[掲示板: 〈過去ログ〉100万語通過報告 -- 最新メッセージID: 8032 // 時刻: 2024/11/23(23:09)]
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お名前: ウルトラQの母
投稿日: 2004/7/19(15:27)
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多読を始めた時に、こんな「報告」を書くことを想定しておりませんでしたので、記録自体が不備だったり、ここでのみなさんの報告のやり方の「仕様」にあってなかったりしてますが、まぁ、だいたいこんな感じ…というごくごくアバウトな報告をいたしたいと思います。
長文です。
○多読を始めたキッカケ
「ときどき」の方にも書きましたが、仕事絡みです。職場に新しく出来た部署で英語教育サーヴィスを提供することになり、その際、多読のコースを取り入れることになりました。私は直接の関係者ではないのですが、その話が出た時に「お客さまにお出しする前に自分でもやってみるか」と思ったのがキッカケです。
ただ、正直に言えば、初めて「多読」というメソッドの話を聞いた時には、「なんかな〜」という思いでした。(>酒井先生 すみません)まずは、GRを読むということに抵抗がありました。特に、リトールド物を読むことにとても抵抗がありました。
次の「英語と私」の項目でも詳しく書きますが、私はその時点で「一応」PBは読めました。ただし、まさに「一冊読むと疲れてしまう」という感じでした。また、すでにPBのみでも軽く100万語は読んでいるはずなのに、ちっとも楽にPBが読めない…なのに、なんでGRを読んで、PBが読めるようになるのか!という思いもありました。
私は仕事でも英語を読む必要があり、量だけは「それなりに」は読んでいるはずなんです。しかし、その割には、英語について不完全燃焼感が強いんですよね。「見たことある」単語はいっぱいあるのに、それらがちっとも「身についていかない」んです。
で、その多読のコースを提供するかどうかの話し合いの時に、英語教育の専門家に、「読んでる割に上達しないのは自分の力以上の物ばっか読んでるからですかねぇ」と聞くと、「そうです!」ときっぱり言われ、じゃ、簡単な物から読んだろかい!という気持ちになったのでありました。
○ 英語と私
英語とのつきあいはけっこう長いし、英語はずっと好きでした。
最初は幼稚園の時。近くに英語教室が出来てそこで、「お遊び」的に習ってました。でも、先生の結婚で教室が閉鎖。
次に英語に出会ったのは小学校4年生の時。近くに出来たバプティスト派の教会で、信者の大学生がボランティアで小学生に無料で英語を教えてくれました。日曜学校への出席が英語のクラス参加の条件でした。英語コンテストなんてのもあって、そういう時はネイティブの人が審査員に来てくれました。
しばらくして、ネイティブの先生の開く英語教室に通うようになりました。とは言え、先生は奥様が日本人で日本語が堪能だったし、結局は中学校の「学校英語」を習っていたんですが。ここには中学3年まで通いました。
高校は進学校で、英語はかなりのスピードで勉強させられました。教科書以外にもサイドリーダーの時間があって、精読ではあったけど量も読まされました。チャーチルの自伝の一部とか、けっこう難しい物も読みました。とにかく、いっぱい「お勉強」しました。私の英語は「構文がしっかりしている」と言われますが、それは、この時の英語教育のおかげだと思います。
大学時代は、そんなに熱心に英語の勉強はしませんでしたが、大学院に進学することにしたので、ふたたび「受験勉強」を。そして、大学院に進学してしばらくして英会話学校にも通いました。英会話学校はその後もかなりの間通い続け、現在も超細々ですが、個人レッスンを取っています。
職場から海外研修の機会を与えられ、2年間イギリスに留学しました。その際、「留学前英語講座」という、留学生向けのコースにも参加しています。MPhilというコースに属しており、5000万語くらいのエッセイを書いて学位を取りました。
…と、こうやって書くと、すっごく英語が出来る人みたいですが、実際には、仕事の英語を読むのも(>まあ、仕事の物は日本語でもけっこう苦労するけど)、気晴らしに読むPBですら、「すいすい」とは行かないのが現状でしたし、それは今も同じ。
話す方も、国際コンファレンスなんかに参加したりはするけど「全部分かる」という訳にはいかない。職場で外国人を招聘してのセミナーなんかがあって司会させられることもあるけど、実は「ごまかして」やってます。
それでも自分では「上級者のはしっこ」くらいにはいるかと思っていたのに(>たいていの日本の英会話学校では、合うクラスがなくて個人レッスンになってしまいます)英語を読む速度を計ってみると、PGR0を4分では読めない!
