
〉都はあればいいのではー、と何となく思いますが。。
京都の人が天皇は「ちょっと東の方へ行っておいやすだけ」「はよ帰ってきはったらええのに」というのはギャグではなくて、本当にそうだったんですね。
ところで、今奈良国立博物館では神仏習合展が開かれています。もともと神像を作らなかった日本人が神像を作るようになったのは仏像のまねだそうです。仏像の起源のひとつ、ガンダーラ仏はギリシアの神像に影響を受けて誕生したので、ギリシアの神像は仏像→日本の神様の像を作るのに影響を与えた…なんて考えると壮大な交流の道筋が浮かび上がってきます。
さて、昔は天皇が変わると新しい宮を作ったから、違う場所になったらしいです。
飛鳥とか難波とか、近江とか、そのころは単に天皇がいるところを「宮」と呼んだので、「都市」として計画して建設したのは平城京からなんじゃないでしょうか。…日本史はよく知らなくて聞きかじりが多いので、誰かフォローしてくれる人がいたらいいんですけど。
〉よく考えた末の意見ではありません。もうちょっと勉強してみます。
〉その勉強に役立つかどうかわからないのですが、いま、こんな本も読んでみています。
〉渡部昇一著「渡部昇一の古代史入門 頼山陽『日本楽府』を読む」(PHP)
〉わたし知識が無いので、新鮮で、とっても面白いです。
またおもしろいネタがあったら教えてください。
それでは…。
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お名前: たかぽん
投稿日: 2007/5/10(23:11)
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杏樹ぽん!
〉「おぶ」ではなくて「ぶぶづけ」では?
〉「ぶぶづけでもお上がりやす」と言われたら「はよ帰れ」っていう意味のハズ。
あー、そうなんかぁ。
わかってへんと、えらいことになるなぁ。
(っていうか、「おぶ」とか「ぶぶ」とかがようわからへん…)
〉〉〉断絶の話ですが、幕府が瓦解し江戸がさびれたのを、海舟やらが、大久保利通に交渉して、大坂を首都にしようという予定を、明治天皇にちょっとお出かけいただくと言って、そのままだそうですが、どうなんですかね。ぞろぞろ連れて行かれて、大きな球根(株?)を移したという所でしょうが、神話、和歌、源氏物語の風景を離れて既に断絶しておりますよね。歴史を実感できない場所に。。。平安京復活(政府と巨人軍は東京に残ります)、神仏分離の廃止。。。田舎者が無茶言いますね。
〉〉明治天皇が東京へ行かれたのは、そういう事情だったんですかー。
〉〉知らなかったです…
〉〉まぁ、古くは奈良とか飛鳥とか難波とかに都があったといいますし、
〉〉元はと言えば九州だという話もありますし、その時代にいちばん都合のいいところに
〉〉都はあればいいのではー、と何となく思いますが。。
〉京都の人が天皇は「ちょっと東の方へ行っておいやすだけ」「はよ帰ってきはったらええのに」というのはギャグではなくて、本当にそうだったんですね。
私なんか京都の端ーっこの出身ですけど、(ほんとはたかぽん星なんですけど、おいといて)
それでも、東京行きが「上り」なのは、なんかちょっと心外ですよね。これが血なのか…。
〉ところで、今奈良国立博物館では神仏習合展が開かれています。もともと神像を作らなかった日本人が神像を作るようになったのは仏像のまねだそうです。仏像の起源のひとつ、ガンダーラ仏はギリシアの神像に影響を受けて誕生したので、ギリシアの神像は仏像→日本の神様の像を作るのに影響を与えた…なんて考えると壮大な交流の道筋が浮かび上がってきます。
なるほどー!
そんな展覧会が開かれてるとはなんとタイムリー。
私は古代ギリシア出身でもあるので、見に行きたいと思います。
ところで、明治の廃仏毀釈運動ですけれど、地域によってその激しさはまちまちだそうですが、
薩摩では徹底的だったそうですね。範を示すということだったのでしょうか。
〉さて、昔は天皇が変わると新しい宮を作ったから、違う場所になったらしいです。
〉飛鳥とか難波とか、近江とか、そのころは単に天皇がいるところを「宮」と呼んだので、「都市」として計画して建設したのは平城京からなんじゃないでしょうか。…日本史はよく知らなくて聞きかじりが多いので、誰かフォローしてくれる人がいたらいいんですけど。
うーん。たぶん、藤原京が最初だと思います。持統天皇の。
持統天皇といへば、「春すぎて夏来たるらし白妙の衣ほしたり天の香具山」
〉〉よく考えた末の意見ではありません。もうちょっと勉強してみます。
〉〉その勉強に役立つかどうかわからないのですが、いま、こんな本も読んでみています。
〉〉渡部昇一著「渡部昇一の古代史入門 頼山陽『日本楽府』を読む」(PHP)
〉〉わたし知識が無いので、新鮮で、とっても面白いです。
〉またおもしろいネタがあったら教えてください。
この本の中で、天皇はもともと神道だけれども、仏教に「改宗」した天皇がいる。
それは用明天皇。しかし、その系統(聖徳太子を含む)からは、その後、
永久に皇位継承者が出ていない、という話がありました。
神道のいわば最高司祭であられる天皇と、仏教との関係を考えると、
いろいろ興味深そうですが、興味深そうだなと思ってるだけで、
まだ勉強が進んでいません。。
〉それでは…。
ではでは…。
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お名前: 杏樹
投稿日: 2007/5/11(23:42)
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たかぽん、ぽんぽこぽん!
〉〉「おぶ」ではなくて「ぶぶづけ」では?
〉〉「ぶぶづけでもお上がりやす」と言われたら「はよ帰れ」っていう意味のハズ。
〉あー、そうなんかぁ。
〉わかってへんと、えらいことになるなぁ。
〉(っていうか、「おぶ」とか「ぶぶ」とかがようわからへん…)
えーーー?!ホンマにわからへんのん?!わからんで話してたん?
