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お名前: Oh!Mah!Ah!
投稿日: 2007/5/12(10:44)
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たかぽんさん、杏樹さん、今晩は。Oh!Mah!Ah!です。
〉〉「おぶ」ではなくて「ぶぶづけ」では?
〉〉「ぶぶづけでもお上がりやす」と言われたら「はよ帰れ」っていう意味のハズ。
〉あー、そうなんかぁ。
〉わかってへんと、えらいことになるなぁ。
〉(っていうか、「おぶ」とか「ぶぶ」とかがようわからへん…)
ですか。(^^;
〉〉〉〉断絶の話ですが、幕府が瓦解し江戸がさびれたのを、海舟やらが、大久保利通に交渉して、大坂を首都にしようという予定を、明治天皇にちょっとお出かけいただくと言って、そのままだそうですが、どうなんですかね。ぞろぞろ連れて行かれて、大きな球根(株?)を移したという所でしょうが、神話、和歌、源氏物語の風景を離れて既に断絶しておりますよね。歴史を実感できない場所に。。。平安京復活(政府と巨人軍は東京に残ります)、神仏分離の廃止。。。田舎者が無茶言いますね。
〉〉〉明治天皇が東京へ行かれたのは、そういう事情だったんですかー。
〉〉〉知らなかったです…
〉〉〉まぁ、古くは奈良とか飛鳥とか難波とかに都があったといいますし、
〉〉〉元はと言えば九州だという話もありますし、その時代にいちばん都合のいいところに
〉〉〉都はあればいいのではー、と何となく思いますが。。
〉〉京都の人が天皇は「ちょっと東の方へ行っておいやすだけ」「はよ帰ってきはったらええのに」というのはギャグではなくて、本当にそうだったんですね。
〉私なんか京都の端ーっこの出身ですけど、(ほんとはたかぽん星なんですけど、おいといて)
〉それでも、東京行きが「上り」なのは、なんかちょっと心外ですよね。これが血なのか…。
遷都宣言はせんと、行幸ということだったのでは。
大坂に政府ができていたら、歴史は随分違ったのではないかと思われます。
〉〉ところで、今奈良国立博物館では神仏習合展が開かれています。もともと神像を作らなかった日本人が神像を作るようになったのは仏像のまねだそうです。仏像の起源のひとつ、ガンダーラ仏はギリシアの神像に影響を受けて誕生したので、ギリシアの神像は仏像→日本の神様の像を作るのに影響を与えた…なんて考えると壮大な交流の道筋が浮かび上がってきます。
〉なるほどー!
〉そんな展覧会が開かれてるとはなんとタイムリー。
〉私は古代ギリシア出身でもあるので、見に行きたいと思います。
〉ところで、明治の廃仏毀釈運動ですけれど、地域によってその激しさはまちまちだそうですが、薩摩では徹底的だったそうですね。範を示すということだったのでしょうか。
ずれますが、海音寺潮五郎に出ていたと思いますが、薩摩では、車座の上に火をつけた火縄銃をつるし、グルグル回転させて肝試しにしたそうです。世界に名だたるルシアンルーレットの向こうを張るサツマンルーレット?
〉〉さて、昔は天皇が変わると新しい宮を作ったから、違う場所になったらしいです。
〉〉飛鳥とか難波とか、近江とか、そのころは単に天皇がいるところを「宮」と呼んだので、「都市」として計画して建設したのは平城京からなんじゃないでしょうか。…日本史はよく知らなくて聞きかじりが多いので、誰かフォローしてくれる人がいたらいいんですけど。
〉うーん。たぶん、藤原京が最初だと思います。持統天皇の。
〉持統天皇といへば、「春すぎて夏来たるらし白妙の衣ほしたり天の香具山」
〉〉〉よく考えた末の意見ではありません。もうちょっと勉強してみます。
〉〉〉その勉強に役立つかどうかわからないのですが、いま、こんな本も読んでみています。
〉〉〉渡部昇一著「渡部昇一の古代史入門 頼山陽『日本楽府』を読む」(PHP)
〉〉〉わたし知識が無いので、新鮮で、とっても面白いです。
〉〉またおもしろいネタがあったら教えてください。
〉この本の中で、天皇はもともと神道だけれども、仏教に「改宗」した天皇がいる。
〉それは用明天皇。しかし、その系統(聖徳太子を含む)からは、その後、
〉永久に皇位継承者が出ていない、という話がありました。
〉神道のいわば最高司祭であられる天皇と、仏教との関係を考えると、
〉いろいろ興味深そうですが、興味深そうだなと思ってるだけで、
〉まだ勉強が進んでいません。。
たまたま太閤記の序文をみたら、江戸時代の作者が、聖徳太子が仏法を用いて治めようとしたのは間違っていた、世が乱れた。仕置きが肝心だとか論じていました。一方、文春か何かに、親鸞聖人の夢枕に聖徳太子が立って、妻帯してもいいんだよと仰せになったという逸話が紹介されていました。谷沢永一氏が、聖徳太子は架空の人物だと最近論じておられますが(拾い読み後、積読中、隋の煬帝に使いを出した話というのがそもそも怪しいとか何とかありました)、いろいろ論じ、引き合いに出したくなる存在なのでしょう
では〜
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