ケンブリッジ英検について/再読について/ピアノと英語(訂正後)

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1309. ケンブリッジ英検について/再読について/ピアノと英語(訂正後)

お名前: faure1845
投稿日: 2013/8/31(09:00)

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私ばかり登場してまた嫌になりそうですが、ご勘弁ください。

◎ケンブリッジ英検

調べてもよく分かりません。

会場も限定されていて、海外で受けるとしたら・・・とかいろんなことを考えていたら、ネットで調べた情報が自分にはあてはまらなくて。

ケンブリッジ英検のヨーロッパの英語力の6段階の指標(A1〜C2)でいうと、B1とB2に相当するくらいの試験を受けよう、それも、受かる力がついてきたなと思った時に受けようと思います。

一応、真剣に考えているので、分かってらっしゃる方は教えてください。

その他の試験にも触手を伸ばしていたので、いきなり感が漂っていたので、前投稿消しました。

TOEICは年内、TOEFLは3年後くらい、英検はぼちぼちなので重複はありません。

ケンブリッジ英検に関しては語学留学することになったら、記念受験みたいな感じで受けたいので、一応、レベルの高いのは避けて、きっちりそのレベルの力あるな〜と分かって楽しめるくらいの時期・レベルの時に受けようと考えてます。

◎再読、聴き読み、黙読、何読?、ピアノと英語(短い)

ちなみに現在も、ランナーズハイ継続中。今日、1か月100万語に到達するのは必至です。

再読、聴き読みの方で変化がありました。

再読の聴き読みのOBW1〜OBW3に関しては、2倍が遅くてじれてきました。全然違う事考えたり、ポリポリ掻いたり、毛抜きしたり、遅くて暇?になってしまい、効率がない・・・と思いきや、しっかり聴いている、あるいは、音は先に行っているけど、黙読で後から怒涛のごとく追い上げたら、音にすぐ追いつく。

それで、変な癖ついたら怖いので、黙読しようと音なしで多読(再読、回数は引かれるので言いません。)してみると、何故か、日本語で読書しているときと似たようなことが起こりました。

ケンカの相手(過去)への返し文句を思考の中でつぶやいてみたり、簡単な英語が頭に浮かんだり、脳内音読が勝手に始まったり、「これ良い表現じゃん」と感心したり(日本語で)、40〜60%とかそのくらいの労力で文字を追ってみたり、ブロック(一文、文の中の節の単位)が瞬間でとれたり、しんどくてもなぜか疲れなかったり(省エネ多読?)・・・尽きません。

分速300語の後、伸びません。

雑念が入るせいで、それ以上はいけないです、今の所。

後、PGRを10冊以上、とか、PGR0は分速を確認するのに格好の素材という話を聞いたことがあるのですが、自分にとって、OBW1・OBW2が読書の体力をつけるために、あるいは読速を確認するのに非常に役立ってます。

また、GRは不自然な感じがするときは確かにあります。

が、再読でも、再読だからこそ飛ばし読みも聞き飛ばしも容易です。

気に入ったところだけ、素晴らしい部分を念入りに、知りたい情報にフォーカスする、間違いさがし(文法・語彙制限がなかったらこうかなあとか思案することも含む)などしてみたり、好き勝手やっているので、もう何回やっても飽きませんね。

自分流もいいとこです。

再読も回数がおかしいです。スコットランドは46回、南極の話は33回、ピアノの話は22回、これがトップ3です。

一日に同じGR、短ければ3回くらいならちょっと気張れば無理なく読めるくらいになりました。(5000語レベルとして、3回で聴き読みなら90分、黙読なら60分程度)

これも全部、試みです。

どこまでも行きます。

一応、1〜2回の再読、数十回単位の再読で内容の定着を考えると、この間に「もう読みたくな〜い」という強い拒否反応出ること容易に想像つきますが、20回くらいまでいくと、その本自体が間違っていようと、内容が易しすぎようと、自分の飼っているペットとか、もうそれくらい愛着でます。

