知識、知見、知恵、背景知識

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511. 知識、知見、知恵、背景知識

お名前: 主観の新茶
投稿日: 2009/1/11(10:16)

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 知識、知見、知恵、背景知識
 
 知見は、一般的知見及び専門的知見に2分され、一般的知見は、日常的知見及び非日常的知見に分類される。
 専門的知見は、一般に、非日常的知見に属する。
 一般的知見は、一般人が、通常有する知見をいう。
 専門的知見は、専門家がその職務上有していなければならないとされるものであって、たとえば、「医師等の専門家は、一般的知見ではなく、専門的知見で通説である見解に従って仕事に従事しなければ、責任を免れない」などという言い方がされる。
 知見は、知識の体系的集積及び判断能力という場合が多いであろう。
 日常的知見は、日常の生活で得られる知見であり、非日常的知見は、日常の生活では得られないような知見をいう。

 知識について。
 知識は、自分を含めた外界を認識し、理解した内容である。
 知識は、専門的知識とはいうが、一般的知識とは、あまりいわず、この場合は、単に、知識という場合も多い。

 「単なる知識だけではだめだ。知見を持て。」などという言い方をするが、知見と知識の関係は、知見は、知識を超える判断能力を指す。

 知見は、体系的存在である。
 知識は、必ずしも体系的存在ではない。
 たとえば、健康に関する関心から、医学的な専門的知識の一部は、今や、一般人の中にも、これを有する人がいるが、専門的知見まで高まるものを持っている一般人は、きわめて少ないであろう。
 しかし、一般人が、様々な分野において、概説的な専門的知識ないし知見を必要とされる時代に来ていると思われる。

 なお、書籍では、専門的知見を意味するところを、誤解がなければ、専門的知識と置き換えることもあるので、その場合は、専門的知識と記載してあっても、専門的知見と読み替える。

 「知識、知見、知恵」と並列させる場合もある。
 この場合は、総合的判断を意味する場合が多い。

 背景知識について。
 背景知識という用語は、私は、20代から、使わないし、仕事でも使われない。
 公的にも、私的にも、お目にかからない言葉であった。

 私には、遙か昔、高校時代に、英語の勉強の際に、出てきた用語に思える。
 インターネット等を見ると、背景知識という言葉は、現在も使われているようだが、特殊な使用法を除外し、一般的には、英語などの学習を行う際、背景知識が存在すると、英語が理解しやすいなどと使っているようだ。
 背景知識という用語は、私の高校時代には、そんなに一般的用語ではなかったし、その後公的にも私的にも使ってこなかったから、もう廃れた言葉かと思っていたら、今でも、使われているようだ。
 しかし、背景知識が、何を意味するか、判然としない。
 私は、SSSにおいても、背景知識という言葉が出てくる際、その投稿者が、いかなる意味で使用しているのか、理解に苦しむことが多々あったことは否めない。

 ただ、背景知識は、主として日常の生活に依拠して取得されるべきものと考えている見解であれば、得られる知識の内容は、一般的知識中の日常の知識に限定されると思われる。
 その場合。背景知識が役立つ読書は、日常知識を内容とする読書になろう。

 「文化的背景知識」という言い方をしている文献もある。
 この場合は、政治的、経済的、法律的、社会的、文化的、物理化学等の自然科学的、自然科学史的等の知識の中の、「文化的」要素に限定された言葉使いである。
 背景知識は、むしろ専門的知見及び非日常的一般的知見を意味するという見解に依拠すれば、背景知識が理解を助ける読書の幅は、広がる。

 以下は、本稿に関連が薄く、蛇足だが、     
 知見というのは、雑学ではなく、体系的な存在であるから、知見を駆使し、未知の事柄を既知に体系的に変更する読書が、読書といえるものである。
 娯楽的な読書は、不可欠ではあるものの、換言すれば、刺身のつまに過ぎない。
 私にとって、体系的知識ないし知見ではなく、単なる雑学は、ほとんど興味がない。
 しかし、いわゆる雑学は、ほとんど全てが、その道の専門家から見れば、体系的知識ないし知見の一部であるから、雑学は、自らの概念装置を通じて、体系的知識ないし知見の中に存在させることになれば、雑学ではなくなる、という構造がある。

 以上は、私の見解にすぎない。
 もとより、ほかの見解を排斥するものではない。


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