Re: 飾りじゃないのよ阿弥陀は

[掲示板: 〈過去ログ〉多読と英語学習・試験に関する掲示板 -- 最新メッセージID: 1756 // 時刻: 2024/11/24(04:10)]

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226. Re: 飾りじゃないのよ阿弥陀は

お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/15(02:36)

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杏樹ぽん、ぽにょぽん。

〉〉私も、以前は、ときどきありました。
〉〉今は、さすがに足かけ8年もやってるからか、英文和訳装置がはたらきません。
〉〉文章の意味はわかるんですけど、訳語は出て来ない。
〉〉学生時代が大昔のことになり、単に忘れてしまっただけだと思われますが…

〉単に「昔」じゃなくて、多読しているうちにどっかへ行っちゃったんじゃないですか。

かもですね。行く川の流れは…

〉〉それで、ちょっと気になったんですけど、私だけがわかってないのかもしれませんが、
〉〉多読三原則に則った読書だけが「多読」なんでしょうか?
〉〉なんか、そういうとらえ方が圧倒的なようなので、あれ、私ってヘン?とか思ってます。

〉「圧倒的」ということではないでしょう。最初のうちは勉強の意識を洗い流すために必要なものですが、語数が増えて自由に読めるようになったら掲示板に来なくなる人も多いじゃないですか。掲示板を必要としているのは、多読を始めていろいろ考えたり悩んだり相談事のある人で、それはやはり初心者に多いわけですから、「多読三原則」の看板を掲げておく必要はあるわけです。
〉むしろ多読で好きな本が読めるようになったら、みんな好きなようにしてると思うんですが。100万語超の報告を見ますと、多読三原則に縛られて悩んでいる人がそんなに多いようには見えないんですけれど。

いえいえ、「多読三原則に縛られて悩んでる人が圧倒的」とは言ってないです。
「多読三原則に則った多読を「多読」、ととらえてる人が圧倒的」と思ったんです。
(もちろん、「圧倒的」との認識は間違っているかもしれません。)

「多読以外に精読を…」とかの言い方を見ると、「あれ?」って思うんです。
多読って言葉からすると、要は、外国語を直接たくさん読む、ってことに尽きるんだから、
別に「三原則」に則ってなくても多読なんじゃない?と思います。

そして、「三原則」に則った多読だけを「多読」ととらえる姿勢の中に、
精読をしたいんだけど「多読」に反するからダメだろうか、とか、
英英辞書でいっぱい調べたいんだけど「多読」に反するからダメだろうか、などの、
無用な悩みが生まれているような気がするんですね。

〉自由奔放なたかぽんから見ると自由度が足りないように思うのかもしれませんけれど、どこまで守ってどこまで自由にするか、も人それぞれじゃないですか?突然パカっと自由になる人もいれば、徐々に解放される人もいるでしょうし、私は「わからないところは飛ばす」「つまらない本は投げる」は守り続けるつもりです。

もちろん、同感です。人それぞれだと思います。
私は、多読三原則を捨てなければならない、と言ってるわけじゃなくて、
その人が窮屈になれば多読三原則を捨ててもいいのでは?、と言ってるんです。
不快になってまで守り続けなければならないような原則ではないよ、と。

私も、いまだに語数を数えたり、多読や多聴のみで会話には出ていませんから、
もっと自由な人から見れば、なんとも不自由な感じに見えると思います。
でも別に、今はこれで快適だから、いいんです。また気分が変わってきたら考えますけど。

〉ということで、やっぱり禅問答みたいになってきますね。
〉多読三原則から開放される自由、多読三原則を守る自由、どちらも自由。

どちらも自由です。当然です。


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