[掲示板: 〈過去ログ〉多読による外国語教育 -- 最新メッセージID: 1456 // 時刻: 2024/11/25(04:56)]
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お名前: marin
投稿日: 2005/10/6(21:50)
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スヌーピーさん、みなさん、こんばんは。 marinです。
スヌーピーさんの意見にとっても同意です。
〉受験英語を含む学校英語は、英語の不得意な人を生み出してしまったけど、
〉一方で英語が得意だと勘違いした人も生み出してしまったと思うのです。
英語が得意でなくても、英語に関しては何かしらのカンチガイをしてしまった人
は多いと思います。学校英語は「使える英語」から離れたものを追い求めすぎ
た結果だと私も思います。
私のカンチガイの一例も詳しく書いておきます。(繰り返しになるのですが、
具体例を。)
私のカンチガイは、ネイティブ並みのきれいな発音、正しい文法で、高度?な
語彙を使って話すことがすばらしいことで、そうでないことは恥ずかしいこと
だと思っていたことです。
もちろん、それができるならそれにこしたことはありませんが、言語の根本は
そんなところにありませんよね。
海外の人との会議にて、とある部長さんがお話をされました。
思い切りJapanease Englishでしたが、たいへん素晴らしい内容で、当然ですが、
海外の方々もとても感心していました。
その当時の私のリスニング力で理解できる(もちろん、100%なんてレベルでは
全然ないです)話でしたので、難しいレベルのものでもありませんでした。
この時に、美しい発音とか、正しい文法とか、語彙をたくさん知らないとか、
そんなことばかりなんで気にしていたんだろうと、がっくりきました。
もちろん、それを気にすること自体が悪いという意味ではなく、それがあたかも
一番重要視しなければいけないように思っていたということが大きなカンチガイ
で、がっくりきた点です。
重要なのは伝える内容であり、それが人に伝わるかということなんですよね。
こんな本質的なことを見る目を曇らせていた自分が本当に情けなかったです。
つい最近の出来事ですが、英語の話をしていた時に、Aさんは結構英語できる
よね、という話になりました。その時に、Aさんは、「できるって言っても、
話す時はまるっきりJapanease Englishですよ。きれいな発音ができないわけ
じゃないけど、それに気をとられると、思ってることがうまく言えなくなる
から。」と言っていました。
Aさんのように、本質を見失わない目をもちたいものです。
それでは。
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お名前: 古川@SSS http://www.seg.co.jp/
投稿日: 2005/10/7(00:49)
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"marin"さん みなさん こんばんは!
〉私のカンチガイは、ネイティブ並みのきれいな発音、正しい文法で、高度?な
〉語彙を使って話すことがすばらしいことで、そうでないことは恥ずかしいこと
〉だと思っていたことです。
〉もちろん、それができるならそれにこしたことはありませんが、言語の根本は
〉そんなところにありませんよね。
恥ずかしながら、多読をはじめるまでは、私もそう思っていました。(苦笑い)
〉海外の人との会議にて、とある部長さんがお話をされました。
〉思い切りJapanease Englishでしたが、たいへん素晴らしい内容で、当然ですが、
〉海外の方々もとても感心していました。
〉その当時の私のリスニング力で理解できる(もちろん、100%なんてレベルでは
〉全然ないです)話でしたので、難しいレベルのものでもありませんでした。
〉この時に、美しい発音とか、正しい文法とか、語彙をたくさん知らないとか、
〉そんなことばかりなんで気にしていたんだろうと、がっくりきました。
〉重要なのは伝える内容であり、それが人に伝わるかということなんですよね。
多読で多少なりとも、英語力があがったら、正にそう思うようになりました。
〉こんな本質的なことを見る目を曇らせていた自分が本当に情けなかったです。
なので、最近は、講演その他でそのことを強調しています。
自分自身も下手でも何でも、言いたいことは、自分で言うべく
実践していこうと思っています。
それでは。
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スヌーピーさん、marinさん、古川先生、こんばんは。
たむです。
みなさんの投稿、ふか〜くうなずいております。
これ「共通経験」のようですね。こういうものが
ない人の英語論議はどうも疑いの目でみてしまいます。
私の場合、英語人が私に向かって話しかけたのに、
一言も聞き取れなかった、というのが出発でした。
それでも「英作文」してなにか言った!ような記憶が
あります。
無茶苦茶でしたね(笑)。
ではでは。