[掲示板: 〈過去ログ〉多読と英語学習・試験に関する掲示板 -- 最新メッセージID: 1756 // 時刻: 2024/11/24(08:50)]
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まりあ@SSSさん、不躾な横レスに、お返事ありがとうございます。
〉たかぽんさん、こんにちは。 まりあ@SSSです。
〉〉まりあ@SSSさん、こんばんは。たかぽんです。横から不躾に失礼いたします。
〉 いえいえ、不躾なんてそんな〜
〉 たかぽんさんが来てくれると楽しくなるから、うれしい
え。あ、そうですか?
そう言っていただくと、不愉快なことが言えなくなるぅ・・・
〉〉〉 多読を続けてきた結果、after、as、beforeは英文を文頭から
〉〉〉 末尾にかけて読んで意味を理解するために、時に必要となる
〉〉〉 「働き」をもつ語の仲間で、意味やイメージではなく、→や
〉〉〉 =といった記号と同じような「働き」があるだけだと感じる
〉〉〉 ようになったのですが、こういう捉え方でいいのかなぁ、と
〉〉〉 「さよなら英文法! 多読が育てる英語力」の発売を楽しみに
〉〉〉 しています。
〉〉うーん・・・
〉〉まりあさんがそう捉えられたのなら、それでいいんじゃないかと思うのですが。
〉 そうね、1人で読んでいる分にはそうなんだけど、それを
〉 本にまで書いちゃったから...ちょっと気分が違う...
〉 間違ってたらみんなに迷惑だからな、って思うよ。
あ、そうですね。
本にお書きになったら、ちょっと違うでしょうね。
遅ればせながら、出版、おめでとうございます。
〉〉私が把握してた「SSS多読」って、そうです。誰かに「正解」を教えてもらうんじゃないもの。
〉 「正解」がない世界にも、「明らかな不正解」はあると思うの。
〉 人はどう生きるべきか?正解はなくて個人の信ずるところに
〉 まかされるけど、人を殺しちゃいけないでしょ?ちょっと喩えが
〉 極端だけど...
そうですね。おっしゃること、わかるような気がします。
でも、「明らかな不正解」も教えないのがSSS多読のいいとこだ、
ってのは私が勝手に思ってるだけかもしれませんけど、そんなイメージ持ってます。
「明らかな不正解」を知らない人に「明らかな不正解」を教えるのは余計なことだし、
「明らかな不正解」に心あたりがある人に「明らかな不正解」を教えるのは、
「明らかな不正解」を余計意識させてしまうことになるし、
自分の頭の中には他にもまだ「明らかな不正解」があるのかと不安な気持ちにさせる。(「樽の穴」)
せんせー、もっと「明らかな不正解」を教えてください!!と頼らせてしまう。
これは酒井先生の本意ではないはず。(と信じたい。)
SSS多読は、ひと言で言えば、「習うより慣れよ」であり、
うんとやさしいところから始めるので、「習うより慣れよ」が本当に実現できる、
画期的な方法だと思います。
「習う」に引き戻してしまう傾向には、自他共に要注意かなという気がします。
(楽しんで習うぶんには一向にかまわないと思います。
でも、≪不安≫から習おうとするのは、すがるような、依存的な臭いがして、
個人的には好きじゃありません。あっ、私の趣味の問題かもしれません・・・)
〉〉(だから、英語を説明する本を酒井先生が出すのだとすれば、その意図が理解できません。)
〉 まだ読んでいないからなんだけど、世間に流布する
〉 「明らかな不正解」を指摘してくれてる本じゃないの?
〉 「さよなら」英文法という題からして。
そういう本だとしたら、とってもつまらない。
英語の先生しちゃってるよ、と思ってしまいます。
(英語の先生なんだから仕方ないんだけど…)
〉 「明らかな不正解」、特に「学校」とかいう権威をまとったものを
〉 「不正解」として排除したら正解にたどり着きやすくなるし、
〉 そんな「助けになることこと」が書いてあるかなぁ、って予測して
〉 いるというわけ。
うまく言えないんですけど、「明らかな不正解」なんかには注目しないほうがいい。
相手にすればするほど、相手が大きく、強くなってしまう。
そんなイメージもってます。
そんなことより、「明らかな不正解」も「学校」も「お上」もどこ吹く風で、
みんなで力を合わせて、多読多聴のメニューとか素材とか、もっとひろげて、
多くの人が楽しみやすくすることに専念したほうがいいように思います。
ばくぜんとしてますけど。。
えらい人の思惑そっちのけで、日本や世界の人が直接に英語など外国語に親しんでる光景。
そっちを強くイマジンしたほうが、楽しくって強力な感じがします。
(「感じ」とか「イメージ」ばかりで申し訳ないですけど…)
〉〉『自分で多読や多聴などを通して、わかっていくものだから、誰にも教えられない』
〉〉という答えが一番親切で、SSS的じゃないかと思います。
〉 これには賛成していますよ。
ありがとうございます。
〉〉特に「as」なんてやつは。
〉〉いくら酒井先生の説明でも、そういう「説明」に頼ろうというのは、危険な感じがします。
〉 でもやっぱり私だって、少しでも能率を上げたい気持ちはあって、
〉 単語集やなんとか英文法は読まないけど、酒井先生の本くらいは
〉 読みたいよぅ...
〉 太るからおやつは食べない方が良い、ってケーキを我慢しても、
〉 ところてん食べるくらい許してよ、生きている楽しみがなく
〉 なっちゃうもん。
はははは。では、許しましょう。(?)
ただし、読みながら、あー何かイヤな感じが、とか、あっ私、べつに楽しくもないのに読んでるわ、
とか思ったら、すぐにやめましょう。たとえ酒井先生の本でも。(まりあさんに多読指導?)
〉〉SSS多読って、誰も「英語」を教える人がいない(酒井先生を含めて)というのが画期的で、
〉〉すごいことだと思っています。
〉〉自分で掴んでいくもの。
〉〉何か「正解」を持っている権威や先生がいないのが最大の特徴であり、強みだと思うんですけどね。
〉〉私の「SSS多読」のとらえ方が特殊なのかもしれませんけれど・・・
〉 特殊なんじゃなくて、理想だと思う。
〉 でも多くの凡人は煩悩を抱えているのよ。
〉 なかなか理想の境地に達しない。
〉 たかぽんさんはえらい!揶揄しているんじゃなくて、心から
〉 そう思っているの分かってね。
あ、ありがとうございます。
何も悟っていないのですが。。。
でも、たしかに、私は徹底的にワガママですね。年々その傾向が強まってきました。
特に、今のところ「文法的説明」は全く受け付けない。誰の説明であっても。
目が自動的に素通りするし、食道も実際にふさがってるようです。
体か何かが「やめときやー」と言うてはるんでしょうね。素直に従っています。
だから、べつに、楽しい気持ちで、体もすんなりと受け容れられるようならば、
文法的説明だろうがボキャビルだろうが、いいんじゃないかと思っています。
いいか悪いか決めるのは自分。
〉Happy Reading!
まさに、これに尽きると思います。
焦りや不安から行動するんじゃなくて、自分を信じて、楽しさや喜びや幸せから行動する。
それが「正解」なんだと思います。
Happy Reading!
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