[掲示板: 〈過去ログ〉100万語通過報告 -- 最新メッセージID: 8032 // 時刻: 2024/11/23(19:47)]
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多読は受験勉強にはあまり効果がないようです。この4月から代ゼミの模試を4回ほど受けましたが、目立った進歩はありません。多読をはじめて半年程度では効果があまり出てこないのかもしれません。私の腹積もりでは100万語を突破すれば偏差値も10くらいは上がるだろうと思っていたのですが、200万語を超えても偏差値は50から60の間にうろついたままです。そろそろ受験のための勉強へと比重を移そうかと思っています。50パーセントか60パーセントの理解では受験には通用しないのです。とはいっても多読は続けるつもりです。
これまで呼んできたものの若干の感想です。
イギリスの児童文学とアメリカの児童文学とを比較するとどちらかといえばアメリカの児童文学のほうが現実に根をおろしているように思えます。とは言っても私の読んでいるアメリカものは Holes と HOOT のみですが。ハリ=ポタやダレン・シャンでは暴力が何かオブラートに包まれていますがそれはイギリス特有のユーモア精神と無関係ではないのでしょう。ダレン・シャンに vampire vegetarian なんていう言葉が飛び出してくるほどですから。
単なる感想ですが、イギリス児童文学はその伝統の延長に位置し続け、アメリカのそれはむしろハードボイルドの影響下にあるようです。Holes や HOOT を読んでハメットやチャンドラーを思い起こしました。それにしてもなぜ今の時代にハリ=ポタなのでしょうか。あれは言ってみればフィギアの世界です。細部を緻密に描写することでリアリティを引き出すといった、SF映画におけるスターウォーズ(エピソード4)のもっていたインパクトにアナロジーできるでしょう。そうした意味ではダールはグリムから続いてきた系譜の最終形態かもしれません。私はダールのチョコレート工場は児童文学の最高傑作だと思います。しかし今私が子どもであったならやはりハリ=ポタをわくわくしながら読んでいるでしょう。
ハリ=ポタの第三巻にタイムパラドックスが扱われていますが、あれはだめです。タイムパラドックスを扱うということは論理を扱うということですから、魔法とは相容れないことです。フィギアの世界を構築するということはその表面をのみ構築すれば良いわけで想像力の限界が即ちその世界の限界になってしまいます。私はこうしたことからハリ=ポタの破綻を予感します。
タイムパラドックスといえば the Wheeles of Timeにも時間を扱ったところが出てきます。ここではパラドックスを避けるためかワームホールのようなものを設定しています。何かSFの道具立てを安直に使っている印象を受けます。
thee Wheeles of Timeは期待が大きすぎたせいか失望しています。やはり指輪物語を超えるものはないのだろうかと思います。この程度のものがアメリカでは常にベストセラーになるというのはどういうことなのでしょうかね?哲学の世界でも二元論の限界などということが叫ばれ始めている今日、そろそろ善悪二元論を超えたファンタジーが現れてもいいころではないでしょうか。
シドニー・シェルダンは読みやすいですね。このてのミステリーとかSFを訳書でこれまで大体つきに2冊か3冊は読んでいたのですがこれからは原語で読むつもりです。目標としてはアダルト表現が日本語で読むのと同じような生々しさで読めるようになることです。今の私の力量ではこうしたシドニー。シェルダンなどの二流の作家のもので十分です。パトリシア・コーンウェルとかダニエル・スティールとかの女流作家はまだしんどいです。女性特有の心理描写が英語で読むにはかったるいものが私にはあります。寧ろシドニー・シェルダンのような荒削りの心理描写もくそもなくひたすらにジェットコースター的な展開に終始するほうが英語の初心者には楽なのです。
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