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お名前: 杏樹
投稿日: 2007/5/11(23:42)
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たかぽん、ぽんぽこぽん!
〉〉「おぶ」ではなくて「ぶぶづけ」では?
〉〉「ぶぶづけでもお上がりやす」と言われたら「はよ帰れ」っていう意味のハズ。
〉あー、そうなんかぁ。
〉わかってへんと、えらいことになるなぁ。
〉(っていうか、「おぶ」とか「ぶぶ」とかがようわからへん…)
えーーー?!ホンマにわからへんのん?!わからんで話してたん?
「おぶ」いうたらお茶のことやないですか。この場合の「お」はていねいな「お」ね。「ぶぶづけ」は「お茶漬け」。
せやから、「おぶ」つまりお茶を出したら「はよ帰れ」っていう意味だったりしたら、お客さんにお茶が出されへんやん。
〉私なんか京都の端ーっこの出身ですけど、(ほんとはたかぽん星なんですけど、おいといて)
〉それでも、東京行きが「上り」なのは、なんかちょっと心外ですよね。これが血なのか…。
おお、やっぱり京都人の血が。
〉〉ところで、今奈良国立博物館では神仏習合展が開かれています。もともと神像を作らなかった日本人が神像を作るようになったのは仏像のまねだそうです。仏像の起源のひとつ、ガンダーラ仏はギリシアの神像に影響を受けて誕生したので、ギリシアの神像は仏像→日本の神様の像を作るのに影響を与えた…なんて考えると壮大な交流の道筋が浮かび上がってきます。
〉なるほどー!
〉そんな展覧会が開かれてるとはなんとタイムリー。
〉私は古代ギリシア出身でもあるので、見に行きたいと思います。
どうせたかぽんは「ふろ屋の釜」…湯ぅだけ→「言うだけ」
〉ところで、明治の廃仏毀釈運動ですけれど、地域によってその激しさはまちまちだそうですが、
〉薩摩では徹底的だったそうですね。範を示すということだったのでしょうか。
〉〉さて、昔は天皇が変わると新しい宮を作ったから、違う場所になったらしいです。
〉〉飛鳥とか難波とか、近江とか、そのころは単に天皇がいるところを「宮」と呼んだので、「都市」として計画して建設したのは平城京からなんじゃないでしょうか。…日本史はよく知らなくて聞きかじりが多いので、誰かフォローしてくれる人がいたらいいんですけど。
〉うーん。たぶん、藤原京が最初だと思います。持統天皇の。
〉持統天皇といへば、「春すぎて夏来たるらし白妙の衣ほしたり天の香具山」
あら、さいでっか〜。そういえば平城京以前にも碁盤目の都市プランがあったような…。
〉この本の中で、天皇はもともと神道だけれども、仏教に「改宗」した天皇がいる。
〉それは用明天皇。しかし、その系統(聖徳太子を含む)からは、その後、
〉永久に皇位継承者が出ていない、という話がありました。
〉神道のいわば最高司祭であられる天皇と、仏教との関係を考えると、
〉いろいろ興味深そうですが、興味深そうだなと思ってるだけで、
〉まだ勉強が進んでいません。。
その時代はまだ仏教は新興宗教で、神道と対立してたけど(用明天皇が死んでから蘇我・物部の戦いが始まる)、後になると神仏習合もあって、神も仏もいっしょくたに信仰するようになったんじゃないでしょうか。聖武天皇は都に東大寺と大仏を作って、全国に国分寺を作って仏教を広めましたし。
またもや聞きかじりでつっこんでしまいました。
それでは…。
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