「おぶ」いうたらお茶のことやないですか。この場合の「お」はていねいな「お」ね。「ぶぶづけ」は「お茶漬け」。
せやから、「おぶ」つまりお茶を出したら「はよ帰れ」っていう意味だったりしたら、お客さんにお茶が出されへんやん。
〉私なんか京都の端ーっこの出身ですけど、(ほんとはたかぽん星なんですけど、おいといて)
〉それでも、東京行きが「上り」なのは、なんかちょっと心外ですよね。これが血なのか…。
おお、やっぱり京都人の血が。
〉〉ところで、今奈良国立博物館では神仏習合展が開かれています。もともと神像を作らなかった日本人が神像を作るようになったのは仏像のまねだそうです。仏像の起源のひとつ、ガンダーラ仏はギリシアの神像に影響を受けて誕生したので、ギリシアの神像は仏像→日本の神様の像を作るのに影響を与えた…なんて考えると壮大な交流の道筋が浮かび上がってきます。
〉なるほどー!
〉そんな展覧会が開かれてるとはなんとタイムリー。
〉私は古代ギリシア出身でもあるので、見に行きたいと思います。
どうせたかぽんは「ふろ屋の釜」…湯ぅだけ→「言うだけ」
〉ところで、明治の廃仏毀釈運動ですけれど、地域によってその激しさはまちまちだそうですが、
〉薩摩では徹底的だったそうですね。範を示すということだったのでしょうか。
〉〉さて、昔は天皇が変わると新しい宮を作ったから、違う場所になったらしいです。
〉〉飛鳥とか難波とか、近江とか、そのころは単に天皇がいるところを「宮」と呼んだので、「都市」として計画して建設したのは平城京からなんじゃないでしょうか。…日本史はよく知らなくて聞きかじりが多いので、誰かフォローしてくれる人がいたらいいんですけど。
〉うーん。たぶん、藤原京が最初だと思います。持統天皇の。
〉持統天皇といへば、「春すぎて夏来たるらし白妙の衣ほしたり天の香具山」
あら、さいでっか〜。そういえば平城京以前にも碁盤目の都市プランがあったような…。
〉この本の中で、天皇はもともと神道だけれども、仏教に「改宗」した天皇がいる。
〉それは用明天皇。しかし、その系統(聖徳太子を含む)からは、その後、
〉永久に皇位継承者が出ていない、という話がありました。
〉神道のいわば最高司祭であられる天皇と、仏教との関係を考えると、
〉いろいろ興味深そうですが、興味深そうだなと思ってるだけで、
〉まだ勉強が進んでいません。。
その時代はまだ仏教は新興宗教で、神道と対立してたけど(用明天皇が死んでから蘇我・物部の戦いが始まる)、後になると神仏習合もあって、神も仏もいっしょくたに信仰するようになったんじゃないでしょうか。聖武天皇は都に東大寺と大仏を作って、全国に国分寺を作って仏教を広めましたし。
またもや聞きかじりでつっこんでしまいました。
それでは…。
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杏樹ぽん、ぽこぽこぽこ!
〉〉〉「おぶ」ではなくて「ぶぶづけ」では?
〉〉〉「ぶぶづけでもお上がりやす」と言われたら「はよ帰れ」っていう意味のハズ。
〉〉あー、そうなんかぁ。
〉〉わかってへんと、えらいことになるなぁ。
〉〉(っていうか、「おぶ」とか「ぶぶ」とかがようわからへん…)
〉えーーー?!ホンマにわからへんのん?!わからんで話してたん?
〉「おぶ」いうたらお茶のことやないですか。この場合の「お」はていねいな「お」ね。「ぶぶづけ」は「お茶漬け」。
〉せやから、「おぶ」つまりお茶を出したら「はよ帰れ」っていう意味だったりしたら、お客さんにお茶が出されへんやん。
なるほど! そう言われれば、そうですねー。
ほんだら、「ぶ」が「茶」なんどすな。
(なんで「ぶ」っていうんやろう? ぶんぶく茶釜の「ぶ」かな。
コントで、ブーーーッ!!て噴くからかな。今はそんなコント無いか。)
わたし、「ぶぶ」っていうのは、お茶漬けに浮いてる、あられのことやと思ってました…
〉〉私なんか京都の端ーっこの出身ですけど、(ほんとはたかぽん星なんですけど、おいといて)
〉〉それでも、東京行きが「上り」なのは、なんかちょっと心外ですよね。これが血なのか…。
〉おお、やっぱり京都人の血が。
いつも弱腰なのに、このときばかりは、そっちが上ってきいやー!!って気になりますねー。
〉〉〉ところで、今奈良国立博物館では神仏習合展が開かれています。もともと神像を作らなかった日本人が神像を作るようになったのは仏像のまねだそうです。仏像の起源のひとつ、ガンダーラ仏はギリシアの神像に影響を受けて誕生したので、ギリシアの神像は仏像→日本の神様の像を作るのに影響を与えた…なんて考えると壮大な交流の道筋が浮かび上がってきます。
〉〉なるほどー!
