[掲示板: 〈過去ログ〉英語で趣味を楽しむ -- 最新メッセージID: 1605 // 時刻: 2024/11/23(03:43)]
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お名前: ako
投稿日: 2004/9/1(03:15)
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杏樹さん、お待たせakoです(別に待ってないか。。。)
〉こうなったら徹底的に話しこみましょう。どうせここは「趣味の広場」…え?
ふっふっふ、そんなことを言われてはハートに火がついてしまうではありませんか! では引用をなるべく少なくして短くする努力をしながら・・・
〉バスティーユを旧体制の象徴として、それをドラマチックに攻撃した、という図式の方が大衆にもわかりやすくて面白い物語になります。
〉大衆はわかりやすくて面白い物語を求めるものです。
ベルバラはこれで成功したと言えますね。(ファンに怒られるかしら、アタイもファンだけど)
〉私は史実をきちんと追及したいほうですが、そうなると通説、俗説いろいろある出来事が「実はこうだった」ということがわかってきます。しかし歴史に興味のない一般の人に対してそれを言ってもなかなか通じないんです。うるさいことを言う、みたいに思われて。
ふむふむ。「うるさいことを言う」と実際に言われたことがおありのような・・・
akoも基本的に史実を知りたいと思うほうです。
でもお遊び的に「家政婦は見た! バスティーユの裏側!!」みたくワザと暴露的に楽しむのも好きです。
好きモノだけで楽しんでこそ趣味ってもんですよ!
しかし同時に、大衆が、わかりやすい虚像の物語を求めるのは一体何故なのかという部分にも、非常に興味があるんです。
その場合、歴史に関心がないと明言している人が、何故、歴史に関心がないか、なんてことを考えます。
関心なくても水戸黄門は知っているのは何故かとか、いつから何故嫌いになったかとか、よい機会さえあれば関心を持つようになる可能性はあるのか、機会があっても関心もたないのか、とか、そういったことへの関心です。
こういうことに関心を持ち始めると、歴史に関心のない方々が大量に存在しても、失望することなく、楽しく共存することができます。
実際、「正確な歴史」とか「真実」とか言っても、終わってしまった出来事を後世から見るわけですから、常に限界があり、
しかもその出来事のことを、誰(どういう立場の人)が言っているかで変わってきてしまう。『羅生門』です。
歴史嫌いの人というのは、歴史好きが真実追求にこだわるところ等がお嫌いな場合もあるようですね。
関心の無い人にとっても歴史が意味のあるものになるためには、
もっと歴史の持つ、別の要素を知っていただくよう、私たちスキモノが考えてみる余地があるように思います。
義経などは、非常にわかりやすい例ですね。
真実は違うんだろー、とわかっていても、好みのハンサム役者などを当てはめて空想するドラマはやはり楽しい。(自分も大衆ですもの〜)
真実でないとわかっていても、楽しい、許せるのは何故なのか、
勧善懲悪や悲劇話で一時的にせいせいできるといったこともあるでしょう。
しかし大衆が、虚像の物語を望む理由には、もっと別の要素があるのではないかと思っているところです。
神話ができる時も、同様の要素があると思っています。
そこらへんがまだ勉強不足で、これからなんです。
私たちが、ファンタジー、小説などを好んで読むことにも通じると思っていますので、大変な話になってしまいそうです。
〉試験に出る部分を覚えるのには苦労しました。年号は苦手だし、好き嫌いが激しいし。
これこれ! 杏樹さんの「好き嫌いが激しい」 これを自覚しているところがいいのよぉぉ
好き嫌いがハッキリある子供って、健全だと思います。
でも近代以降の学校制度は、生徒皆に同じものを与えて、序列をつけて、選別のデータにするというシステムになってますね。
これは、資本主義社会が均質な人材を必要としたことから、学校業界は大人社会の要請に応えたものだという説明がなされている本を読んだことがあります。
日本が、産業化で欧米に追いつかないと、植民地にされちゃう!という危機の時の、殖産興業の時代のことですね。(これ、よく教科書太字項目で言われる言葉なので使うのは嫌なんだけど)
明治維新の頃は、仕方なかったのかもしれないと思います(少し諦観)
