[掲示板: 〈過去ログ〉英語で趣味を楽しむ -- 最新メッセージID: 1605 // 時刻: 2024/11/23(11:55)]
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杏樹さん、akoです。
ご丁寧な返答ありがとうございました。
連休が入ってしまって、返答タイミングがズレましてすみません。
〉アメリカでは白人クリスチャン以外のマイノリティーが増えたため、「Mary Christmas」というあいさつの代わりに「Happy Holiday」という言葉が考え出されたそうです。
Wow ! どのくらい普及するか、要経過観察。(これは人間ドック用語(笑)
>日本のクリスマスは「主役のいない誕生日パーティー」をしてるようなものです。
その表現、上手い!
〉いえいえ、akoさんはもっと「へぇ〜」な話題をお持ちだと思います。
それで食えりゃー言うこと無いんですが(苦笑)
〉〉「中国では…」の一文を書いてみてよかった!
〉〉私見でいいんです。きっと杏樹さんが何か説明をくれると思ってたんです。
〉秋男さんみたいですね…「中国」と書くと私が出てくると思われてる…。
出てきて下さってありがとうございます。投稿冥利です。
〉サン・ジョルディ=聖ゲオルギウス?!
〉気がつかなかった!!
〉といいますのは…
〉「ゲオルギウス」はスペイン語では「ホルヘ」なんです。
〉スペイン語→Jorge(ホルヘ)
〉スペイン語だと Jも Gも 「H」の音になりますから。
おお! 「ホルヘ」になるのですか〜
そうすると、Shinjukuは「しんふく」 「あしたのホー(Jo/Joe)?」 スペイン語もおもしろそう〜
あと間違い記述がありました。
ドイツ語 Georgは、ゲオル「G」ではなく、ゲオル「K」でした。
さり気ない訂正ありがとうございます。
〉ああ、でもサン・ジョルディの日に本を贈るのはカタルーニャでしたね。カタルーニャだからJは「ジュ」でいいんですね。「ディ」のナゾは残りますが、カタルーニャ語ではそれでいいのかも…。
カタルーニャ語について、ちょっとネットで探してみたんですが調べ切れませんでした。
自分のネット利用力不足、さらに精進します〜
〉よろしかったら来年の旧正月には中華街へどうぞ。私は神戸の南京町の春節祭に行ったことがあります。龍踊りをやってました。赤は中国ではおめでたい色です。中国の結婚衣裳は赤。結婚式の招待状も赤い紙を使います。お年玉袋も赤。
お年玉袋まで赤とは、徹底してますね。
赤いものに囲まれて、元気が出そうな、疲れそうな。
(やはり中国の皆様はパワフルですね…かないません。「頑張れ」が「油を加える」と言うだけのことはある…加油)←漢字のフンイキで言ってます。
〉そもそも児童文学の起源がまだそれほど古くないんです。18世紀末〜19世紀ぐらいでしょうか。いわゆる「昔話」などは、今は子どもの読み物と思われていますが、もともとは口承文学で、必ずしも子どものためのものではないんです。グリム「童話」も、グリム兄弟が口承で伝えられてきたお話を再構成したものですから。
〉マザー・グースも伝承の歌であって、必ずしも子どものために作られたものではありません。
〉グリム童話もマザー・グースも「怖い」「残酷」な面を持っているのは、伝承文学・口承文学が本来子ども向けに作られた文学ではなく、長い時間をかけて人間の深層心理が「おはなし」「うた」の形を取って形成されたものだからです。
歴史と心理と文学と英語の接点到来! ワクワクしました。
〉子どもを意識した創作が行われるようになったのは19世紀ぐらいのはずです。(すみません、ウロ覚えで書いてます)。それで、愛嬌のあるドラゴンや被害者ドラゴンなど、悪役イメージを覆すようなものは、そういった創作の児童文学、絵本の産物ではないかと…調べるのが面倒なので憶測で書いてしまいますが。
〉「子ども」というものが独自の存在として意識されるようになったのは確かに19世紀のことなんです。もちろん、西洋文化の中のお話ですが。
以前にも、世界史クラブで話に出たことがあります。
フィリップ・アリエス「子どもの誕生」だと思います。(原著フランス語)
[url:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4622018322/qid=1115052144/sr=1-3/ref=sr_1_10_3/250-8785637-5369039]
> それまでは子どもは一人前の人間になる前の過程に過ぎず、特に子ども向けの文化が意識されることはありませんでした。
子ども向けのお話、子どもの情操教育など、単なる大人になる前の一過程ではなく子どもには子どもの世界があるという意識が生まれたのが19世紀です。
ですから児童文学というものもそのころに発生したのだと思います。
幼児教育等の分野も同様のようですね。
コドモ好きを自認するakoとしましては、この世には子供観そのものが違う世界がある、ということを初めて知った時、
人の価値観の違いというものは、ここまで違うことが可能なのかと、感心したものです。
〉ついクドクド語ってしまいましたので、以下略…にします。
杏樹さんの語りは、いろいろな示唆がありますし、
私にとってはどれも、多読意欲につながります。
多読による英語との付き合い方は、道徳的にも宗教的にも、他いろいろな○○的にも、欧米文化に深層の部分で触れるように思いますし、
背景知識があると英語も読みやすくなる、ということがSSS学習法にも書いてありました。
英語圏の児童書には、かなり政治的な部分についても、その深層や基盤に触れるものが多々あるように思います。
コドモ時代にあーいう価値観で育つと、あーいう思想になるのかもしれない、といった想像が働くようになり、国際問題の見方が、とても複眼的になれるのではないか、とワクワク期待してます。(政治、宗教の話題はご法度ですから、内容には触れられませんが)
そんなワケで、世界史フリークはますます多読の沼にハマル一方です。
ただ児童書は、主人公になりきって本の中の世界に浸りきって読めばいい、というのが第一ですよね!
杏樹さんが、愛で「指輪」を読みきったように…
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