〉〉そんな展覧会が開かれてるとはなんとタイムリー。
〉〉私は古代ギリシア出身でもあるので、見に行きたいと思います。
〉どうせたかぽんは「ふろ屋の釜」…湯ぅだけ→「言うだけ」
すごく優秀な学生の成績表ですわ。優だけ。
〉〉ところで、明治の廃仏毀釈運動ですけれど、地域によってその激しさはまちまちだそうですが、
〉〉薩摩では徹底的だったそうですね。範を示すということだったのでしょうか。
〉〉〉さて、昔は天皇が変わると新しい宮を作ったから、違う場所になったらしいです。
〉〉〉飛鳥とか難波とか、近江とか、そのころは単に天皇がいるところを「宮」と呼んだので、「都市」として計画して建設したのは平城京からなんじゃないでしょうか。…日本史はよく知らなくて聞きかじりが多いので、誰かフォローしてくれる人がいたらいいんですけど。
〉〉うーん。たぶん、藤原京が最初だと思います。持統天皇の。
〉〉持統天皇といへば、「春すぎて夏来たるらし白妙の衣ほしたり天の香具山」
〉あら、さいでっか〜。そういえば平城京以前にも碁盤目の都市プランがあったような…。
あの、大和三山?に囲まれたあたりらしいですわ。今も痕跡はあるのでしょうかね。あるんでしょうね。
〉〉この本の中で、天皇はもともと神道だけれども、仏教に「改宗」した天皇がいる。
〉〉それは用明天皇。しかし、その系統(聖徳太子を含む)からは、その後、
〉〉永久に皇位継承者が出ていない、という話がありました。
〉〉神道のいわば最高司祭であられる天皇と、仏教との関係を考えると、
〉〉いろいろ興味深そうですが、興味深そうだなと思ってるだけで、
〉〉まだ勉強が進んでいません。。
〉その時代はまだ仏教は新興宗教で、神道と対立してたけど(用明天皇が死んでから蘇我・物部の戦いが始まる)、後になると神仏習合もあって、神も仏もいっしょくたに信仰するようになったんじゃないでしょうか。聖武天皇は都に東大寺と大仏を作って、全国に国分寺を作って仏教を広めましたし。
そうですねー。どうなんでしょうねー。いやはや。(わからなければごまかす…)
〉またもや聞きかじりでつっこんでしまいました。
〉それでは…。
聞きかじりでも、つっこみが的確なのがすごいですよね。いつもながら。さすが。
ではでは!
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お名前: Oh!Mah!Ah!
投稿日: 2007/5/12(10:44)
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たかぽんさん、杏樹さん、今晩は。Oh!Mah!Ah!です。
〉〉「おぶ」ではなくて「ぶぶづけ」では?
〉〉「ぶぶづけでもお上がりやす」と言われたら「はよ帰れ」っていう意味のハズ。
〉あー、そうなんかぁ。
〉わかってへんと、えらいことになるなぁ。
〉(っていうか、「おぶ」とか「ぶぶ」とかがようわからへん…)
ですか。(^^;
〉〉〉〉断絶の話ですが、幕府が瓦解し江戸がさびれたのを、海舟やらが、大久保利通に交渉して、大坂を首都にしようという予定を、明治天皇にちょっとお出かけいただくと言って、そのままだそうですが、どうなんですかね。ぞろぞろ連れて行かれて、大きな球根(株?)を移したという所でしょうが、神話、和歌、源氏物語の風景を離れて既に断絶しておりますよね。歴史を実感できない場所に。。。平安京復活(政府と巨人軍は東京に残ります)、神仏分離の廃止。。。田舎者が無茶言いますね。
〉〉〉明治天皇が東京へ行かれたのは、そういう事情だったんですかー。
〉〉〉知らなかったです…
〉〉〉まぁ、古くは奈良とか飛鳥とか難波とかに都があったといいますし、
〉〉〉元はと言えば九州だという話もありますし、その時代にいちばん都合のいいところに
〉〉〉都はあればいいのではー、と何となく思いますが。。
〉〉京都の人が天皇は「ちょっと東の方へ行っておいやすだけ」「はよ帰ってきはったらええのに」というのはギャグではなくて、本当にそうだったんですね。
〉私なんか京都の端ーっこの出身ですけど、(ほんとはたかぽん星なんですけど、おいといて)
〉それでも、東京行きが「上り」なのは、なんかちょっと心外ですよね。これが血なのか…。
遷都宣言はせんと、行幸ということだったのでは。
大坂に政府ができていたら、歴史は随分違ったのではないかと思われます。
〉〉ところで、今奈良国立博物館では神仏習合展が開かれています。もともと神像を作らなかった日本人が神像を作るようになったのは仏像のまねだそうです。仏像の起源のひとつ、ガンダーラ仏はギリシアの神像に影響を受けて誕生したので、ギリシアの神像は仏像→日本の神様の像を作るのに影響を与えた…なんて考えると壮大な交流の道筋が浮かび上がってきます。
〉なるほどー!
〉そんな展覧会が開かれてるとはなんとタイムリー。
〉私は古代ギリシア出身でもあるので、見に行きたいと思います。
〉ところで、明治の廃仏毀釈運動ですけれど、地域によってその激しさはまちまちだそうですが、薩摩では徹底的だったそうですね。範を示すということだったのでしょうか。
ずれますが、海音寺潮五郎に出ていたと思いますが、薩摩では、車座の上に火をつけた火縄銃をつるし、グルグル回転させて肝試しにしたそうです。世界に名だたるルシアンルーレットの向こうを張るサツマンルーレット?
〉〉さて、昔は天皇が変わると新しい宮を作ったから、違う場所になったらしいです。
〉〉飛鳥とか難波とか、近江とか、そのころは単に天皇がいるところを「宮」と呼んだので、「都市」として計画して建設したのは平城京からなんじゃないでしょうか。…日本史はよく知らなくて聞きかじりが多いので、誰かフォローしてくれる人がいたらいいんですけど。
〉うーん。たぶん、藤原京が最初だと思います。持統天皇の。
〉持統天皇といへば、「春すぎて夏来たるらし白妙の衣ほしたり天の香具山」
〉〉〉よく考えた末の意見ではありません。もうちょっと勉強してみます。
〉〉〉その勉強に役立つかどうかわからないのですが、いま、こんな本も読んでみています。
〉〉〉渡部昇一著「渡部昇一の古代史入門 頼山陽『日本楽府』を読む」(PHP)
〉〉〉わたし知識が無いので、新鮮で、とっても面白いです。
〉〉またおもしろいネタがあったら教えてください。
〉この本の中で、天皇はもともと神道だけれども、仏教に「改宗」した天皇がいる。
〉それは用明天皇。しかし、その系統(聖徳太子を含む)からは、その後、
〉永久に皇位継承者が出ていない、という話がありました。
〉神道のいわば最高司祭であられる天皇と、仏教との関係を考えると、
〉いろいろ興味深そうですが、興味深そうだなと思ってるだけで、
〉まだ勉強が進んでいません。。
たまたま太閤記の序文をみたら、江戸時代の作者が、聖徳太子が仏法を用いて治めようとしたのは間違っていた、世が乱れた。仕置きが肝心だとか論じていました。一方、文春か何かに、親鸞聖人の夢枕に聖徳太子が立って、妻帯してもいいんだよと仰せになったという逸話が紹介されていました。谷沢永一氏が、聖徳太子は架空の人物だと最近論じておられますが(拾い読み後、積読中、隋の煬帝に使いを出した話というのがそもそも怪しいとか何とかありました)、いろいろ論じ、引き合いに出したくなる存在なのでしょう
では〜
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お名前: たかぽん
投稿日: 2007/5/12(23:08)
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Oh!Mah!Ah!さん、こんばんは!