しかし、それが行き過ぎちゃって、学校が人間の品質管理工場のようになってしまい、
もはや、21世紀の今なんて、人間の均質な品質管理をしない方がいい時代になっているのに、
前の時代のやり方をなかなか変えられないんだろうーと。
英語教育もその中で為されてきたから、他の科目と同様、教師の都合中心の一斉学習スタイルになってしまったようですね。(私たちってその制度の犠牲者ね。よよよ・・・涙涙、でも一応、SSSっぽい話につながった)
今後、SSS的な多読授業が英語教育界に広まるかどうかも、このへんにかかってそうです。
〉試験に出ないところを覚えてはいけないんです。試験に役に立たない勉強はしてはいけないんです。
ううう何か切実。杏樹さん〜〜〜 ごめん〜 つまんないこと思い出させてしまったみたい〜
〉実は私は高校2年の夏休み、インド史のレポートが宿題に出ました。
〉とにかく文章をみっちり書き上げました。が、しかし提出しても先生からは何の反応もありませんでした。
ひでーーーーー なんだーーー そのセンコーーー 何とか言えよぉおー
アタイだったらグレてやるぅーーー ……し、失礼、つい若い頃の……
〉それどころか、2学期の中間試験の点数が1学期より悪かったので、成績が下がってしまいました。
し、しどい・・・
〉つまり、学校教育は、出来ないものにはコンプレックスを持たせ、出来るものも伸ばさないんです。試験に出ないようなことはやるだけ無駄なんです。
そうやって、ただ試験で点数を取ることだけを良しとしているのが問題だと思います。
あああ、何度読んでも泣きそう〜〜 辛かったのですねぇぇぇぇ
出る杭は打たれるっってヤツじゃないのぉぉ? 杏樹さん、個性ハッキリしてるタイプだから〜(akoには言われたくないわね(^^;;)
この際、全部吐き出して、ラクになって下さいねぇぇぇぇぇ
特にここ、これ! →「試験に出ないようなことはやるだけ無駄なんです」 ← 涙なしには読めませんよぉ〜〜ここ〜
生徒にこうまで言わす教師って何なのぉ〜〜
受験制度上、仕方なく試験はするけど、「ホントの勉強はこうじゃないんだよ」って言って、
一緒に社会の矛盾に涙して、生徒に希望の火を消さないよう気配りするのが教師の仕事だろぉぉーーーがーーーよぉーーー はぁはぁ、何かリキ入ってしまった。
中村雅俊『夕陽丘の総理大臣』等で育ってるモンで…。もちろん反町の『GTO』も『ごくせん』も好き。
でも(小さい声で)ホントは試験に出ないこと、色々やったでしょ? akoは随分やりましたよ。(ポーの一族の年表作りとか…バビル2世のあの塔は、いつどうやってできたか、とか)
〉〉何しろ、ICRのレベルゼロから、「Mine is Best !!」 の世界観ですから。
〉〉ああいうのを、5歳の頃から読むわけですから、その心理的な刷り込み効果は相当なものだと思います。
〉その本は知らないんですが、なんだか恐そうですねえ。
あははは! しまった!
未読の人が偏見を持ってしまうようなことを書いてしまったかも! 偏りすぎの見解でっす。
この本は、コドモが自分の持っているオモチャ等を「ボクのが一番いいんだぃ!」なんて言っているだけのよくあるコドモ話ですので、
基本的に「ほのぼの〜」「かわいい〜」です。akoだって、そうは思っているんです。
ただ、コドモ時代、自己主張の強い子が肯定的な存在として出てくる本ってあまり読んだ記憶がないので、余計そう感じたかもしれません。
(和書の絵本、ほとんど知らないので、そういうのご存知の方がいらしたら教えて下さい〜。)
欧米人って、自分に対する自信のある人が多いように思うので、
もしかしたら、そうなるまでの人格形成に、こういうコドモ本も関係あるかな、、、と。
akoの見方が、変わっているだけかもしれないです。
(「あのカワイイ本をそういう風に言うなんて、akoってヤツ、許せん!」と思う人がいることは覚悟の上・・・)
しかし杏樹さんの感想はぜひうかがいたい。見つけたら読んでみて下さい。短いからその場で立ち読みできます。
〉歴史を「物語」に変換してしまう力。「有名な物語の構造を比較する」と、そういう図式も見えてくるのではないでしょうか。
〉そういえば「英雄は生きていた」伝説も多いですね。
〉源義経も
〉フリードリッヒ・バルバロッサも
そうなんです。
英雄物語に人々が求めるものって、洋の東西を問わず、それほど違わないみたいで面白い。
