[掲示板: 〈過去ログ〉多読による外国語教育 -- 最新メッセージID: 1456 // 時刻: 2024/11/25(01:05)]
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650. Re: SSS コラム 身の丈にあった英語の発信を
お名前: まりあ@SSS
投稿日: 2005/9/15(20:52)
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古川@SSSさん、こんにちは。 まりあ@SSSです。
SSSに参加して4年余、古川さんの書き込みにレスつけるのは初めての
様な気がして...
〉【4】SSS コラム 身の丈にあった英語の発信を (古川)
〉───────────────────────────────────
〉 今日、東京近郊のT市で行われた公立中学生の英語スピーチコンテストに招
〉待されていってきました。
〉 でも、スピーチの英文が「高度」すぎて、おそらく、参加者同士は、他人の
〉発表内容を聞いても理解できなかったことでしょう。
スピーチの「コンテスト」に特化してしまっているのですね。
実生活でスピーチは、その後質疑応答が伴うのが普通で、このコンテス
トの経験は、学会発表にも会社の新製品発表のプレゼンにも役に立たな
いですね。本当に学校英語は、役に立たない英語ばっかり!
このコンテストもその後5分でも良いから質疑応答時間をとり、それと
総合して採点するシステムだったらこんなことにはならないでしょう。
言語の本質は「コミュニケーション」。意志を伝え合う道具です。
正しい文法も、いい発音も、自分の意思を正確に伝えるための方法論の
一つに過ぎない。独立してそれだけで価値があるとは思えません。
スピーチしっぱなしですむのは天皇陛下くらい(笑)そんなこと練習
してもねぇ...
〉 日本の英語教育の現場では、読解でもスピーチでも、「背伸び」しすぎだと
〉思います。一文が、5語や6語の短文の連続でも、言いたいことが伝われば中
〉学段階では、(大人でも)十分ではないでしょうか。
そもそも英語を「言いたいことを伝える」道具として捉えているかどう
か?が疑問ですね。「外国人に道を聞かれたら答えられる位の会話力
は最低限度必要」だからもっとコミュニカティブな英語を...なんて
言っていて.....私達、そんなに毎日外国人に道を尋ねられますか?
私なんか○十年近く都会に生きていて、1,2度ですよ!1人で周りに
道を訪ねながら東京を歩いている外国人、日本語が話せる人が多くて
日本語で訪ねられた回数はかなりありますが。もっとも彼等が、日本人
に訪ねても英語が通じないだろうと諦めている、ということもあるの
でしょうが。とにかく、コミュニケーションて、道を教えることでは
ないはずです!!
沈黙は金、男は黙って、気働き...伝えあうことよりも、黙っている
他人の気持ちを汲み取れることが、より高度な精神作用であるという
価値観がありますからね、日本文化には。
「立派な」スピーチでな
〉くても、つたない言葉でも、一部、日本語が混じっても、内容があれば、人を
〉感動させることができると思うからです。
日本人は完璧主義ですから。自動車は故障しないし、電車は定時に
走るし、時報きっかりにテレビは始まるし...その性格がこと英語の習得
になると邪魔をしているように感じます。
〉 「立派な」英語を書いたり、きれいな発音で話したりすることは、確かにか
〉っこいいし、英語のプロになる人には必要なことだけど、僕たち、普通の人達
〉は、「立派な英語」より、拙くても、即興で書ける英語、即興で話せる英語を
〉身に着けることがまず大切だと思うのです。
はい、そう思います。ただ問題は「即興で話せる英語」を身に付けなく
ても暮らしていけるだけ豊かなんですね、私達は。東南アジア諸国では
公務員になるより、アメリカ人が来るゴルフ場のキャディーやレストラ
ンのウェイターをしてチップを貰った方がお金になる、立派な英語より
相手の気分を良くすることが稼ぎになります。私達はこういう状況に
ありません。
古川さんのご意見には全面的に賛成です。しかし、日本の文化や経済力
を考えると、文部省の石頭を変革するには岩をも動かすエネルギーが
いることを覚悟しなくてはならないだろうと思います。
とかし、「点滴岩をも穿つ」とも言われています。私達1人1人が点滴
になって岩に穴を開けていきたいですね。全体の状況に諦めないで、
自分の身の回りでできる限りでも最大限の努力をする、その力を結集
できたら、と願っています。
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651. 身の丈にあった英語の発信を<−8888(ぱちぱちぱち)
お名前: バナナ
投稿日: 2005/9/15(22:01)
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"まりあ@SSS"さんは[url:kb:650]で書きました:
〉古川@SSSさん、こんにちは。 まりあ@SSSです。
こんにちは、バナナです。
とても、感じ入りました。
「身の丈にあった英語」ってそのとおりですね。
実は私、Writingの広場に、駄文を時々書いているのですが、
たぶん(駄文とのしゃれではありません)、むちゃくちゃなんですね。
「せのび」してるところもあるし、思いっきり「身の丈にあって」単純な文章で書いてるところもある。
でもなんというか、時々「自然と身の丈にあった文」を書いているような気がすることがあって、そのときはわりと自然にかけたような気(錯覚)がしています。
「身の丈でやっていく」ようになりたいな。
そのためにはどうやったらいいのかな?
どういう環境を用意すれば自然にできるのかな?
多読では「各YLにあった書籍がいっぱいあって」という環境が
「身の丈で読む」ということを実現しているのだとすれば、
「身の丈にあった」コミュニケーションする(書く・しゃべる・聴く・話す)ためには、どんな環境を自分の周りにそろえればいいのかな?
そんなことを考えました。
ではでは
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655. Re: SSS コラム 身の丈にあった英語の発信を
お名前: macska
投稿日: 2005/9/16(13:30)
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まりあ@SSSさん、古川@SSSさん、お世話になっております。
100%「その通りだぁ」って思います。
〉〉 「立派な」英語を書いたり、きれいな発音で話したりすることは、確かにか
〉〉っこいいし、英語のプロになる人には必要なことだけど、僕たち、普通の人達
〉〉は、「立派な英語」より、拙くても、即興で書ける英語、即興で話せる英語を
〉〉身に着けることがまず大切だと思うのです。
あわよくば英語のプロになってほしいという気持ちが働いているのではないかしら。
英語ではないけど、私の住んでる町ではスポーツ少年団や陸上大会やと、小学生のうちから一日おきに2時間の練習なんかしていて、まるでプロ養成の練習みたいです。子どもの人数が少ないので休むのも嫌がられたりして、運動が得意ではない私は可哀想だなあって大人の責任を感じたりします。
〉 古川さんのご意見には全面的に賛成です。しかし、日本の文化や経済力
〉 を考えると、文部省の石頭を変革するには岩をも動かすエネルギーが
〉 いることを覚悟しなくてはならないだろうと思います。
〉 とかし、「点滴岩をも穿つ」とも言われています。私達1人1人が点滴
〉 になって岩に穴を開けていきたいですね。全体の状況に諦めないで、
〉 自分の身の回りでできる限りでも最大限の努力をする、その力を結集
〉 できたら、と願っています。
そういう状態を助長している一般の人々の存在もとても感じます。やはり多読仲間を地元に増やすことで、その感性も広めていかなければとつくづく思います。