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488. Re: 勉強の定義 漢詩による由来 内田義彦著「読書と社会科学」等
お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/11/24(20:54)
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Ry0tasanさんへ。こんにちは。
主観の新茶です。
第1 勉強の定義等
1 勉強の定義
勉強とは、「自らを強いて励まし、楽しみを得るべく、行動すること」である。
勉強とは、「楽しみは、少し無理をして努力しても享受すべきこと」をいう、と言って同義である。
同じく、勉強とは、「人生、短いのだから、機会を見つけ、無理をしてでも楽しむべし、の意」である。
2 内田義彦 「読書と社会科学」
私の見解は、上記内田著「読書と社会科学」P117〜P132と同趣旨である。
意の足りない点は、上記内田著を参照されたい。
上記著書に、漢詩3つが引用されているので、第2に記す。
いずれも、勉強の語の由来として代表的な詩である。
第2 漢詩の出典
1 白楽天 『東城に春を尋ぬ』
老色、日に面に上り、歓情、日に心を去る。
今、既に昔に如かず。後、当に今に如かざるべし。
今なお、未だ甚だしくは衰えず。事毎に、力、任うべし。
花時、なお、出づるを愛し、酒後、なお、よく吟ず。
ただ恐る。かくの如き趣も、また日に随って消沈せんことを
東城の春、老いんと欲す、勉強して、一たび来尋す。
(句読点を付与)
2 欧陽脩 『酔翁亭の記』
造化は、無情、物を選ばず。春色、また至る、深山の中。
山桃、渓杏、意思少なきも、自ずから、時節を逐いて、春風に開く。
花を看る遊女は、醜さを知らず。古粧、野態、花の紅と争う。
人生の行楽、勉強にあり。酒あらば、そむくなかれ、瑠璃の盃に。
主人、笑うなかれ、花と娘と。
ああ、汝、自ずから、これ、花前の翁なり。
(句読点を付し、難読漢字を、適宜、別の漢字またはひらがなに変更)
原文
豊楽亭小飲 欧陽修
造化無情不択物 春色亦到深山中
山桃渓杏少意思 自趁時節開春風
看花遊女不知醜 古粧野態争花紅
人生行楽在勉強 有酒莫負瑠璃鍾
主人勿笑花與女 嗟爾自是花前翁
3 陶淵明 『雑詩』
人生、根帯なし。飄として、陌上の塵の如し。
分散して、風を逐いて転ず。これ、已に常の身にあらず。
地に落ちて、兄弟となる。何ぞ、必ずしも骨肉の親のみならんや。
歓楽を得ては当に楽しみを作すべし。斗酒、比隣を集む。
盛年、重ねて来たらず。一日、再び晨になり難し。
時に及びては、当に勉励すべし。歳月、人を待たず。
(句読点を付し、難読漢字を、適宜、別の漢字またはひらがなに変更)
第3 その他
1 漢詩における「勉強」等の意味
第1の白楽天、勉強とは、「人生は、短いのだから、適当にする行動するという怠け者根性は捨てて、真の楽しみは勉強にあることを再三経験することにある。」という意味である。
第2の欧陽脩、勉強とは、「人生の楽しみは、応分に、ほどほどに、などといわず、無理やりにでも享受すべきである。酒に背を向けるな。田舎の娘も、存分、春を楽しみ、今を盛りと咲き誇る花と、美しさを競う。お前も、一個の存在として、人生を楽しむべきだ。」という意味である。一海知義氏・漢学者による。
第3の陶淵明、勉励とは、「勉強と同じ意味であり、学問や仕事を一生懸命することだけせよと述べているのではなく、それも大事だが、朝は、二度と来ないの例えどおり、機会を逃さず、自分のやりたい楽しみを尽くせ」という意味である。稲田孝氏・漢学者による。
同稲田孝氏に依拠すると、勉励は、「努力」と同じ言葉であり、第3の詩は、夫が妻に送った蘇武の漢詩「努力して春華を愛せよ。歓楽の時を忘るることなかれ」と同じ心境であると説明する。
2 一部の場面に変容して使用される現代の勉強の意味
「市場で主婦が八百屋に値段の勉強を迫る」「親が子供に学校の勉強をせよと迫る」などの「勉強」には、漢詩の意と同じく、最小限、「強いる」という意味で、由来に忠実であるが、その余の意味は、忠実ではないという指摘は、上記内田著に記載されているとおりである。
3 仕事における勉強という言葉の現代の使われ方
仕事で、勉強という言葉は、悪い意味で使われることはないし、意識して使われることもないが、自然に「この点を勉強しよう」などという使い方は、当然なされる。
つまり、勉強は、自発的に自ら強いて行うという本来の意味で使用している。
他から指示される場合も、これを自分の為にもなると置き換えて、自ら強いて行うという本来の意味で使用している。
高校までの学校勉強の意味に使われることはないし、暗記勉強の意味に使われることもない。
暗記で対処できる分野は、勉強する範囲が狭いといっていいだろう。
覚えることも多く、また、覚えただけでは仕事はできず、応用力及び判断力を求められる勉強は、暗記では対処できないが、これが、大学における勉強、さらに、社会における勉強である。
4 「お勉強」の意味
私は、「お勉強」という言い方は、SSSの投稿を見るまで、知らなかった。
この言い方が、いつごろ出現したかは、知らない。
しかし、最近、竹中平蔵氏が、「お勉強」という用語を使用しているのを発見したが、同氏は、「お勉強とは、高校までの暗記を主体とする英語・数学等の学校勉強、または社会に出てからの学校勉強に近似する暗記主体の英語等の学校類似勉強」という内容の定義を述べており、「このような『お勉強』も、一部必要である」という見解を開陳されている。
第1の漢詩の訳及び解説は、上記内田著を、第2及び第3の漢詩の訳及び解説は、漢詩一日一首、中国の故事と名言500選、いずれも平凡社を、それぞれ参照した。
以 上
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