〉〉〉「おぶ」ではなくて「ぶぶづけ」では?
〉〉〉「ぶぶづけでもお上がりやす」と言われたら「はよ帰れ」っていう意味のハズ。
〉〉あー、そうなんかぁ。
〉〉わかってへんと、えらいことになるなぁ。
〉〉(っていうか、「おぶ」とか「ぶぶ」とかがようわからへん…)
〉ですか。(^^;
もうわかりました。忘れません。(^^
〉〉〉〉〉断絶の話ですが、幕府が瓦解し江戸がさびれたのを、海舟やらが、大久保利通に交渉して、大坂を首都にしようという予定を、明治天皇にちょっとお出かけいただくと言って、そのままだそうですが、どうなんですかね。ぞろぞろ連れて行かれて、大きな球根(株?)を移したという所でしょうが、神話、和歌、源氏物語の風景を離れて既に断絶しておりますよね。歴史を実感できない場所に。。。平安京復活(政府と巨人軍は東京に残ります)、神仏分離の廃止。。。田舎者が無茶言いますね。
〉〉〉〉明治天皇が東京へ行かれたのは、そういう事情だったんですかー。
〉〉〉〉知らなかったです…
〉〉〉〉まぁ、古くは奈良とか飛鳥とか難波とかに都があったといいますし、
〉〉〉〉元はと言えば九州だという話もありますし、その時代にいちばん都合のいいところに
〉〉〉〉都はあればいいのではー、と何となく思いますが。。
〉〉〉京都の人が天皇は「ちょっと東の方へ行っておいやすだけ」「はよ帰ってきはったらええのに」というのはギャグではなくて、本当にそうだったんですね。
〉〉私なんか京都の端ーっこの出身ですけど、(ほんとはたかぽん星なんですけど、おいといて)
〉〉それでも、東京行きが「上り」なのは、なんかちょっと心外ですよね。これが血なのか…。
〉遷都宣言はせんと、行幸ということだったのでは。
〉大坂に政府ができていたら、歴史は随分違ったのではないかと思われます。
正式な遷都宣言は遷都、留守にしはっただけなんですね。(セントルイス…)
大坂が首都になる予定だったんですねー。信じられんというか、想像できないですね。
ノックさんは前都知事になるのか・・・ (いや、そうでは…)
〉〉〉ところで、今奈良国立博物館では神仏習合展が開かれています。もともと神像を作らなかった日本人が神像を作るようになったのは仏像のまねだそうです。仏像の起源のひとつ、ガンダーラ仏はギリシアの神像に影響を受けて誕生したので、ギリシアの神像は仏像→日本の神様の像を作るのに影響を与えた…なんて考えると壮大な交流の道筋が浮かび上がってきます。
〉〉なるほどー!
〉〉そんな展覧会が開かれてるとはなんとタイムリー。
〉〉私は古代ギリシア出身でもあるので、見に行きたいと思います。
〉〉ところで、明治の廃仏毀釈運動ですけれど、地域によってその激しさはまちまちだそうですが、薩摩では徹底的だったそうですね。範を示すということだったのでしょうか。
〉ずれますが、海音寺潮五郎に出ていたと思いますが、薩摩では、車座の上に火をつけた火縄銃をつるし、グルグル回転させて肝試しにしたそうです。世界に名だたるルシアンルーレットの向こうを張るサツマンルーレット?
うー、それはすごい! さすが勇猛なお国柄。
というか、なぜそんなことを??
〉〉〉さて、昔は天皇が変わると新しい宮を作ったから、違う場所になったらしいです。
〉〉〉飛鳥とか難波とか、近江とか、そのころは単に天皇がいるところを「宮」と呼んだので、「都市」として計画して建設したのは平城京からなんじゃないでしょうか。…日本史はよく知らなくて聞きかじりが多いので、誰かフォローしてくれる人がいたらいいんですけど。
〉〉うーん。たぶん、藤原京が最初だと思います。持統天皇の。
〉〉持統天皇といへば、「春すぎて夏来たるらし白妙の衣ほしたり天の香具山」
〉〉〉〉よく考えた末の意見ではありません。もうちょっと勉強してみます。
〉〉〉〉その勉強に役立つかどうかわからないのですが、いま、こんな本も読んでみています。
〉〉〉〉渡部昇一著「渡部昇一の古代史入門 頼山陽『日本楽府』を読む」(PHP)
〉〉〉〉わたし知識が無いので、新鮮で、とっても面白いです。
〉〉〉またおもしろいネタがあったら教えてください。
〉〉この本の中で、天皇はもともと神道だけれども、仏教に「改宗」した天皇がいる。
〉〉それは用明天皇。しかし、その系統(聖徳太子を含む)からは、その後、
〉〉永久に皇位継承者が出ていない、という話がありました。
〉〉神道のいわば最高司祭であられる天皇と、仏教との関係を考えると、
〉〉いろいろ興味深そうですが、興味深そうだなと思ってるだけで、
〉〉まだ勉強が進んでいません。。
〉たまたま太閤記の序文をみたら、江戸時代の作者が、聖徳太子が仏法を用いて治めようとしたのは間違っていた、世が乱れた。仕置きが肝心だとか論じていました。一方、文春か何かに、親鸞聖人の夢枕に聖徳太子が立って、妻帯してもいいんだよと仰せになったという逸話が紹介されていました。谷沢永一氏が、聖徳太子は架空の人物だと最近論じておられますが(拾い読み後、積読中、隋の煬帝に使いを出した話というのがそもそも怪しいとか何とかありました)、いろいろ論じ、引き合いに出したくなる存在なのでしょう
〉では〜
そうですよねー。あんまり知りませんが、興味深い人物ですよね。
(仕置きが肝心とは、すごいですね)
日本に、どうして仏教を入れたかというのも、わかるようでいて、よくわからないところがあって、
古代史はおもしろいですよね。
聖徳太子は、とてもたくさんお子さんがいはりましたが、ことごとく蘇我入鹿?に滅ぼされています。
しかし、聖徳太子は蘇我入鹿だった、みたいな本もあって・・・
いやはや、おもしろいですよね。
ではでは〜
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お名前: 酒井@tadoku.org http://tadoku.org
投稿日: 2007/5/12(23:58)
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たかぽん、Oh!Mah!Ah!さん、みなさん、こんばんは!!!!