そしたら、「1日2回以上読んでも良いんじゃない?なら3回でも良いんじゃない?」と思うようになりました。

しかも、読速測るのが一番の動機(不純?)で読んだり、再再読で読速が上がるかなあっていぶかしがりながら読んだり、もう苦痛だから再読しか受け付けないって読んだり、とにかく愛着があるから気づいたら手が伸びていたり、フレーズを見てここで感動したなと思い返したくて読んだり、朗読の音に惚れたからもう一度聞きたくて読んだり、もう一回聴きたくて読んだりという理由も様々です。

だから見える景色が違うのです。

それと、46回読んでも33回読んでも22回読んでも、解像度は99.5%とか99%くらいで止まりそうです。

100%を目指すと苦しいと思います。ネイティヴの知り合いが少ないのでよく分かりませんが、彼らの100%、見たことありません。プロピアニストも然り。

日本語の本に置き換えても、再読しようと乱読しようと100%いかないのと同じだと思います。

あと、ピアノに置き換えると、曲数こなすのも、同じ曲を長いこと弾き続けるのも、聴くのも(なるべく良いものですね)、反復練習も、どれも欠かせません。

英語とピアノは共通項が多いように(勝手に)思っています。

どちらも人気の御稽古事で、メソッドも乱立していて対立もあるし、どちらも知っていて「job」になっているだけに、数え上げたらきりがありません。

それについては、共感を得られなさそうなので書きませんが、再読はものすごい回数やると、「一生のうち、もうこの本読めないと切ない」というレベルになってまいります。

出会いばかりがフューチャーされがちですが、ものすごく長くお付き合いした家族・仲間・恋人と別れるように、46回読んだ本をもう永久に「投げる」というのは、ショックが大きすぎて、全く考えられません。

一回の読書で何を得るかということがむしろ打算的に思えてきて、再読の連続は何か人生の活動に通じてきて(再読嫌いの方、すみません)、どんどん思い入れや思い込みも深くなったりしますが、一方、その本自体のことがよく分かるようになりました。

再読で得るものが少なくても、同じことを何度も繰り返すことでしか見えないことが見えたのは、大きな収穫でした。

ピアノも、同じ曲を5年間弾き続けています(再読にしたら千単位ですね)が、分からなくても、力がつかなくても、それを「job」にしてる人間のくせに、それでいいんだと思って、思い込み・思い入れが深まるにつれ、自分流の曲の理解がぐっと深まり、演奏も説得力が出ます。

転じて、多読もその本に「入れ込ん」だら、多読(再読オンリーで述べさせてください)の説得力も深まるかなあ?って漠然と思ってます。

一回きりの出会いも素敵だなあって思えます。だって、一回あったら二度と会わないのですから。その時にどんなロマンチックな出会いをしているのでしょう?

だから、再読はすすめる派にはなりたくないですし、自分の回数を誇りに思うこともありません。

トップ3の回数の本は、もう家族みたいです。

家族のカタチが様々であるように、多読のカタチも様々で、再読をどれだけするかというのも自由です。

何かの縛りから大きく解放されて、再読しまくることが罪深いことと思っていたら、いきなし悟りを開いてしまったので、報告させていただきました。

多分、人生経験が0(そんな人おらんでしょうに)だったら、多読の効果は0だと思いますが、色んな経験をしているから、多読に効果がある。

ただ、小さいうちに始めると何でも上達が速く、優秀な子は若くても深い気付きを得る、もしくは余計なことを考えないでピュアに多読する。

それを経験していないので、それはうらやましいですが、ピアノで経験したものを多読で追体験だと勝手に思っているので、よしとします。

あと、自分は多読が学習になることも趣味になることもあるので、全く別の世界に住んでいる変人だと思ってください(笑)。

ものすご〜い長文ですが、読んでくださりありがとうございました。


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