Re: お祝申し上げます(兼:スポーツの部分に関し付記)

[掲示板: 〈過去ログ〉100万語通過報告 -- 最新メッセージID: 8032 // 時刻: 2024/11/24(15:25)]

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5086. Re: お祝申し上げます(兼:スポーツの部分に関し付記)

お名前: ako
投稿日: 2005/6/6(23:49)

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sosreadingさん、初めまして! akoと申します。
SSSで多読を開始して、1年少し経過した者です。

このたびは、75年ぶりの100万語通過、おめでとうございます!

全体を拝読させていただきました。
一つ一つのお言葉に、感動と説得力があり、
多読という方法のよさを実感させていただいたご報告でした。
多くの要点に関して同意することばかりです。
丁寧なご報告、ありがとうございました。

さて本日は追加部分を拝見し、sosreadingさんが、多読による英語学習を、スポーツと照らし合わせてお考えになっておられるとの部分を読み、当方、スポーツ指導に関わっている関係から、非常に嬉しく思いまして、その部分だけに関する返答で恐縮なのですが、お話させていただきたく投稿いたしました。
(一段落だけの引用で大変失礼いたします。ご容赦くださいませ)

引用部分は、第9番の段落です。

〉  9.「体に変化が起きてきた」のではと感じています。

〉英語は、頭で覚えるのではなく、体で覚えるものと理解しています。スポーツと同じではないかと思っています。スポーツで、ある程度のレベルに達するためには、それ相応の時間と辛抱が必要となります。体に慣らすこSとことが大切です。(辛抱などといいますと、酒井先生に一喝されそうですが)適度な準備運動も、ある程度集中持続することも、細かくいえば、沢山あるのですが。(何か行き詰まったときは、いつも運動と比較しながら、考えていますので)

私もそうなんです。
学生時代までの英語学習では、スポーツと英語を結び付けること等、
まったく考えたこともなかったのですが、現在はすっかり変わりました。

SSS多読経験者の、掲示板での体験報告を多々読んでおりますと、
上達の過程、中途の気持ちの揺れや、停滞の訪れ、伸び悩みのあり方からその後の急速な伸びなどの様相が、実に、まったくスポーツの体得過程とそっくりだからであります。

ところで、sosreadingさんは、スポーツ体得過程において、
「辛抱」(あるいは忍耐)という要素を非常に大きな要素とお考えでしょうか。
(酒井先生に一喝されてしまう…などと気になされておられる、ということなので、もしかして、と思ったのですが…ユーモアで仰っておられるものと解釈しておりますが(笑)

さてこの点に関し、スポーツ経験者である私が、
SSSの多読と、自分のスポーツ上達との関連で考えてきたことを、
少々聞いて頂いてよろしいですか。

スポーツ指導におきましても、英語教育界同様に複数の指導理論があり、
類似の状況が起きていると感じているんです。

以下は、私の経験しているテニスというスポーツについての話ですが、
旧来の学校での運動部活指導は下級生にはランニング等の基礎訓練を中心とし、ラケットをもって球を打つのは、ずっと後になってから、というものが多かったです。(私の世代の話ですが) テニスの場合は、ラケットを使うスポーツなので、球を打つ前に、素振りという練習がありますから、初心段階では、ボールを触らせない指導が延々と続くようなことも可能な競技です。
学校の場合は、生徒間の秩序維持等、他の目的もあるため、ある程度仕方ない部分がありますが、もっと純粋にスポーツ指導だけが可能な民間指導の場では、基礎体力訓練と同時に、早い段階からラケットを持ってボールを打たせることを行っているところが多々あります。

球を使わない練習を延々と続けることよりも、早い段階で球を打って、打ち合いの楽しさを先に体感させたり、プロの試合を頻繁に見せて、映像イメージを焼き付けるといったことも重視し、それらは、相当の忍耐を要する基礎体力訓練ばかりを強いていた旧来の指導とはかなり違う効果を出しています。

英語に置き換えますと、SSSの多読は、いかに易しいレベルとはいえ、
まがりなりにも英米の出版社による洋書書籍を1冊読了することから始まりますね。その意味するところは、初心段階からいきなり、「英語で読書を楽んだ」という、従来なら、学習段階の最後の目標とされてきたものを、最初の段階で体験することだと考えております。
私は、これは、テニスの初心者に、最初からボールを打つ楽しさを体感してもらい、その中で、さらに楽しめるようにするには、どういった練習が必要かを、初心者自身が理由を理解しながら、個人個人に必要な方法を考える、といった順序でおこなっていることと同じではないかと考えているんです。

初心者自身が、現在の自分に必要な練習はどれであるかを理解している場合、
同じ基礎訓練であっても、それを全員に同時に同じ順序でやるべきカリキュラムとして強いられる基礎訓練とは、意味が違うものになるんです。

SSS多読もそれと同様ではないか、と考えているんです。
多読参加者には、同じ本を読んでいる人は多々おられます。でも、どなたも、読む時期を指定されたわけではなく、読むレベルを指定されたわけでもなく、自分から、様々な本を手に取り、合う・合わないを、そのつど自由に判断しておられます。判断に迷う時などに、掲示板や読書指導会でアドバイスを仰いだりしますが、アドバイスされる皆さんも、指定図書を義務付けるようなアドバイスをされる方を見たことがありません。
なので、まったく同じ経路で読書している人というのがおられないんです。
みな、違う読書経過をたどって、それぞれの読みたいもの、いま読めるものを読んでいるわけです。
多読参加者全員に、同じ本を同じ順序で読ませるような指導はしていないんですね、SSSって。読む本人の意向をとても重視してくれるんです。

酒井先生が、SSSは「忍耐」からは遠い、と仰るのはこの点だと、私個人の解釈では思っているのですが、さらに私個人としては、スポーツ指導の世界でも、忍耐一筋のようなイメージをもたれている「巨人の星」的な時代の指導は、もはや終わったと考えているんです。
野球であれば、イチローや新庄は、巨人の星的な忍耐・我慢とは違う時代のプレイヤーだと思っています。(デビュー当時のイチローと仰木監督のことを読んでの印象です)

長くなりましたが、多読をスポーツに置き換える際に、sosreadingさんは、酒井先生からの一喝の不安を感じることはないのではないかしら、ということを言いたかっただけなんです。
多読を、スポーツと比較しながら考えておられる方のご登場が、ものすごく嬉しかったものですから、感激してしまったんです。
すみません…、それだけ言うために随分ながくなりました…

〉 多分SSSreadingの真髄は、「楽しく読みなさい」と言うより「楽しく読めるlevelの本から始めなさい」と、云われているのでないかと思いました。

ここ、完全に同意しております。
ではこれからもどうか多読を楽しまれますよう、心より祝福をお贈りします!


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