Re: 飾りじゃないのよ阿弥陀は

[掲示板: 〈過去ログ〉多読と英語学習・試験に関する掲示板 -- 最新メッセージID: 1756 // 時刻: 2024/11/24(04:10)]

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225. Re: 飾りじゃないのよ阿弥陀は

お名前: 杏樹
投稿日: 2008/10/15(02:05)

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たかぽんぽん、こんばんは。

〉私も、以前は、ときどきありました。
〉今は、さすがに足かけ8年もやってるからか、英文和訳装置がはたらきません。
〉文章の意味はわかるんですけど、訳語は出て来ない。
〉学生時代が大昔のことになり、単に忘れてしまっただけだと思われますが…

単に「昔」じゃなくて、多読しているうちにどっかへ行っちゃったんじゃないですか。

〉それで、ちょっと気になったんですけど、私だけがわかってないのかもしれませんが、
〉多読三原則に則った読書だけが「多読」なんでしょうか?
〉なんか、そういうとらえ方が圧倒的なようなので、あれ、私ってヘン?とか思ってます。

「圧倒的」ということではないでしょう。最初のうちは勉強の意識を洗い流すために必要なものですが、語数が増えて自由に読めるようになったら掲示板に来なくなる人も多いじゃないですか。掲示板を必要としているのは、多読を始めていろいろ考えたり悩んだり相談事のある人で、それはやはり初心者に多いわけですから、「多読三原則」の看板を掲げておく必要はあるわけです。
むしろ多読で好きな本が読めるようになったら、みんな好きなようにしてると思うんですが。100万語超の報告を見ますと、多読三原則に縛られて悩んでいる人がそんなに多いようには見えないんですけれど。
自由奔放なたかぽんから見ると自由度が足りないように思うのかもしれませんけれど、どこまで守ってどこまで自由にするか、も人それぞれじゃないですか?突然パカっと自由になる人もいれば、徐々に解放される人もいるでしょうし、私は「わからないところは飛ばす」「つまらない本は投げる」は守り続けるつもりです。

ということで、やっぱり禅問答みたいになってきますね。
多読三原則から開放される自由、多読三原則を守る自由、どちらも自由。


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▼返答


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