アーサー王の騎士たちは、正義、礼節、忠信等の美徳がありますが(カッコいいわよねぇぇ、よろめき〜) それって、イスラムの騎士文化(サラディンあたりが英雄。クルド人ですよ、確か)の価値観と同じだし、
日本の武士道にも通じますよね。(これはこれで、別の問題があるだろうけど、ちょっと別にして、とりあえずカッコいい騎士像に酔っておく)
日頃のニュース報道やミステリー小説などでは、私たちは真相を明らかにする、真実を知りたい、と思うけれど、
こと神話・伝説という壮大なものになると、虚像や作り話を求めるのは一体どうしてなんだろう〜〜〜 という関心なんです。
杏樹さんが書いた通りで、神話の誕生も、私たち大衆が虚像を望む心から来ているらしい。
もう謎だらけなので杏樹さんにも一緒に考えていただきたいテーマです。
多読で、関連しそうな本と出会えたらご投稿下さい。
〉中国語はテレビで始めたので、最初から発音練習込みでした。あとは独学が多かったので、ほとんどテープ併用です。
〉音声を何度も繰り返し聞く、というのが一番楽な方法ではないかと思い至りました。それに、どんな外国語でもカタカナ発音はダメだと思っていますので、本だけの勉強はダメです。音を聞かないと。
SSSが、多読とシャドウイングを並行して指導していることと通じますね。
「思い至りました」とあるとは、相当長い期間、いろいろな試行錯誤をされてきたのですね。
杏樹さんの中国語の詩の音読、名古屋で生で聞かせていただいたのは大正解でした。
杏樹さんの中国語会話も、大阪の路上でいきなりビラ配りの中国人と話す!という幸運に恵まれたので、
その会話力の実力は実証済み。ですから、その体験談はほんとに説得力があります。
杏樹さんの中国語学習歴のお話を伺って、実はakoも自分が英語に関してやってきたことが一致していて、とても安心したんですよ!
〉〉「自分は偏っている」と喝破できるところもカッコいい。
〉〉akoには、杏樹さんの、善人ぶらないところが魅力です。
〉なんだか、akoさんにかかると、なんでも長所のように言ってくださるので、うれしいやらお恥ずかしいやら。
ふっふっふ、この程度で照れていては、大陸育ちの方々に足元すくわれますよ!(なにジンとは限定しないでおきます)
それと、当方、某所でも自称しましたが、「ほめごろしすと」でおます〜〜。
でも人格に関する部分で冗談は言いません。どの、ほめ殺しと言われた発言も、自分なりの根拠あっての発言です。
(例・善人問題については『キャンディ・キャンディ』のアニー参照でご理解いただけるかと)
〉akoさんがアーサー王伝説を語るとどうなるか、興味津々です。書いてくれないかな〜。
またまたそのような危険な誘惑を・・・(かなり嬉しい)
映画は今もって未見です。杏樹さん投稿により、娯楽作品とわかっただけで実は満足してしまった。
考証にこだわったりはしない方ですが、ハリウッド的な娯楽とわかってしまうと、ついお金、使いたくない・・・はは
それと、実は下記の部分について、わりと真剣に考えてるんです。
〉〉ネイティブの子どもが読むものを多読して、
〉〉英米人の子どもがどのようにアーサー王なり、欧州神話や伝説を知っていくのか、たどっていこうと思います。
これについては日本育ちの日本人である自分のことを考えてみました。
桃太郎や弁慶と牛若丸、かぐや姫、アンタがったどっこさの歌とか、みんな知ってますよね。
学習したワケでもないですが。
アーサー王やマザーグース等を、欧米人は、学習などと思わないうちから知る機会があって、
多くの人に共有されているんだろうと思いますが、
私のように外国人が大学生以降のアタマで「学習知識」として知ったものというのは、ど〜〜〜もどこかにへんな距離感があるんです。
それに、正直いえば、欧米人とお話する時のために「教養として知っておこう」というスケベ心も捨てきれない。
(「お。この日本人、なかなか知ってるじゃん」と思われたいじゃ〜〜〜〜〜ん、という浅薄なミーハー心)
多読をやり始めて、ORTやらLLLやらを読んでいて、最近しょっちゅう思うようになったことなんですが、
「自分は、学習したわけじゃないけど、かぐや姫の話は知っている」というような知り方で、
アーサー王やトロイの木馬やアキレスのようなギリシア神話を知っていきたい、と思い始めたんです。
つまりですね、ちょっとくどいですが、
SSSでは、英語を英語のまま読むために、ストーリーの内容に入り込むことで、
英語を読んでいることを忘れるように読みますよね???