振り返ってみるに、私はいつも「自分の力より上」の物ばかり読んできた、ということを、酒井先生の本を読んで思いました。そして、それが私の英語の「足腰」を弱くしている…とも。
なので、とにかく、「自分の手にあまらない」ものを地道に読んでみよう、と思ったのでした。
○ やってみて
始めてみたら、色々な発見がありました。
第一に、易しいものを読む効用。PBを読んでいると、1ページに分からない単語が数語はあります。1ページに数語あると、その場で意味を推測できても、自分のボキャブラリーになっていきません。でも、GRの1とか2だと、分からない単語は1冊に1語あるかないか…。そういう中で意味を推測し、それが「当たってた!」という実感を持った単語って、記憶に定着して行く感じがします。
ただし、ICRのシリーズなどの子ども向けの本は、かえって簡単なレベルのものほど、分からない単語が多かったりします。
第二に、GRが読み物として質が高く、面白いということ。ただし、私の場合はペンギンは今一つ肌に合わない。ただし、レベル0のものは、オクスフォードのものよりペンギンの方が読みやすい。
そして、名作のリライトなんかも、とても良く出来ている。当初、「やっぱり原作で読みたい」とか「GRで読むよりは翻訳で」な〜んて、生意気なこと思っていたんですが、まぁ、これも「ときどき」に書きましたが「読まぬ古典より読むGR」ですね。
第三に、第二とも関連するけれど、たとえばOBW1のように、語彙としてはわずか400語しか使わなくても、かなり複雑なことが、とても自然でスッキリした英語で語れる、ということ。これは、英語で「書く」ことも仕事の中に含まれる私にとって、大きな発見でした。「こなれた」英語で、自分自身に内容がよく「こなれて」いれば、語彙が少なくても、決して短調でなく、格調ある英語が書けるということ…。
第四に、SSSのHPに遊びに来るようになって、「みんなで勉強」ということの楽しさとパワフルさというのを感じました。ネットの力はすごいです。ここに来なければ、きっと手に取ることがなかった本(>キャプションだけ読んでいると食指が動かなかった本)…でも、読んでみたらとても面白かった本というのにも何冊か出会いました。そういう意味で「自分の幅」も広がっていく。
そして最後に、最も重要なこと、それは多読が楽しい!ということ。何といっても、これが一番の発見だったかも。私の読書はハッキリ言って、仕事からの「逃避」であることが多く、その際、GRは、日本語の本よりもピッタリだったりもします。OBW2くらいまでなら、なにしろ話が短いから、日本語の文庫本を読むよりずっと短い時間で気分転換になるし、かなり質が高くしかもストーリー展開も分かりやすいので、これまた日本語の文庫本を読むよりもずっとスッキリと気分転換が出来る。
…という訳で、すっかり多読にはまってしまいました。
○ とってもおおざっぱに読んだ物のレベル別冊数
なんか計算が合わないんだけど、ま、それはおいといて、だいたいこんな感じという程度にお考え下さい。
レベル0 GR11 児童書 21 計32冊
レベル1 GR31 児童書 7 計38冊
レベル2 GR25 児童書 8 計33冊
レベル3 GR16 児童書 4 計10冊
レベル4 GR11 児童書 0 計11冊
レベル5 GR3 児童書1 計4冊
レベル6 GR1 児童書0 計1冊
あとPBが2冊、レベルが不明な児童書1冊で、132冊。ちょっと抜けてるのがあるけど、だいたいこんな感じです。
○これから
多読は楽しいので、今後とも続けるつもりです。「100万語」は、先の「見通し」なしに、「とりあえず」始めてしまったのですが、「200万語」は、多少「見通し」を持って、記録なんかも、「200万語通過しました!」の時には楽に記録が書けるよう、どなたかが推賞されていた、エクセルを使っての記録も取るようにしました。
「100万語」の時は途中で6万語も計算間違いしているのを発見して、かなりガックリきてスピードが落ちてしまったこともあったので…。ま、計算ミスの多い私なので、実は100万語も「本当に」通過してるんだか、100%の自信を持っては、「通過しました!」と言い切れないところがあったりはするのだけど。
「200万語」については、SSSの提唱する方法に沿って…という部分と、自分の気の向くままに…という部分と、2本立てでやっていこうと思っています。
みなさま、今後ともよろしくお願いいたします。
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