さかい@tadoku.orgです。
ず、ず、ずいーっと、いちばん奥までどーぞ!
〉Oh!Mah!Ah!さん、こんばんは!
〉〉〉〉「おぶ」ではなくて「ぶぶづけ」では?
〉〉〉〉「ぶぶづけでもお上がりやす」と言われたら「はよ帰れ」っていう意味のハズ。
〉〉〉あー、そうなんかぁ。
〉〉〉わかってへんと、えらいことになるなぁ。
〉〉〉(っていうか、「おぶ」とか「ぶぶ」とかがようわからへん…)
〉〉ですか。(^^;
〉もうわかりました。忘れません。(^^
〉〉〉〉〉〉断絶の話ですが、幕府が瓦解し江戸がさびれたのを、海舟やらが、大久保利通に交渉して、大坂を首都にしようという予定を、明治天皇にちょっとお出かけいただくと言って、そのままだそうですが、どうなんですかね。ぞろぞろ連れて行かれて、大きな球根(株?)を移したという所でしょうが、神話、和歌、源氏物語の風景を離れて既に断絶しておりますよね。歴史を実感できない場所に。。。平安京復活(政府と巨人軍は東京に残ります)、神仏分離の廃止。。。田舎者が無茶言いますね。
〉〉〉〉〉明治天皇が東京へ行かれたのは、そういう事情だったんですかー。
〉〉〉〉〉知らなかったです…
〉〉〉〉〉まぁ、古くは奈良とか飛鳥とか難波とかに都があったといいますし、
〉〉〉〉〉元はと言えば九州だという話もありますし、その時代にいちばん都合のいいところに
〉〉〉〉〉都はあればいいのではー、と何となく思いますが。。
〉〉〉〉京都の人が天皇は「ちょっと東の方へ行っておいやすだけ」「はよ帰ってきはったらええのに」というのはギャグではなくて、本当にそうだったんですね。
〉〉〉私なんか京都の端ーっこの出身ですけど、(ほんとはたかぽん星なんですけど、おいといて)
〉〉〉それでも、東京行きが「上り」なのは、なんかちょっと心外ですよね。これが血なのか…。
〉〉遷都宣言はせんと、行幸ということだったのでは。
〉〉大坂に政府ができていたら、歴史は随分違ったのではないかと思われます。
〉正式な遷都宣言は遷都、留守にしはっただけなんですね。(セントルイス…)
〉大坂が首都になる予定だったんですねー。信じられんというか、想像できないですね。
〉ノックさんは前都知事になるのか・・・ (いや、そうでは…)
〉〉〉〉ところで、今奈良国立博物館では神仏習合展が開かれています。もともと神像を作らなかった日本人が神像を作るようになったのは仏像のまねだそうです。仏像の起源のひとつ、ガンダーラ仏はギリシアの神像に影響を受けて誕生したので、ギリシアの神像は仏像→日本の神様の像を作るのに影響を与えた…なんて考えると壮大な交流の道筋が浮かび上がってきます。
〉〉〉なるほどー!
〉〉〉そんな展覧会が開かれてるとはなんとタイムリー。
〉〉〉私は古代ギリシア出身でもあるので、見に行きたいと思います。
〉〉〉ところで、明治の廃仏毀釈運動ですけれど、地域によってその激しさはまちまちだそうですが、薩摩では徹底的だったそうですね。範を示すということだったのでしょうか。
〉〉ずれますが、海音寺潮五郎に出ていたと思いますが、薩摩では、車座の上に火をつけた火縄銃をつるし、グルグル回転させて肝試しにしたそうです。世界に名だたるルシアンルーレットの向こうを張るサツマンルーレット?
〉うー、それはすごい! さすが勇猛なお国柄。
〉というか、なぜそんなことを??
〉〉〉〉さて、昔は天皇が変わると新しい宮を作ったから、違う場所になったらしいです。
〉〉〉〉飛鳥とか難波とか、近江とか、そのころは単に天皇がいるところを「宮」と呼んだので、「都市」として計画して建設したのは平城京からなんじゃないでしょうか。…日本史はよく知らなくて聞きかじりが多いので、誰かフォローしてくれる人がいたらいいんですけど。
〉〉〉うーん。たぶん、藤原京が最初だと思います。持統天皇の。
〉〉〉持統天皇といへば、「春すぎて夏来たるらし白妙の衣ほしたり天の香具山」
〉〉〉〉〉よく考えた末の意見ではありません。もうちょっと勉強してみます。
〉〉〉〉〉その勉強に役立つかどうかわからないのですが、いま、こんな本も読んでみています。
〉〉〉〉〉渡部昇一著「渡部昇一の古代史入門 頼山陽『日本楽府』を読む」(PHP)
〉〉〉〉〉わたし知識が無いので、新鮮で、とっても面白いです。
〉〉〉〉またおもしろいネタがあったら教えてください。
〉〉〉この本の中で、天皇はもともと神道だけれども、仏教に「改宗」した天皇がいる。
〉〉〉それは用明天皇。しかし、その系統(聖徳太子を含む)からは、その後、
〉〉〉永久に皇位継承者が出ていない、という話がありました。
〉〉〉神道のいわば最高司祭であられる天皇と、仏教との関係を考えると、
〉〉〉いろいろ興味深そうですが、興味深そうだなと思ってるだけで、
〉〉〉まだ勉強が進んでいません。。
〉〉たまたま太閤記の序文をみたら、江戸時代の作者が、聖徳太子が仏法を用いて治めようとしたのは間違っていた、世が乱れた。仕置きが肝心だとか論じていました。一方、文春か何かに、親鸞聖人の夢枕に聖徳太子が立って、妻帯してもいいんだよと仰せになったという逸話が紹介されていました。谷沢永一氏が、聖徳太子は架空の人物だと最近論じておられますが(拾い読み後、積読中、隋の煬帝に使いを出した話というのがそもそも怪しいとか何とかありました)、いろいろ論じ、引き合いに出したくなる存在なのでしょう
〉〉では〜
〉そうですよねー。あんまり知りませんが、興味深い人物ですよね。
〉(仕置きが肝心とは、すごいですね)
〉日本に、どうして仏教を入れたかというのも、わかるようでいて、よくわからないところがあって、
〉古代史はおもしろいですよね。
〉聖徳太子は、とてもたくさんお子さんがいはりましたが、ことごとく蘇我入鹿?に滅ぼされています。
〉しかし、聖徳太子は蘇我入鹿だった、みたいな本もあって・・・
〉いやはや、おもしろいですよね。
えー、まさか・・・!