私のような者(仕事で英語使う実力はないくせに、受験勉強のマイナスだけは染み付いている人←書いてて悲しくなった)は、
文法を意識しながらのろのろ読むような読み方を、SSS方式によってやめる習慣をつけようとしているんですが、
これと同様に、
自分が、大学生以上になってから「学習」して知った西洋史の基本知識を、
もう一度、それこそ酒井先生が英語に関して言っている「 unlearn 」をしてみたい、と思い始めたんです。
「意識的に」学習するのではなく、もう少し感情の部分、自分の中の幼児性の残っている部分で、
そういう知識を、知識としてではなく、もっと情緒的なものとして出会い直したいということなんです。
SSS多読で、世界史でもそれが少しできそうな気がするんです。
うまく主旨が伝わったでしょうか。
もちろん、どんなに幼児書を大量に読んでも、
ネイティブのようになれないことはわかっていますので、少し近づく程度でいいんです。
これは、多読で英語力をつけたい、というSSSの主旨とは少しずれますが、
むしろ、SSSは、こういう読み方をする人も取り込んじゃうような多様性を秘めた方法論だ、って思ってるんです。
(ここ、古川さんに読んでほしいなぁ。見てないだろうなぁ)
これこそ「めざせ広場」で書くべきでした。あとでまた書きます。(もうじき20万語だから〜、いぇ〜い)
〉〉「今は読めない」ってコトも(今のところ)気になりません。
〉読めないことが気にならない!
〉すごいですねー。私は…ちょっと気になります。
ako、えらそーなこと言ってますえぇぇ。(自分で驚くなよ)
歴史好き風に言い換えます。
私は今、「英語が読めるかどうか」を気にする「以前」の時代を生きているようです。
過去に体験したことのないような英語の読み方をし始めたことで、次々と、考えたことがないようなことを考えてる。
(しかもそれを掲示板に書いてお返事もらえる! オフ会でも聞いてもらえる!)
まだ今は、過去の学習方法との違いを感じることのほうが面白い、で済んでいるんだと思います。
素朴な段階なんです、きっと。
じゅんじゅんさんの100万語祝いにも書いたんですが、
過去に、英語に関してつまんない記憶が強く残っているので(杏樹さんの高2のインド史レポートのよう…)、
そういう不愉快記憶を消す&薄めるのも、時間がかかりますし。
杏樹さんが、英語力がついたかどうか気になるようになった、ってのは、
ある意味では、これまでご自分が読んできた蓄積に自信がつきつつある証拠なのではないですか?
「これだけやったのに上達しない」という感触というのは、かなりやった人間か感じるものですモン。
アタシにはまだ、そんなにたくさん読んだという感触がないので(当たり前です、最大語数2000語以上の本はまだ読んだことがない)、
上達してなくても、まだひどく焦ったりはしないってだけです。
でももし2年位後も、akoが同じレベルしか読めなかったら、さすがに自分の英語力がついたかどうか、気になりだすと思います。
(その時は、愚痴らせて〜〜。「英語なんか何だー」と飲んでくだを巻く)
〉akoさんがこの調子で英語を身につけていくとどうなるのか楽しみです。
わーい、杏樹ママ〜、見ててね〜〜
〉レベルの低い本をた〜〜〜っくさん読むと、突然難しい本が読めた、という事例もあるそうです。
実は密かに期待してます。へっへっへ(言ってしまっていいのだろーか…)
〉ところで、「グンデストルップの釜」って、唯一反応してくれそうだと期待したのはakoさんなんですが、ご存知ですか?
ふっふっふ、またヒトを寝不足にするようなことを… 罪なお方。。。タクラマカンの杏樹姫ったら。
世界史クラブを千一夜物語にしようとでも・・・
1001って、えええ?2年半以上ですわ〜(今、電卓たたいた)
(ひゃぁ〜、管理人さーんどうすんですかー、この部活、放置してると大変なことに〜。…と言いつつ、削除はされたくないなぁ)
で、デンマークで見つかったケルトの遺物でしょ〜 もぅぅぅぅ
せっかく、さり気なく見過ごしていたのに・・・ふっふっふ、もう止められませんよ、お覚悟を。
♪(例の曲スタート) ちょっとだけよ、あんたも好きねぇぇ〜
その大釜って、角のある男性の首の像があるヤツですね。(こないだのケルト本に出てましたか?)
これ、ケルト人が戦いの後に、敵の戦士の首を狩って自分の家に飾ったという習慣があったことを意味しているそうで。
他の神殿にも首だけの像があって、どうやら神聖な信仰の対象だったようです。
戦勝祝いの宴席で、敵の大将の頭蓋骨で祝い酒を飲むという、お・お・お・おそろし〜〜(でも、たくまし〜)
大陸側もブリテン島も、ケルト共通の文化だったようです。
これと関係あるかどうか不明なんですが、サッカー(スポーツ)が、
敵の生首を蹴っていたことから始まったというのと関係あるのでは?と思ってます、何か知ってますか?
あーこわーー。ご〜〜〜〜る! 突然投稿終了〜。
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