[掲示板: 〈過去ログ〉多読と英語学習・試験に関する掲示板 -- 最新メッセージID: 1756 // 時刻: 2024/11/24(05:42)]
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"こるも"さんは[url:kb:215]で書きました:
〉極楽トンボさん、こんにちは。
〉たかぽさんでも、fionaさんでもないですが、こるもです。
こるもさん、レスありがとうございます。掲示板の下のほうになってしまったので、誰も読んでくれないかも、と思っていました。わたしも184,191のたかぽんさんのとfionaさんのしか読んでないので。
〉ところで、100万語通過のスレに書かれていた、「わたしは投げたことがない」
〉に、大受けしてしまいました。
susumuさんの100万語通過を祝って一曲歌ってしまいました。
〉以下、切断しながらですが、ごめんなさい。
〉〉ある著名なタドキストの「多読は、英語を英語として読めばよい」という名言が最も印象深いです。
〉ほほう。
〉そんな言葉があったんですか。
摩耶峰央さんの人気漫画のキャラクターをハンドルネームにしておられる方です。
〉英語は堪能ではないですけど、自分の場合を考えてみました。
〉たまにですけど、「和訳はできないんだけど、内容はわかる」ことがあります。
〉このときは、分析はしていないと思う。
〉あと、英語を話しているときに、日本語で考えてしまうと、うまく出てこない。
〉なんとなく「言いたいこと」をぼんやりと思い浮かべて、それにあった英語を探す方が、うまくいく。
〉日本語が入って来ちゃうと、それに引きづられてしまう。
〉だから、英語の人と英語のみで話しているときはいいんですが、
〉他の日本語の人に「〜って、英語でなんて言うんですか?」とか聞かれると、もうだめ。
〉たいがい答えられないし。
〉体に英語がたまってくれば、英語の回路ができてくるんではないかな?と、勝手に思っています。
〉今はまだ、回路もちゃんとしていないし、スイッチもうまく入らなかったりするのでだめだめなんですが。
〉期待は持っています。
心の中に英語だけの言語空間を持たないと、とくに会話ってダメなんでしょうね。英語でものを考えるってそういうことでもありんでしょうね。
〉〉とすれば、仏教の本を読むとよく出てくるあの有名な喩えが参考になるにちがいありません。ありがたい教えというものは、筏と同じで、向こう岸の目的地に渡ったらもう不要なんです。だからそんなものにとらわれてはいけないんです。わたしにとって多読三原則は本当に役に立つけれども、いつか不要になるときがきっと来るんだと思いながら、多読をずるずる続けている次第です。
〉この、筏のたとえも、うまい。
〉いつまでも、しがみついていては、だめってことですね。
〉たぶん、そう遠からず不要になるのでは?
〉と、予言しておきます。予言者こるも。
〉でもあんまり気にしない方がいいかと思いますけど。
だって、このまま子供の英語の本ばかり読んでいる変な中年オヤジのままでいたくないもん。
心の自動翻訳装置を解体一掃しないと英語の本が読めるようにならないと思って、目の敵にしてきたのですが、上述の経験を経て、水車小屋を解体してしまうと、本を考えながら読むことができなくなってしまうことに気がついたのです。英語でも使えるように水車小屋をパワーアップしながら、しかも和訳モードのみ抑制するのが目標になったわけです。
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