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247. 要は、自分の直感(happy)にしたがうということ
お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/16(19:24)
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fionaさん、こんにちは。
〉たかぽんさん、杏樹さん、極楽トンボさん、再び今晩は。
〉多読三原則について、いろいろ議論があるようですが、
〉私は、いつまでも(多読の量に関わらず)重要な原則だとは思います。(少なくとも私にとっては)
〉単に多読初心者向け、だけとは思えません。
確かに、多読初心者向け、っていうのは違うかもしれません。
多読が進んでる人でも、なんとなくまだ自分のhappy readingがつかみきれてない人には、
とりあえず「多読三原則」を守って読んだほうがいい、と言えるかもですね。
〉その理由は、母語(日本語)で本を読むとき、
〉特殊な例外を除いて、この多読三原則に従って読んでいるからです。
〉別に、誰かに言われた訳ではないのですが、
〉「辞書を引かない」「分からないところは飛ばすか雰囲気で流す」「つまらない本は、途中でやめる」と言うのは、私にとっては、母語(日本語)の読書の自然なスタイルです。
私が思ってるのは、結果的に読書が「多読三原則」のようになる、というのと、
「多読三原則」を守る、というのとは、違うということです。
心が精読・辞書引きをしたいと言ってるのに、「多読三原則」からはずれるから…
と考えて、やらないのは、もったいないなと思うんです。
〉本を読むようになってから、既に(日本語は)数千冊は読んでいますが、(本を読んでいる途中で、またはその後で)辞書を引いたのは多分両手で数えるほどではないかと思います。分からないことを調べたのは、それよりは多いかも知れませんが。
私も、読書中とかに辞書を引いたことは、すごく少ないと思います。
〉(多分3、4才から)ずっと、辞書なんかほとんど引いていませんが、いつの間にか読めるようになっていたという感じです。
〉まあ、英語も同じじゃないの…と思っています。
〉あまり無理に語彙を増やそうとしても、弊害が多すぎるみたいだし…私は、そんなに急ぐ理由も、今のところありません。
はい。それぞれの人の好きなようにしていったらいいと思います。
(そもそも、日本語は、本を読まずにしゃべれるようになったよなぁ、というのが、
長年持っている関心なのですが、それは話題がずれるので、ここまでとします。)
〉ある程度まで英語多読をやってきたら、辞書を引くのも、分からないところを調べてみるのも良いかもしれません。
〉ただ、これを続けるのは、(少なくとも私にとっては)自然な本の読み方ではありません。
〉多読三原則に外れた読み方を続けている場合、どこか無理をした読み方をしています。
〉そう言う読み方が必要な場合は、まあ仕方ないけど、必要もないのにやるのはどうでしょうか?
〉時々やってみるのも良いかも知れないのですが、長期にやると、どこかに変な歪みを作ってしまいそうな気がします(と言うより、私の場合は、途中でイヤになって続かないと思う)。
はい。ですから、本人がどうしてもやってみたい場合には、そうすればいい、と思ってます。
無理する必要なんか全然ない。
「多読三原則は絶対ではない」と言ってるだけです。
〉もし、母語の自然な読書のスタイルが、多読三原則を外れているなら、英語多読でも同じように、多読三原則を外れても良いようには思います。
〉でも、母語の自然な読書スタイルが、多読三原則に従ったものなら、多読三原則を外した読み方は、(その人の)自然な本の読み方ではない可能性が大きいのではないでしょうか。
母語の読書スタイルと、外国語の読書スタイルは、必ずしも一致しないのではないでしょうか?
一致する場合もあるでしょうが、一致しない場合もあると思います。だって母語ではないから。
いずれにせよ、自分の好きなように読めばいいのではないでしょうか。
外国語を読む足がかりとして「多読三原則」があると思っています。
もちろん、その後もずーっと守り続けていいし、「三原則」にはずれた読書をしたくなったら、
そういう読書をしてもかまわないと思います。
〉どのように読むのも、個人の自由ですが、必要もないのに多読三原則を外すのは、本を、どこか無理をして読むことになりそうで、私としては、簡単にお薦めしたくありません。
〉何か、必要があるとか、無理のある(かもしれない)ことを知っていて試みるのなら良いとは思うのですが…。
はい。同感です。
自分の直感がhappyなことをするのが、いいと思います。
〉多読三原則、とらわれ過ぎるのも問題があるのかもしれませんが、あまり軽く考えすぎるのも問題があるように思います。
確かに、自分の直感に従うということに、(私も含めて)現代人は慣れていないのかもしれませんね。
ついつい焦ったり、イヤなこともしなきゃと思ったり、頑張ったりしてしまいます。
なので、そんなことする必要ないよ、徹底的に楽しむだけでいいんだよ、ということを
具体的に教えてくれた「多読三原則」は素晴らしいものだと思います。
でもそれは、やはりあくまでも、「自分の直感にしたがう」に至るための道具であって、
「直感」と「三原則」が矛盾抵触する場合には、「三原則」が「直感」に道を譲るべきなんじゃないか、
と思います。
〉ではでは。
〉P.S.
〉上記の、辞書を引くとか、分からないところを調べると言うのは、あくまでも、本を読みながら…でです。
〉本を読むことに直接関係なく、辞書や百科事典を気の向くまま読んだりすることはあります。
〉でも、語彙を増やすため辞書を読むと言うのは、効率良いのかな?
〉今まで読んできた語彙を、整理するには良いと思いますが、新たな語彙を増やすために読むのは、効率が悪すぎる気がします。
〉知らない語について読んで、「へぇー」と思うのは良いけど、無理やり覚えるのは……。
ですから、それも、最終的には各人の直感にまかせればいいことだと思うんですね。
気分のいいことが、その人にとっての正解なんだと思います。
一日のうち、節目節目に、これはホントに自分がやりたいことなのかな?
惰性とか焦りでやろうとしてないか? 本当に一番やりたいと思ってることは何か?
と自分の感情をチェックしてみることがよいそうです。
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