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お名前: fiona
投稿日: 2008/10/16(18:27)
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たかぽんさん、杏樹さん、極楽トンボさん、再び今晩は。
多読三原則について、いろいろ議論があるようですが、
私は、いつまでも(多読の量に関わらず)重要な原則だとは思います。(少なくとも私にとっては)
単に多読初心者向け、だけとは思えません。
その理由は、母語(日本語)で本を読むとき、
特殊な例外を除いて、この多読三原則に従って読んでいるからです。
別に、誰かに言われた訳ではないのですが、
「辞書を引かない」「分からないところは飛ばすか雰囲気で流す」「つまらない本は、途中でやめる」と言うのは、私にとっては、母語(日本語)の読書の自然なスタイルです。
本を読むようになってから、既に(日本語は)数千冊は読んでいますが、(本を読んでいる途中で、またはその後で)辞書を引いたのは多分両手で数えるほどではないかと思います。分からないことを調べたのは、それよりは多いかも知れませんが。
(多分3、4才から)ずっと、辞書なんかほとんど引いていませんが、いつの間にか読めるようになっていたという感じです。
まあ、英語も同じじゃないの…と思っています。
あまり無理に語彙を増やそうとしても、弊害が多すぎるみたいだし…私は、そんなに急ぐ理由も、今のところありません。
ある程度まで英語多読をやってきたら、辞書を引くのも、分からないところを調べてみるのも良いかもしれません。
ただ、これを続けるのは、(少なくとも私にとっては)自然な本の読み方ではありません。
多読三原則に外れた読み方を続けている場合、どこか無理をした読み方をしています。
そう言う読み方が必要な場合は、まあ仕方ないけど、必要もないのにやるのはどうでしょうか?
時々やってみるのも良いかも知れないのですが、長期にやると、どこかに変な歪みを作ってしまいそうな気がします(と言うより、私の場合は、途中でイヤになって続かないと思う)。
もし、母語の自然な読書のスタイルが、多読三原則を外れているなら、英語多読でも同じように、多読三原則を外れても良いようには思います。
でも、母語の自然な読書スタイルが、多読三原則に従ったものなら、多読三原則を外した読み方は、(その人の)自然な本の読み方ではない可能性が大きいのではないでしょうか。
どのように読むのも、個人の自由ですが、必要もないのに多読三原則を外すのは、本を、どこか無理をして読むことになりそうで、私としては、簡単にお薦めしたくありません。
何か、必要があるとか、無理のある(かもしれない)ことを知っていて試みるのなら良いとは思うのですが…。
多読三原則、とらわれ過ぎるのも問題があるのかもしれませんが、あまり軽く考えすぎるのも問題があるように思います。
ではでは。
P.S.
上記の、辞書を引くとか、分からないところを調べると言うのは、あくまでも、本を読みながら…でです。
本を読むことに直接関係なく、辞書や百科事典を気の向くまま読んだりすることはあります。
でも、語彙を増やすため辞書を読むと言うのは、効率良いのかな?
今まで読んできた語彙を、整理するには良いと思いますが、新たな語彙を増やすために読むのは、効率が悪すぎる気がします。
知らない語について読んで、「へぇー」と思うのは良いけど、無理やり覚えるのは……。
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