実はぼくは「なんとかの十字架」の大ファンで、
3度も読んでるんです。その架空の人物って言う話も、
蘇我入鹿だったっていう話もおもしろそー!
本の題名を教えてくださいな。多読します。
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お名前: 杏樹
投稿日: 2007/5/13(00:29)
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酒井せんせい、こんにちは
〉実はぼくは「なんとかの十字架」の大ファンで、
〉3度も読んでるんです。その架空の人物って言う話も、
〉蘇我入鹿だったっていう話もおもしろそー!
大ファンだったらタイトルぐらい覚えておきましょうね。
梅原猛の「隠された十字架」ですよ。法隆寺は聖徳太子の怨霊を鎮めるためのお寺だったという…。そして蘇我入鹿が聖徳太子の子孫を滅ぼしたというのは濡れ衣だという…。
山岸凉子の「日出処の天子」では、聖徳太子の息子、山背大兄王の実の父親は蘇我毛人です。つまり蘇我入鹿と山背大兄王は異母兄弟だったりします。
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かぽ〜ん、じゅぽ〜ん、(敬称略) こんにちは。
〉〉実はぼくは「なんとかの十字架」の大ファンで、
〉〉3度も読んでるんです。その架空の人物って言う話も、
〉〉蘇我入鹿だったっていう話もおもしろそー!
〉大ファンだったらタイトルぐらい覚えておきましょうね。
〉梅原猛の「隠された十字架」ですよ。法隆寺は聖徳太子の怨霊を鎮めるためのお寺だったという…。そして蘇我入鹿が聖徳太子の子孫を滅ぼしたというのは濡れ衣だという…。
〉山岸凉子の「日出処の天子」では、聖徳太子の息子、山背大兄王の実の父親は蘇我毛人です。つまり蘇我入鹿と山背大兄王は異母兄弟だったりします。
なんやかやいうて、杏樹さんも日本史詳しいですよねー。
蘇我入鹿だったっていう本は、その名もズバリ
「聖徳太子は蘇我入鹿である」関 裕二 著
[url:http://www.amazon.co.jp/dp/4584391114/sss-22]
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お名前: Oh!Mah!Ah!
投稿日: 2007/5/13(11:00)
------------------------------
酒井@tadoku.orgさん、たかぽん、杏樹さん、こんにちは。
〉〉〉ずれますが、海音寺潮五郎に出ていたと思いますが、薩摩では、車座の上に火をつけた火縄銃をつるし、グルグル回転させて肝試しにしたそうです。世界に名だたるルシアンルーレットの向こうを張るサツマンルーレット?
〉〉うー、それはすごい! さすが勇猛なお国柄。
〉〉というか、なぜそんなことを??
?@@? そんな時代にそんな家に生まれなくて良かったというのみです
〉〉〉たまたま太閤記の序文をみたら、江戸時代の作者が、聖徳太子が仏法を用いて治めようとしたのは間違っていた、世が乱れた。仕置きが肝心だとか論じていました。一方、文春か何かに、親鸞聖人の夢枕に聖徳太子が立って、妻帯してもいいんだよと仰せになったという逸話が紹介されていました。谷沢永一氏が、聖徳太子は架空の人物だと最近論じておられますが(拾い読み後、積読中、隋の煬帝に使いを出した話というのがそもそも怪しいとか何とかありました)、いろいろ論じ、引き合いに出したくなる存在なのでしょう
〉〉そうですよねー。あんまり知りませんが、興味深い人物ですよね。
〉〉(仕置きが肝心とは、すごいですね)
万人に教育が普及できなかった、捜査手段も強力でなかった時代では、厳罰主義しかなかったのに、ということでしょうか。
〉〉日本に、どうして仏教を入れたかというのも、わかるようでいて、よくわからないところがあって、
〉〉古代史はおもしろいですよね。
〉〉聖徳太子は、とてもたくさんお子さんがいはりましたが、ことごとく蘇我入鹿?に滅ぼされています。
〉〉しかし、聖徳太子は蘇我入鹿だった、みたいな本もあって・・・
〉〉いやはや、おもしろいですよね。
〉えー、まさか・・・!
〉実はぼくは「なんとかの十字架」の大ファンで、
〉3度も読んでるんです。その架空の人物って言う話も、
〉蘇我入鹿だったっていう話もおもしろそー!
〉本の題名を教えてくださいな。多読します。
私のは
聖徳太子はいなかった (新潮新書 2004.4) 谷沢永一
立証本で積読中です。実は読む気はなく。
また蛇足ですが、楠木正成も、聖徳太子の憲法、山背大兄王子が戦を起こせば民が迷惑すると考えて斑鳩寺で、一族自殺した逸話を聞いたことがあるのではないかなあとふと思いました。正成は戦う人に違いないですが。調べてみれば、正成幼名多聞丸、寺に通って学問を学ぶ。多聞(たもん)とは仏の教えをたくさん聞く、多聞天とは仏法の守護神毘沙門天の訳名、あの七生(しちしょう)も、仏教用語。後醍醐天皇(だめな人だったらしい)というより聖徳太子に忠義を尽くしたのではないかなあと。飛躍要論証。もう止めます。
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お名前: Oh!Mah!Ah!
