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お名前: 酒井@快読100万語!
投稿日: 2006/9/12(23:36)
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寅彦さん、こんばんは!
酒井@快読100万語!です。
〉みなさん、こんにちは。
〉前回9月4日に「424. Re: SSSとは何? やや長文」という書き込みをしてから一週間が経ち、その間に、9/10の丸の内オアゾでの講演会にも出て、私の考えも少し変わったような気がしますので、再び書き込みさせていただきます。
〉酒井先生の本を二冊読みましたが、この掲示板にはまだ三週間目ですので、大きな勘違いもあるかも知れませんがお許しください。
特に勘違いがあるようには思えませんでした。
というより、許すも許さないも、みなさんが好きなように受け取って
くださっても、提唱者としてはちっともかまいません。
〉前回、SSS多読を、語学学習法のパーツの一つとして捉えようとする私のアプローチについて書かせていただきました。
〉あるものをパーツとして考えるとき、そのパーツは純粋である方が扱いやすいと思います。
〉例を挙げますと、昆布と醤油と塩を組み合わせて、自分の独自のだし汁を作ろうと思った場合に、実は醤油がニンニク醤油だったり、塩がシソ入り塩だったりすると、自分の望む配合にならないというようなものでしょうか。
〉あるいは、株式投資をする際に、複数の業界に分散投資をしようと思って、メーカー、商社、金融機関の株式に投資したのですが、実はメーカーが多角経営を初めて、グループ内に金融子会社や商社を持ってしまったために分散の効果が得られないというようなものでしょうか。
とてもおもしろいたとえで、感服です!
(どうも用語がふるいなあ・・・)
〉SSS多読の原型については、「辞書は引かない、分からないところは飛ばす、つまらなければやめる」という三原則に基づき、「楽しくPBを読むことを目指す」というものであるということだと思います。
〉酒井先生の本からも、そのような印象を強く受けました。
その通りです!
多読三原則を一言でいえば「楽しく読む」だということは何度も
書いています。その通りです!!
〉楽しくPBを読めるようになるためにSSS多読が適していることは前回も書きました。
〉この原型を基礎に、「受験を乗り切るSSS多読」(9/17の講演会には参加できません。残念)とか、ディクテーションを取り入れたSSS多読とか、精読も加えたSSS多読とかが出てくるのですが、それらの発展型は、「SSS多読と、別の勉強法とを組み合わせたもの」として整理するのがわかりやすいのではないかと思いました。
〉少なくとも、パーツに興味のある私としては、上で書いただし汁の例のように、SSS多読をピュアな形で意識できるのはうれしいです。
〉ここが混乱したままで、原型をSSS多読と呼ぶ人と発展型をSSS多読と呼ぶ人が混在すると、同じ言葉を使っていながら意味するものが異なってしまい、議論が平行線を辿るのではないでしょうか。
〉仮に、原型をSSS多読と呼ぶのであれば、「SSS多読には精読がないから駄目だ」という批判は的はずれであり(それは精読と組み合わせれば良いのですから)、また、その批判に対して、「いやSSS多読には精読もある」という反論も同じように的はずれなものとなります。
〉酒井先生や古川先生が、(別のパーツとしての)シャドーイングを加えなさいとか、会話学校に行くのも良いでしょうとおっしゃる時に、先生方の頭の中には、原型としてのSSS多読の長所・短所がきれいに見えているのではないかと思います。
はい、そのつもりです!
〉よって、「PBを楽しく読む」ということ以外の目的にSSS多読を行かそうとする場合に、どのようなパーツを足せば良いかが見えているのだと思います。
〉私が残念に思うのは、(私が外国語学習法に興味があるからですが)その先生方の思考過程が先生方の頭の中だけにあって、この掲示板に見えてこないことです。
そうかもしれません・・・
どうしてそういう印象をあたえてしまうのかというと、
学校英語のせいで、まずは「学校英語を捨てましょう!」という
メッセージを強調する必要があるためです。
ぼくの経験では「わからないところは飛ばしていいよ」と指示した
だけで、ペーパーバックを読みはじめた人が何人かいます。
こういう人たちは学校英語の影響をほとんど受けなかった人で、
こういう人たちにはむしろ「英英辞典を引いてごらん。役に立つし、
おもしろいよ!」といってあげたいくらいです。
でも、そこまで「離陸」が早く、簡単な人はめったにいません。
ほとんどの人は学校英語の呪縛から逃れられずに苦しんでいます。
そこで、「辞書を引いちゃダメ」という言い方になるわけですね。
この表現が当てはまる人が一番多いと思われるのです。
〉学習法としてのSSS多読に興味がある方もいらっしゃるのではないかと思いますし、それを論じる掲示板があったらなぁと思いました。
多読は(「SSS多読」という表現はぼくはしたことがありません。
「SSS多読」は古川さん個人のものです。念のため)
学習法ではありません、ぼくの中では・・・・
多読を学習法と思って関心を持ってくださる方には「多読は学習法では
ない」とは言いませんが、いつか「単なる学習法ではない」と
了解してほしいなと思っています・・・
したがって、学習法としての議論の場にはあまり興味がありません。
ただし、古川さんはきっとそういう議論に参加して熱弁を振るって
くださると思うので、そういう場を設けることに反対はしませんが。
〉「SSSとは何?」とは、Tallinnさんの前のスレッドでしたが、それを明らかにする意味はあるのではないかと思いました。
そういうわけで、「学習法」というきわめてせまい範囲での議論は
ぼくにはあまり意味があるとは思えません。
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