投稿日: 2007/5/13(14:25)
------------------------------
湊川神社には、正成が建武の中興達成時に写経したという法華経奥書が現存しているそうです。太子が著したという法華経義疏、太子の墓所は千早赤坂村からそう遠くない。
後世出て来た顕彰者たち(水戸光圀等)、どうも自説自分に都合のいいことしか目に入れず(見えない)、空理空論に利用したのが真実?
以上で本当に暴走終わります。御免なさい。
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お名前: 酒井@快読100万語!
投稿日: 2007/5/13(23:45)
------------------------------
Oh!Mah!Ah!さん、みなさん、こんばんは!
さかい@tadoku.orgです。
〉〉本の題名を教えてくださいな。多読します。
〉私のは
〉聖徳太子はいなかった (新潮新書 2004.4) 谷沢永一
〉 立証本で積読中です。実は読む気はなく。
ありがとうございます!
〉また蛇足ですが、楠木正成も、聖徳太子の憲法、山背大兄王子が戦を起こせば民が迷惑すると考えて斑鳩寺で、一族自殺した逸話を聞いたことがあるのではないかなあとふと思いました。正成は戦う人に違いないですが。調べてみれば、正成幼名多聞丸、寺に通って学問を学ぶ。多聞(たもん)とは仏の教えをたくさん聞く、多聞天とは仏法の守護神毘沙門天の訳名、あの七生(しちしょう)も、仏教用語。後醍醐天皇(だめな人だったらしい)というより聖徳太子に忠義を尽くしたのではないかなあと。飛躍要論証。もう止めます。
飛躍大歓迎です。
ぼくは歴史ミステリーというか、歴史そのものの推理は大好きです。
「なんとかの十字架」に続く本もほとんど読んでいると思います。
「水底の歌」もおもしろかった!
どうせ、本当のことなどわからないのだから、
いっそおもしろい飛躍たっぷりのどきどきするような歴史推理を
読みたいです。
英語だと有名な The Daughter of Time なんて、古典的な
おもしろさです。なにしろ大けがをして入院した探偵が
退屈紛れにベッドの上でリチャードIII世の悪評について
真偽を推理をする!
ここからRichard III協会なんて会のことも知りました。
リチャードIII世は悪人じゃなかったと信じる人たちの
集まりでなかなか熱心なようです。
それから、アーサー王物語に出てくるMerlinは実在したという本も
かなりいい加減ですが好きです。
どなたか興味のある人にはお貸ししますよ。
YLは・・・? 8か9くらい?
Oh!Mah!Ah!さん、みなさん、どんどん飛躍をお願いします!
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お名前: ako
投稿日: 2007/5/14(01:06)
------------------------------
酒井@快読先生、成田講演、お疲れです。予定進行時間どおり進みましたか(笑)
突然こんばんは!akoでっす。
〉どうせ、本当のことなどわからないのだから、
〉いっそおもしろい飛躍たっぷりのどきどきするような歴史推理を
〉読みたいです。
大賛成〜。
歴史の真実って、その時その時の時の権力者が自分に都合のいいスジガキを権威あるものにすること多々ですもの〜!
有名人の評判もコロコロ変わりますから、どうせ変わるなら、
みんなマンガにしてコロコロコミックヒストリー。
〉英語だと有名な The Daughter of Time なんて、古典的な
〉おもしろさです。なにしろ大けがをして入院した探偵が
〉退屈紛れにベッドの上でリチャードIII世の悪評について
〉真偽を推理をする!
うわーーーー、時の娘!! (ですよね? たぶん。。)
いったい何歳の頃に出あった本か、前世の記憶が甦ります〜。。。。
〉ここからRichard III協会なんて会のことも知りました。
〉リチャードIII世は悪人じゃなかったと信じる人たちの
〉集まりでなかなか熱心なようです。
かなり面白そうー。(ここまで過去の人物なら安心(笑))
ラスプーチンも悪人じゃなかったそうだし。ちょっと最近過ぎですが。
〉それから、アーサー王物語に出てくるMerlinは実在したという本も
〉かなりいい加減ですが好きです。
うわ〜、昨日か一昨日、日比谷図書館でMerlinのことが書いてある本にバッタリ出会い(もちろん洋書!!←ここ、強調!)、キリン読みで数ページだけで「投げ」でしたが、読んでみたところでした。。。Merlin様に呼ばれているーー。
〉どなたか興味のある人にはお貸ししますよ。
興味ありありですーーー 借りたいーーー
〉YLは・・・? 8か9くらい?
え。
そうでしたの。。。
書棚で待っていていただくしかないか。。。
とりあえず借りたい候補生の10番目くらいに入れてさせて下さい。
〉Oh!Mah!Ah!さん、みなさん、どんどん飛躍をお願いします!
掲示板の怪人Oh!Mah!Ah!さん、暴走だなんて、すっごく楽しませて頂いておりますよ。
近所で楠正成の兜のミニチュアも売ってます(笑)
Oh!Mah!Ah!さん、酒井先生、
楽しい暴走、飛躍、ありがとうございました!
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お名前: Oh!Mah!Ah!
投稿日: 2007/5/14(08:32)
------------------------------
AKOさん、おはようございます。Oh!Mah!Ah!です。
優しいお言葉ありがとうございます。
「嗚呼忠臣楠子之墓」は「嗚呼忠言楠子之墓」と書いても良かった。
こちらこそ、応酬ラリー楽しく眺めさせていただいています。
では〜
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お名前: Oh!Mah!Ah!
投稿日: 2007/5/14(08:14)
------------------------------
酒井@快読100万語!先生おはようございます。
〉飛躍大歓迎です。
〉ぼくは歴史ミステリーというか、歴史そのものの推理は大好きです。
〉「なんとかの十字架」に続く本もほとんど読んでいると思います。
〉「水底の歌」もおもしろかった!
水底の歌、読んではいませんが、島根県益田市の柿本人麻呂の人麻呂神社、雰囲気があります。法隆寺の百済観音も、表現のしかたが分からないのですが、良かったです。
〉どうせ、本当のことなどわからないのだから、
〉いっそおもしろい飛躍たっぷりのどきどきするような歴史推理を
〉読みたいです。
〉英語だと有名な The Daughter of Time なんて、古典的な
〉おもしろさです。なにしろ大けがをして入院した探偵が
〉退屈紛れにベッドの上でリチャードIII世の悪評について
〉真偽を推理をする!
〉ここからRichard III協会なんて会のことも知りました。
〉リチャードIII世は悪人じゃなかったと信じる人たちの
〉集まりでなかなか熱心なようです。
これは面白いでしょうね。
〉それから、アーサー王物語に出てくるMerlinは実在したという本も
〉かなりいい加減ですが好きです。
〉どなたか興味のある人にはお貸ししますよ。
〉YLは・・・? 8か9くらい?
〉Oh!Mah!Ah!さん、みなさん、どんどん飛躍をお願いします!
あははは(^^;
それと授業は、多読>>ZZZ>Betwenn the Lions.(一人だけ) です。まあ何とかかなという所です。
------------------------------
Oh!Mah!Ah!さん、みなさん、こんばんは!
大胆な飛躍・推理は楽しいです!!
〉〉〉〉ずれますが、海音寺潮五郎に出ていたと思いますが、薩摩では、車座の上に火をつけた火縄銃をつるし、グルグル回転させて肝試しにしたそうです。世界に名だたるルシアンルーレットの向こうを張るサツマンルーレット?
〉〉〉うー、それはすごい! さすが勇猛なお国柄。
〉〉〉というか、なぜそんなことを??
〉?@@? そんな時代にそんな家に生まれなくて良かったというのみです
肝試しっていうか、運試しですね(^^;
〉〉〉〉たまたま太閤記の序文をみたら、江戸時代の作者が、聖徳太子が仏法を用いて治めようとしたのは間違っていた、世が乱れた。仕置きが肝心だとか論じていました。一方、文春か何かに、親鸞聖人の夢枕に聖徳太子が立って、妻帯してもいいんだよと仰せになったという逸話が紹介されていました。谷沢永一氏が、聖徳太子は架空の人物だと最近論じておられますが(拾い読み後、積読中、隋の煬帝に使いを出した話というのがそもそも怪しいとか何とかありました)、いろいろ論じ、引き合いに出したくなる存在なのでしょう
〉〉〉そうですよねー。あんまり知りませんが、興味深い人物ですよね。
〉〉〉(仕置きが肝心とは、すごいですね)
〉万人に教育が普及できなかった、捜査手段も強力でなかった時代では、厳罰主義しかなかったのに、ということでしょうか。
そういうことなんですか。
〉〉〉日本に、どうして仏教を入れたかというのも、わかるようでいて、よくわからないところがあって、
〉〉〉古代史はおもしろいですよね。
〉〉〉聖徳太子は、とてもたくさんお子さんがいはりましたが、ことごとく蘇我入鹿?に滅ぼされています。
〉〉〉しかし、聖徳太子は蘇我入鹿だった、みたいな本もあって・・・
〉〉〉いやはや、おもしろいですよね。
〉〉えー、まさか・・・!
〉〉実はぼくは「なんとかの十字架」の大ファンで、
〉〉3度も読んでるんです。その架空の人物って言う話も、
〉〉蘇我入鹿だったっていう話もおもしろそー!
〉〉本の題名を教えてくださいな。多読します。
〉私のは
〉聖徳太子はいなかった (新潮新書 2004.4) 谷沢永一
〉 立証本で積読中です。実は読む気はなく。
〉また蛇足ですが、楠木正成も、聖徳太子の憲法、山背大兄王子が戦を起こせば民が迷惑すると考えて斑鳩寺で、一族自殺した逸話を聞いたことがあるのではないかなあとふと思いました。正成は戦う人に違いないですが。調べてみれば、正成幼名多聞丸、寺に通って学問を学ぶ。多聞(たもん)とは仏の教えをたくさん聞く、多聞天とは仏法の守護神毘沙門天の訳名、あの七生(しちしょう)も、仏教用語。後醍醐天皇(だめな人だったらしい)というより聖徳太子に忠義を尽くしたのではないかなあと。飛躍要論証。もう止めます。
なるほど! 可能性ありますね!
(楠木正成のこと、よく知らないんですが…)
〉湊川神社には、正成が建武の中興達成時に写経したという法華経奥書が現存しているそうです。太子が著したという法華経義疏、太子の墓所は千早赤坂村からそう遠くない。
〉後世出て来た顕彰者たち(水戸光圀等)、どうも自説自分に都合のいいことしか目に入れず(見えない)、空理空論に利用したのが真実?
〉以上で本当に暴走終わります。御免なさい。
うーん。墓所が千早赤坂村からそう遠くないというので、嫌疑濃厚ですね。(嫌疑?)
それにしても、お詳しいですねー。すごい…
とりあえず、いちど出雲にうかがって、勉強しなおしたいと思います。
いろいろありがとうございました!
ではでは!
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お名前: Oh!Mah!Ah!
投稿日: 2007/5/26(21:10)
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〉〉〉昔大嫌いになった英語に背を向けて、荘子(確か)を読んでいたら、のっぺらぼうの混沌が可哀想だと、お節介たちが目鼻口といって穴を開けたら、混沌は死んでしまったという話。そうしてろうしたのと聞かれても、後はなし。
〉〉おっ! すごい偶然!
〉〉実はつい先日買った、湯川秀樹「本の中の世界」(岩波新書)という本の
〉〉最初のページにその話がありました!
〉〉「荘子」は面白いみたいですねー。
〉貝塚茂樹先生でしたか、湯川先生のお兄さんが中公文庫で出されていたのを読んだのだと思います。
杏樹さんが別のところで書かれていますが、貝塚先生ではなく小川先生(御兄弟)です。横着していいかげんな記憶で書きました。失礼しました。